今日で11月が終わり。明日からは12月。
何とも慌ただしい11月だった。
忙しかったわけではない。
気分だけが何故だか一人走りしていて、落ち着きのない一か月であった。
創作意欲は旺盛にあったのだが、実際には殆ど手付かずになってしまった。
11月の陽気の所為だったのだろうか。
世の中不穏な気配が漂っているからなのだろうか。
男にも更年期障害のようなものがあるというが、70歳を過ぎた爺であってみれば、今頃そんなものが来るはずもない。
矢張り、気候と世相の不安定感が吾が裡の逆鱗のようなものを刺激するのだろうか。
落ち着きのなかったこの11月を振り返り、己が裡に波風が立つというのは、もう少し何かをやれということなのかもしれない。
昨日、一緒だった若き表現者達に大いに刺激を覚えたのも、そういうことなのかもしれない。
やり残しをもう少し整理しておけ、と理解することとしよう。
(ヒロ爺)
スポンサーサイト
今日は中川果林ちゃんのコンサート。
嬉しいことにギター文化館が満員となった。
小生、今年最後の仕事(?)。
箏娘果林と手伝いに来てくれた着物娘まゆこの若さと元気に、この爺も大いに刺激を受ける。
改めて思うのだが、若さというのはもうそれだけで芸術だといっても過言ではない。
この爺にはもう決して持ちえない既成を大きく突き破ろうとする無意識のエネルギー。
その若さを羨ましく思わないではないが、もっともっと自在に爆発しろ!と大声でのブラボーを言いたくなるほどの若さという才能である。
古典を若さで自在にバリバリと噛み砕いて飲み込んでいく様は、小生の最も愛すべき姿である。
今日改めて思ってみた。
失敗しても成功しても明日があるのが若者だ、と。
18時過ぎ、家に帰るとお犬お猫のお二人様、小生に何時まで外で遊んでいるんだと言わんばかりに大騒ぎ。
ハイハイ、ただ今爺がすぐ食事の用意をいたしますので…。
外のお猫も当然、今日は遅いぞと爺にお叱りを。
我が家は食料戦争である。
(ヒロ爺)
冷え込みがきつくなってくると、湿度も下がって空気がカンカラカンになってくる。
そして、カンカラカンに合わせて鼻腔もカンカラと乾燥し、痛いくらいになる。
これでは風邪の菌が飛んで来たら直ぐに風邪っぴきなってしまう。
風邪の菌は、湿度や水っけに弱いので、鼻腔は常に湿った状態でなければ、直ぐに風邪をひいてしまう。
少し前まで、山のような柿を処理するのに大変な苦労をし、やっとこ落ち着いたと思ったら今度は柚子である。
有難いことなのだが、またまた米袋に一杯の柚子である。
夏バテならぬ冬バテ対策には柚子シロップで作る柚子紅茶が一番であるが、それを仕込むのが大変なのである。
柿ジャム作りで痛めた腰を、今度は柚子シロップ作りで更に悪化させなければならない。
台所で長時間腰を折っての立ち仕事は、爺には堪えるのだ。
しかし、濃い目の紅茶にたっぷりの柚子シロップを入れて飲むと体がいつまでも暖かくいられる。
明日は、ギター文化館で、ことば座が共催している中川果林ちゃんの二十五絃箏の演奏会なので午前中から出かけなければならない。柚子仕事はなし。だが月曜は中腰での柚子シロップ作り。聊か気が滅入る。
火曜から風呂釜が壊れ、風呂なしの生活であったが、今日交換作業が終わり、やっと風呂に入ることができた。
演劇青年の頃には、三畳間の安アパート生活だったので一週間ぐらい風呂に入らないのは当たり前であったが、さすがに爺になるとそれは辛い。今夜は極楽気分での入浴であった。
湯冷めをしないように早く床に入るとするか。
(ヒロ爺)
今日も寒い冬の一日となった。
お猫様は、世の中にこんなに快適な場所があったのかと言わんばかりに、一日中炬燵に寝ったりしている。
お犬様も炬燵布団にパックリ自分の体が収まるように凹みを作り背中から炬燵の温みを享受している。
これで小生も一緒に炬燵に寝ったりできれば太平極楽なのであるが、そうはさせてもらえない。
二人が静かなのを幸いに、PCと喧嘩でもするかのように、むやみに音を立ててキーボードを叩いている。
カタカタ叩いている割には原稿の枚数が捗っていない。
三時過ぎにお犬様の散歩に出る。
お犬様は、できるならこの時間の散歩をパスしたそうであったが急き立てて出かける。
吹く風はもう確り冬である。
お犬様は、渋々出かけてきた散歩なので、歩みに活気がない。
すっかり枯れた草むらでプラプラと時間だけをつぶしてくれる。
そんなお犬様の先にドス赤くなった烏瓜が一個揺れていた。
夕焼けた烏瓜は風情のある秋を教えてくれるが、赤を通り越して黒味がかったドス赤い色は秋の死暮れを教えてくれる。
明日も寒いのかな。寒いのだろうな。
しかし、夏の暑さに比べたら寒い冬の方が何十倍も好きだ。
(ヒロ爺)
朝から冷たい雨だなと思ったら、関東にも雪が降り積もったという。
何とも生温い秋だなと思っていたら、一気にそれを取り戻そうというのか、突然のフルスロットルで冬を運んできた。
お猫は、すっかり炬燵が気に入り一日出てこない。
お犬様も炬燵布団にスッポリ嵌まり込むように寝床を作って一日寝ている。
おかげで仕事が捗るかと思いきや、突然の睡魔に襲われ午後、二時間も昼寝をしてしまった。
ちょっと昼寝と炬燵に入ったのがいけなかった。
どうやら炬燵というもの眠りマシーンのようである。
目覚めたら、もう夕飯の支度を始める時間であった。
大慌てでお犬様の散歩に出かけ、帰ってくると雫と黒椿のお猫達がおやつ貰っていないとステレオで大声を上げる。
お猫達は二人とも若いので食べ物の要求には二人で結託して小生に訴える。
夕方の散歩時間になると、小生完璧にお犬、お猫の用務員さんである。
それが嫌ではないのだが、上から目線で爺に要求するな!
月末がやってきた。もう会報の編集かと一月の速さに仰天である。
12月号だから、今年最後の号である。
振り返ればアッと言う間の一年に恐怖してしまう。
(ヒロ爺)
炬燵は12月になったら、と思っていたが、本日急に寒くなって来たので、繰り上げることにした。
お犬様は、炬燵が何であるか分かっているが、お猫様は初めて見る所為か危険そうな物に見えたらしい。
セットし、調子を確かめるべくスイッチを入れるとお犬様は早速やって来て炬燵布団にペッタリと…いやパックリとはまり込む様に窪みを作って収まった。
お猫様は、お猫トンネルを超警戒心でスンスンと嗅ぎまわり、潜って中に入ろうとしない。
しかし、猫トンネルには耳ちゃんの臭いが浸み込んでいるので、危険物とは思わなかったようだ。
初めは暗がりの中に入るを拒んでいたが、猫トンネルから暖かい空気が流れ出てくることに気づき、おっかなびっくり顔を突っ込み始めた。
中は危険でないことを教えるため、布団をめくり上げて中へ入れてやる。
中が危険でないことがわかると、トンネルをくぐり始めた。
何度か出たり入ったりしているうちに、炬燵の中が快適空間であることが分かったのか出て来なくなった。
おかげで今日の午後は実に静かで、仕事日和となった。
今も炬燵に入ったままである。夕食とトイレに出てきただけでズーッと炬燵の中である。
小生が寝るとき炬燵を切るのだが、中が冷えて来たらとんでもない時間に大騒ぎされると困るな。
明日は、お猫様用のホットカーペットを出しておくことにしよう。
(ヒロ爺)
母がまだ元気だったころ、北海道に越そうかと言ったら、雪のある所にはもう住みたくないと言われた。
それに喰い物がいいじゃないか、と言うと「私は魚は嫌いだから」と言われてしまい、断念した。
その時に北海道へ越していたら今の奥さんとの縁もなかったろうし、茨城に越してくることもなかった。
雪が嫌い、魚が嫌いと言われたのでは北海道に行くことはできない。
母には故郷ではあるが長く離れてしまえば、嬉しくない地のようであった。
それに雪国に暮らしたことのない人は理解しにくいだろうが、雪に住むというのは実に大変なことなのだ。
今日は、北海道では雪が降りかなりの積雪があったようだ。
そんなニュースを見ると、母が北海道へ帰ろうか、と言わなかったことに感謝しなければならない。
茨城県は住みたくない県のNo1であるが、雪から解放されて穏やかに暮らせる地と言えば茨城県がNo1だろう。
不人気の話はさて置いて、茨城県程気候的に住みやすい所はないだろうと思う。しかし、人情的にはあまりうれしいとは言えない。たまに仲良くなる人は皆他県人である。
北海道は雪、のニュースを聞いて、この地の何て穏やかな気候の常世の国かと雀等に呟いてみても、振り返る人もなく、さすがワーストNo1の地と自慢するもあはれ。
今夜は背中が少し寒くなってきた。
足元のお犬様は気持ちよさそうな鼾をかいてござる。
(ヒロ爺)
朝から時折霧雨が降る冷たい一日となった。
鳥鍋にでもしようかと思ったが、今季最初の鰤大根にしてみた。
お犬様もお猫様も魚大好きなので、生姜などを使えないので十分に湯せんして生臭さを抜く。
寒い夜には熱々の大根をハフハフ口に放り込むのはいいものだ。
味が浸み込まぬうちに鰤の数切れを取り出しておいて、お犬、お猫の夕食に添えてやる。勿論、庭猫の黒椿にも添えてやった。
季節の走りの物を口にするときには、どうしても一本つけたくなるのだが、酒をやめて20年以上になるので今ではそれを思うだけで十分満足することができる。飲めなくて不幸だと思うことはない。
今日は辛口で、…冷で…人肌で…熱燗で…、と想像するだけで十分にその気分を堪能することができるというのは、それだけ飲んできたということなのだろう。まあ、確かに大酒のみではあった。
これからは鍋物を作ることが多くなり、一層酒がこいしくなる。
酒を用意することはないが、舌に転がす酒の香を思いを持ちながら旬を褒めるのと、そうでないのとでは旬の味わいが全く違うものだ。実際にたしなめればそれに越したことはないが思いを持つだけで、プラスチックの器で食べるような味気無さがなくなるものだ。
明日は、今日止めにした鳥の水炊きにするか。ボジョレヌーボを想いながら。
(ヒロ爺)
久しぶりにギター文化館へ顔を出す。
里山のてっぺんは奇麗に紅葉していたが、中腹あたりからは、色づかず枯れていくのかなと思ってしまうほどの力のなさであった。
確りと紅葉してくれないと、里山の住人たちは冬を迎えるのに躊躇ってしまうだろうと心配してしまう。
メリハリのない四季の移ろいがくると、里山はただの枯葉山になってしまう。
これでは水墨画をひくことも叶わなくなってしまう。
今日は幾分寒さが強くなったが、炬燵を出そう、ストーブを出そうというまでには至らない。
しかし、そろそろ冬支度を整えておかないと拙いだろう。
今日は二時間ほどであるが、二人で留守番をさせておいたら、帰ったら大騒ぎをされてしまった。
お犬様、お猫様にとって小生は用務員の爺様なのである。
二人して小生の家を空けたことを非難してくれる。
俺様は飼い主様だぞ!何てことを言おうものなら大変なことになりそうである。
ハイハイ、おやつですよ、おやつですよ、で機嫌を直させるのが一番。
おやつに納得すると、それぞれの場所でまたまた寝ったりをはじめる。
メリハリのない四季の移ろいではあるが、我が家は平安。
またまた月末の忙しさがやってくる。
メリハリはなくても日の移ろいの何とも早いことか。
(ヒロ爺)
さすが人気度最下位の茨城県、などの冗談も言えない情けなすぎる話である。
妊娠初期に障害の有無がわかるようにして障害児を産まないにしよう、といった話を平気で出来るとは。
しかもそれは県の教育委員であるという。
実際、情けな過ぎる、というレベルではない。
立原正秋の小説の中によく「下衆は殺せ」という言葉が出てくるが、生まれる前に障害が分かれば淘汰してしまおうなんて言葉を吐けるのは、下衆以下の者で殺すにも値しないだろう。しかも、最悪なのは淘汰すれば、障害者教育等にかかる費用が軽減できる、というのがどうやら本音のようだというのだから、情けな過ぎるどころではない。
流石、流石の茨城県とは、この件に関しては言いたくない。
言葉にするだけで自分が穢れていくような気になる。
本当は、もっともっと怒りの声を書きたいところではあるが、こんな輩たちのために自分の大事なエネルギーを少しでも使いたくない。やはり立原流に「下衆は殺せ」の一言で切り捨てるのが一番だろう。
庭猫の黒椿と家猫の雫の仲が毎日のように好転している。
後は椿ちゃんのトイレの躾ができてくれば、家の中の家族になれるだろう。
(ヒロ爺)
寒きなってきたといえば寒くなってきた。
だが凍える寒さではない。
霜月も半ばを過ぎたが、まだ霜月の霜は降りてこない。
今日はお犬様の抜糸の日。
傷もすっかり奇麗にふさがった。
切除部位の検査結果はやはり乳癌。幸いに転移が見られず、侵された部位が確りと切除できていた。
しかし、これで安心というわけではない。
またどこかにできる可能性は高い。
保護して一年目ぐらいに、足の指の間に腫瘍ができて切除したが、その時は検査に出さなかったが、恐らく癌であったろうと思う。
今後無事であってくれると良いのだが。
この冬は、耳ちゃんが亡くなって寒がる者がいないのと、暖冬?の所為で今一歩冬支度がためらわれる。
雫は、若いためかまだ一度も寒がる素振りを見せていない。
今夜は少し寒さを感じるが、足温器を点けると弱でも足を乗せていられない程、熱さを感じてしまう。
この中途半端な陽気がやっと意欲が湧いてきたというのに、その気勢の足を引っ張っている。
しかし、これは明日があるさと思おうとする言い訳である。
足元のお犬様の鼾、今夜も快調…?
(ヒロ爺)
今年はどうやら暖冬のようである。
11月も半ばを過ぎたというに乾いた冷たい風が吹いてこない。
何となくズルズルッと生暖かさを引きずっている。
霜月だというのにまだ霜も降りていない。
炬燵をセットしようと思いながらズルズルと遅らせているが、現実寒くないので慌てる必要はないのだ。
夕方比較的長い大揺れが来た。
このところよく地震が続くように思うが、冬が遅れているのはそんなことも影響しているのだろうか。
しかし、大きく太陽系の自然を思ってみれば、何があっても可笑しくないのだろう。
ちっぽけな地球のしかも人間たちがガタガタ騒ぎ、右往左往しているだけなのだろう。
地球そのものが収縮活動をしていることを考えれば、地震だって起きるだろう。
まあ自然現象には、人が心煩わせても始まらないのだから、覚悟して大きく構えているほかないだろう。
ちょっと長かった地震にお犬様若干のパニック。
お猫様は無反応。
奇跡の星の地球ではあるが、その地球に住むのもなかなか大変。
こうして今生きているだけで儲け儲けと考えるが正解なのかもしれない。
明日は、ようやくお犬様の抜糸である。
病理検査の結果もでるが、何もなければいいのだが。
(ヒロ爺)
今日は降るな、と思っていたら、3時過ぎとうとう降ってきた。
間一髪でお犬様の散歩を済ませて戻ると一拍の間もないで降り始めてきた。
昨日は不快な温かさで、今日も午前中はどんよりとした不快な温かさが残っていた。
しかし、雨が降り始めた途端風が冷たくなってきた。
明日明後日は雨だという。
これでまた気温が下がって、正真の霜降り月になるのだろう。
明日はいよいよ炬燵を出さなくてはならないかな。
新人のお猫様の雫は、若い所為なのか今のところ全く寒がらない。
電気カーペットをONにすると、お猫は逃げ出し、お犬様がやって来て長々と寝そべってしまう。
ホットマット付きのシンデレラ城にも入りたがらない。
炬燵を入れて喜ぶのはどうやらお犬様のようだ。
さて、少しやる気が出てきたようで、放置していたライフワークがコトリコトリと動き始めてきた。
まあ、止まらぬようにコトリコトリの回転で進めていくことにしましょうか。
少し気温が下がって来たのか、お犬様は新しくフワフワ長座布団を置いてやった机の下に早々と入って来て気持ちよさそうな鼾をかいている。
お猫の雫は「おやつ頂戴」「おやつ頂戴」を連呼している。
知らん振り、聞こえぬ振りをしているのであるが、なかなかに手強いお猫である。
(ヒロ爺)
まだ夏だったと錯覚しそうな一日であった。
しかし、庭椅子に腰を下ろして庭猫黒椿を膝に抱いて、陽だまりを見回してみるが、蜥蜴も虫も姿を見せなかった。
風の温かさと日差しの温かさは夏のようであるが、蜥蜴たちは騙されることなく巣穴に潜んでいる。恐らくもう半分眠っているのだろう。蜥蜴や虫達が姿を見せないと、椿は静かに膝に抱かれて眠っている。
黒猫椿は、庭にいる時には精一杯に甘えるのだが、家の中に入れてやると外とは全く空気が違うのかすぐに外に出るという。
廊下の陽だまりでは、警戒心を消すことはないがかなりリラックスして三人と一緒に半寝ったりできるようにはなった。
この様子だと、しばらくは…いやズーッとかもしれない。庭猫でいるのかも知れない。
長く放置していたライフワークの創作に手を付ける気分になってきて、今日は1/3ほど書いてそのままにしてある第二部の読み返しを始めた。昨日よりは、発想時の感覚が戻ってきたようだ。書き進まなくともしばらくこうしていると、筆が走り出すだろうとなぐさめを言ってみる。
これから、半分忘れてしまった時代考証から始めてみようかと思っているが、…。
昨夜もそうであったが今夜もお犬様が足元で高鼾をかいて寝ている。
つられて眠気が押し寄せてこなければいいが。
(ヒロ爺)
気分が湿っている所為もあるが、随分と久しぶりの晴れのような気がしている。
しかし、晴れ渡っても湿っぽい一日で、しかもあっという間に夕暮れて来てしまった。
溜まっていた洗濯物は何とか乾いたが、スッキリとした乾きではない。
昨日から、書きかけで放置しておいた自伝的作品のファイルを開き、読み返しながら構想の練り直しを始めたのであるが、長らく放置していたものだから書き始めの感覚を取り戻せないでいる。
自分自身の心象残像を軸において、四部作に展開してみようと考えて、第二部の三分の一ほどまで書き進め、中断してしまったことで、最初に構想を持った時の感覚に戻すことができないのである。
第一部を書き上げたのは10年ほど前で、第二部の途中で放置してから8年が過ぎている。
全体の構想が変わるわけではないが、8年の放置はあまりにも長すぎて、その当時の感覚や感性を取り戻すのは容易なことではない。いや、不可能といってよい。
一部を読み返してみて、これはほぼ完成しており、このままで良いかと思うが、二部の方は、現在の手で初めから書き直しの必要がある。自分では、なかなかいい発想であるとは思っているが、如何せん放置が長すぎた。現在の手での書き直しは仕方のないことだ。ライフワークとしての創作の一つだから焦る必要はないのであるが、あまり暢気に構えていると、私自身に締め切りが来てしまうことになる。
明日から、ポツリポツリと創作メモを起こしながら進めていくことにしよう。長の腰掛から立ち上がっただけでも良しとしなくては。
(ヒロ爺)
愚図つく天気の所為だろうか、気分がカラッとせず焦りのようなモヤモヤが溜まって愉快とは程遠い、いや無縁の一日であった。
時々こんな風に焦りが現れ気分が滅入ってくる。
70過ぎて余禄の人生、何を焦るかと思うのであるが、この焦りの気分は若い時から間歇的にやってきて気分を滅入らせる。
「俺は何をやってるんだ」
爺さんには青すぎる自問だが、定期的にやってくる。
老いた創作者の性のようなものであるが、最後に一作だけ納得のいく作品を書き上げ、終わりたいものだ、と思うばかりの焦りともいえる。
最後の一作のテーマは見つかったのか、といえばノーである。
やりたいテーマは山ほどとは言わないが散満してある。
しかし、その中にこれこそというものが見えてこない。見えてこないというよりは掴めそうでなかなか掴めないというところである。
注文を右から左へとこなしているときには、割り切った決断ができていたのであるが、注文の一切を断ってからは、散満の中から「これ!」と決断する潔さが弱くなってしまったようだ。それを歳の所為とするのは簡単であるが、どうもそればかりではないようである。
「お前さん恋をしてないな?」
「恋か…そうだな」
「お前なあ、恋を忘れたような奴には創作は無理だな」
「やっぱりそうか」
「そうさ。無理さ」
こんな自問自答をしているから散満の流れに流されて、何も掴めず苛立ちと焦りを覚えるのだろうな。
お犬様の鼾が気持ちのいい音を立てて足元から聞こえてくる。
お犬様の鼾にこんなことを言うのも変かもしれないが屈託のない鼾だ。
だがこの爺は屈託している。
(ヒロ爺)
この地方、まだ冬が来ていないのだが、ひと雨降るごとに冬になっていくのが体感できる。
しかし、もう冬だなと思うと、次の瞬間から春を思ってしまうものだ。
季節は先取りしていいといわれるが、先取で気持ちに取り込んでいかないと今の季節が辛くなるということなのだろうか。
確かに、現在に汲々としていると余裕がなくなり感動や喜びを掴みそこなってしまう。
お犬様、お猫様を見ているとお腹がくちくなったらひたすらに動かず寝ており、お腹がすいてくると大騒ぎすることもなく息も殺すようにひっそりと寝ている。
食事を催促するのは、くれることが分かっているとき。
くれるかどうか分からない時は、耳だけをそばだて、じっとしている。
何だ、どっちにしても寝てるのか、と言われそうだが、寝方が全く違うのだ。
動物たちは不確かなことには決して空騒ぎをしないものだ。
不確かなのに空騒ぎをするのは愚かな人間だけだ。欲深い人間だけ。
この年になっても未だお猫様、お犬様に教えられる。
(ヒロ爺)
グンと冷え込んできました。そろそろ炬燵を出さねば。
若いお猫の雫は、寒さをあまり感じないのか眠くなるとその辺にごろりと横になる。
フワフワ、ぬくぬく毛布があろうが全く気にせず、冷えた板の間でも寝てしまう。
お犬様は亡くなった耳ちゃんを見習って、すっかりと座敷犬になって足温器代わりに電気座布団を足元に置いてあるのだが、スイッチを入れたとわかるとすぐにやってきて座布団を占拠してしまう。
小生は、お犬様の腹に足を突っ込みあんか代わりにしている。
先日、ウインドウズ10が無料で入れられるというので、ダウンロードしたところ、幾つかのソフトが使えなくなってしまい、インストールをし直してくださいと出た。あまり使わないのでそのままにしているが、どこかで再インストールせねばならない。
セブンで不都合はなかったのに、余計なことをしてしまった。
日常の原稿作業やメール等には支障がないが、面倒なことになってしまった。
新しもの好きではないのだが、PCを開くたび、無料でダウンロードが出てくるので、物は試しとクリックしてしまったのが間違いだった。
文章を打つだけの小生には、いろいろ出来ますと言われても無用の長物なのに。
明日は朝から定期診断である。先日の自転車漕ぎの結果を聞かされるのだが…。
心電図に異常があります、何てことも無さそうだし…。
血糖値だけが高値安定というところだろうか。
(ヒロ爺)
日差しは出ていたが、風の冷たさを感じる一日。
考えたら、霜月になって立冬も過ぎたのだから、風も冷たく木枯らしとなってきても不思議ではない。
外猫の黒椿ちゃん、今日は一日お犬様の別荘にお休みであった。
小生が庭に出た時だけ、別荘から出てきて足元にすり寄ってくる。
どうやらおやつを期待しているらしい。
また一歩家猫に近づいてきた。
三人におやつ用の煮干しを与え、庭を眺めていたら、先日土を耕した菜園に青菜のような野草が葉を広げていた。
朝晩の寒さに震えあがっている鉢植えがあるというのに、これから確りと葉を広げようというのだから大したやつである。
もっとも氷の上でも芽を出す植物もあるのだから、驚くことでもないのだが、冬に向かっているというのに、幅の広い葉を精一杯に広げようというのだから、やっぱり大した奴である。
寒さが厳しくなってきた所為なのか椿の花が咲き始めた。
八重の椿なので、あまり好きではないのだが黒猫ちゃんを雨宿りさせてくれたので今年は結構好意的に眺められている。
椿は侘助がいい、なんてことを言っていながら、こっちの都合で好意的になったりするのだから、気分なんていい加減なものだ。
明日は、天気は下り坂だというが、雨は嬉しくないな。
一雨ごとに寒さが増してくるのだから。
(ヒロ爺)
久しぶりによく晴れ渡り、嬉しい洗濯日和であった。
お犬様は、手術三日目なので未だ庭での穴掘りはさせられない。
縁側の陽だまりにお猫様と二人で寝ったりを楽しませる。
小生と黒猫の椿は庭いじり。
何時もはお犬様がべったりそばに居るので、なかなか甘えることができなかった椿は、ここぞと足元にまとわりついてくる。
トマトの枯れ枝を猫じゃらしのように動かしてやると、夢中になってじゃれついてくる。
ジャンプしたり寝転んだり人間とこんな風に接したことは初めてであるし、一緒に遊ぶなんてことは思ってもみなかったに違いない。
庭いじりの後、濡れタオルで足を拭いて家に上げてやる。
お犬様には鼻先にスンスンして挨拶ができるが、お猫様には警戒してなかなか自分から挨拶に行けない。
まあ、何度かこんな風にして刷り込んでいけば、そのうち(近々)慣れてくるだろう。
縁廊下には椿用にもうゲージは用意してある。
おやつ用煮干しを平等に二尾づつ与えてやる。
おやつを食べ終わると椿は外に帰るという。
まずは無理させず外に出してやる。
三人一緒におやつを食べられたのだから、もう心配ないだろう。家猫になるのは時間の問題だ。
吾輩は猫教師である。
名はヒロ爺。
朝方の雨はさほどつめたくなかったが、午後になり一時間ごとに冷たさが増してきた。
外猫の黒椿ちゃん、なかなか家猫に落ち着こうとしない。
漸く少し長く家に居られる様になったのであるが、まだ寛いで寝るところまでは行かない。
一時間ほど一緒にいると外に出たくなるようである。
庇の下の椅子に腰かけ、椿が外に出て何をするのかと見ていると、椿の木の下に雨宿りして蹲っている。
それなら家に居れば、と思うのであるが、家の中はまだ落ち着けないのであろう。
静かに蹲っていた椿が、急に構えの姿勢に蹲り、何かに間合いを測るかのように手足を踏み踏み、し始める。
何を狙って、と視線の方を探すが良く解らない。
するとパッと飛び出し、何かを捕獲した。
そして捕まえたものを口に頬張り始めた。
よく見ると、蟷螂であった。
もう少ししたら回虫駆除の薬を投与せねばならない。
まだ7ヶ月ほどのお猫であるが、我が家の外猫となる前には、こうして餌をもとめていたのだろう。
今のところはこうして未だ時々虫などを捕らえる事が出来るが霜が降り始めたら我が家の庭にいたのでは捕獲できる餌は殆どなくなるだろう。小鳥が頻繁にやって来るが、早々捕獲することは出来ない。まぐれで捕らえることもあるだろうが、月に一度もないだろう。早く家猫に慣れてもらうしかない。
家に入っても愛々お犬様とは鼻先をくっつけスンスン嗅ぎ合っているのであるが、雫お猫様とはまだそこまでいかない。
朝の五時半、夕方四時半になると庭椅子の上から、ごわーん、ごわーんと食事を催促する。
椿が鳴きはじめると雫も合唱するかのようにごわーん、ごわーんと催促鳴きをする。
その声を聞くとお犬様は、散歩散歩と小生の所へ来て催促のタンタランダンスをはじめる。
お犬様は昨日乳腺の腫瘍を切除手術したが、順調に回復しており、縫ったカ所からの出血もなく、もうかなり綺麗に癒着している。
明日はようやく天気が回復してくれそうだ。
四人で陽だまり寝ったりがをしたいものである。
(ヒロ爺)
今日はお犬様が手術で朝から病院。
唯の病院でない事が、お犬様もお猫様も解るのか二人とも妙に神妙で、ソワソワ。
単なる乳腺炎による腫瘍なのか、悪性なのかは分からないが、取り敢えずは主要部分を切除することにした。
病院から帰って来ても、お犬様が帰ってこないのが大いに気になるお猫。
お犬様のベッドに何度も行き臭いを嗅いでいる。
癌を臭いで発見する犬の事が以前話題になったのだが、お犬様の体臭にそれらしい臭いでもするのだろうか。
お犬様の不在が理由ではないだろうが、お猫が廊下の戸をあけ、脱走と言うか冒険と言うか知らぬ間に出てしまった。
小一時間探し回り漸く発見し、家に連れ戻した。
夕方お犬様をむかえに行く。
未だ麻酔が十分に醒めずフラフラ、ボーッとしているお犬様。
お猫は気になって仕方がない。
心配しているのだろう。
お犬様の顔をスンスン、スンスンと嗅ぎ回し、ペロペロと毛づくろいをしてあげている。
お猫が家族になって未だ二か月に少し足りないが、おーおー家族しているなと自然な仕草が嬉しくなる。
一日ハッキリとしない天気であったが、三人の関係はすこぶる快晴であった。
(ヒロ爺)
ふるさと風の会の作品展も無事終わる。
この町の現状を考えれば、大層有意義な作品展となったと思う。
自画自賛ではなく、自己満足でもなくまずます有意義な作品展であったと言える。
取り決めをしたわけではないが、時間のある会員が集まり、普段ゆっくりと話をする時間が取れない分の穴埋めにもなった。
来客者も談笑する吾らに気楽さを感じたのか、勝手に文庫を手にしたり、平氏の系図などを眺め、時折声をかけて来てくれた。
どちらかと言うとしみじみとした作品展であったが、気張らぬ普段の姿の一週間をつくる事が出来て結構な事でございました、のイベントであった。
今日は作品展最終日のため、十時過ぎに家を出て、五時過ぎまで戻らなかったので、お犬様お猫様は少々お冠。
今は足元にお犬様が鼾をかき、お猫は椅子の大半を占拠し、小生ちょん掛けの状態でこれを打っている。
お猫は時々背中をムギュムギュと掴み押ししている。
明日はお犬様乳腺の手術である。朝食禁止なので拗ねるだろうな。
(ヒロ爺)
今年は柿の豊作なのかよく貰う。
段ボール箱いっぱいの柿をやっとこ処理したと思ったらまた頂いてしまった。
四個、五個ならニコニコ笑顔で有り難うございます、なのであるが三十個もあると、ワーッこんなにと嬉しそうな声を出しながら引き攣った笑顔になってしまう。
このところ朝昼晩と柿を食べている。
我ながらよく飽きずに食べているなと感心している。
朝などは、先日作った柿ジャムをトーストにたっぷりつけて食べるのだから、全くもって柿腹になっている。
その所為かやけにトイレが近くなり、用心しないと年寄りには危険である。
一日十杯ものコーヒーを飲み、三食デザートに柿を食べ、パンにも柿ジャムを付ける。
これでは年寄りでなくともトイレが近くなって当然だ。
お犬様がやけに足元にピッタリと張り付いているとおもったら、冷え込んできたのだ。
実に解りやすい。
今夜はお猫様布団にもぐりこんで来るかな。それともお犬様が布団の上にドカッと乗っかって寝るのか知らん。
いずれにせよ覚悟せねば…。
風の会の作品展も明日で終わりだ。
来週は少し庭の片付け、菜園の土起こしをやらねば。
それと、外猫の椿を家に慣れさせねば。
結構にやる事があるものだ。
(ヒロ爺)
何でこんなに気忙しいのだ。
大したことをやっているわけではないのに今日は一人齷齪の一日であった。
お犬様、月曜日に乳腺に腫瘍が出来たので手術するため、今日はシャンプーをしてやる。
朝早起きで、明日印刷の会報の編集をするが、シャンプー前に終わらず。
シャンプー後再開するも昼までに終わらず、中断して作品展の会場に出かける。
編集があるので早めに戻って来るが、お犬様、ツーお猫様にお八つ。そしてお犬様のお散歩。
やれやれと腰を下ろす間もなく、ツー猫ズが夕飯、夕飯、ゆーはぁ~ん!と大騒ぎ。
何とも慌ただしいこと。
夕飯もそこそこに何とか編集を終わらせる。
ヤレヤレの一日。
秋の夜長、のんびり読書でもしたいが、ただ今お猫の雫、またまた一人大運動会。
お~い、早く寝ろ!
(ヒロ爺)
今日は定期診断の事前検査に出かけてくる。
本日はエルゴメーターと言えば何となく最先端検査の様に錯覚するが、心電センサーをつけての自転車漕ぎである。
10分ペダルを漕いで心拍数を135以上にすると言うものである。
かなりのスピードでペダルを8分漕いだが心拍数は未だ120.
スピードメーターのようなものがついており6以上の数字で漕いで下さいと言われ、ならばと11の数字で8分漕いだが心拍数が120から動く気配がない。看護士がもっとスピードを上げて、もっと、もっとと言うがかなりの速度で漕いでいるのだが125までいったと思ったら、また118なんて心拍数に落ちてしまう。これは10分以上漕がされるぞ、と更にパワーアップして10分少し前に漸く136になる。
やれやれと力を抜いてスピードを落とし始めたら、135、136、137、・・・と上がり、最後139まで上った。
スプリント競技の選手などは、スタートの時に一番パワーが出ると言われている心拍数150前後にイメージングで高めていくのであるが、小生も今度からはそれを見習おうかしらん。ペダルを漕ぐ前から心拍数140、150なんてことにしたら看護士は仰天して、心臓病かと大慌てするかもしれない。
このイメージングと言う運動技術は、小生達演劇関係者であれば必ず目を通すスタニフスラスキーの俳優術がその始まりなのである。ま、…そんなことはさておき、自転車漕ぎの疲れが今頃になってやって来た。
もしかしたら今頃心拍数が150何て数値に上がっているのかもしれない。
このちぐはぐのような肉体反応は、矢張り年齢の所為なのだろう。
今日は午後の陽だまりの廊下で、愛々様、雫様、椿様の四人で気持ちの良い寝ったりを愉しんだ。
明日はまた半日の留守番になるが、帰ってくると煩く非難することであろう。
(ヒロ爺)
今日も午後から「ふるさと風の会展」へ出掛ける。
今日も大勢ではないが、ポツリポツリとではあるが、大きく途切れることなく来場いただけた。
文庫作品が主体なので、直ぐに帰られる方もいるが、平家物語の背景となる平氏の系図・年表を撮影していく人も居る。
それだけでも作品展の大きな成果だろう。
通りには相変わらず人はいない。
昨日、今日午後に居なくなるのが、お猫お犬様にはご不満の様で、帰ってくるとウオンウオン、ミャミャと小生に避難の声を浴びせかける。未だ三分の一ではあるが家族になり始めた黒猫の椿までもが庭からミョーミョーと小生を非難するかのように呼ぶ。
必要とされて嬉しいのか面倒なのか。
先ずは大急ぎでおやつを出してやる。
現金な者達で、お八つを貰うとサッと自分の定位置に退いてってしまう。お八つはこれ以上貰えない事をよく知っているのだ。
定期検査で、心電図に自転車漕ぎをやって来なければならない。
如何に定期的に経過観察とは言え、毎月の様に今月はこれ、来月はあれ、とよくもよくも遣ってくれる。
明日は朝から出かけるので、二人、いや三人に「今日も出かけるのか!」と言われそうである。
明日は作品展は休館日でお休みである。
(ヒロ爺)
いやはや、この現実には出す言葉も溜息もなく、ただただ戸惑いの瞬きを繰り返すのみであった。
今日から8日まで、石岡市の街角情報センターで「ふるさと風の会作品展」を行っているのであるが、昼ごろから5時まで小生も会場につめた。今日は休日なので、センターの小さな駐車場を関係者が長時間駐車していては不味いだろうと自転車で出かけた。
駅正面から真直ぐ伸びたメインストリートを登りきって、商店街の通りとぶつかった所、文字通りの街角に情報センターがあるのだが、そのメインストリート、商店街通りには人っ子一人歩いていないのであった。
休日は人通りも休日ですか、と尋ねてみたくなるのだが尋ねる人はいないのである。
ゴーストタウンのようだとは知ってはいたが、半日メインストリートとメイン商店街通りのぶつかる角に居たのであるがこれ程とは思わなかった。シャッター通りなんて生易しいものではない。
「お~い!生きている者は居るかァ~!」シナリオの台詞だったらそう書いてしまう程の呼吸を感じられない通りとなってしまっていた。
これでは来場者はないだろうなと思っていたら、大勢ではないが、会場に来客者ゼロの時間はなかった。知人よりも初めての人の方が多かったのは、街角情報センターゆえの事だろう。
来場者の人に言われた言葉が印象的であった。
「この会をやっておられる方達は、石岡の人ではないのでしょう?」
質問された方は代々の石岡人だという。
この言葉には全く溜息も出ない。
質問された方は排他的な意味で言ったのではない。
この石岡に越してきて15年。
地方の現実過ぎる現実である。
明日も昼頃から会場に行く予定である。お近くの方は是非人通りを作りにお出かけください。
本日は溜息も出ないヒロ爺。
今日は、ふるさとの歴史・文化の再発見と創造を考える「ふるさと風の会」の作品展の準備で、街角情報センターに出かけて来た。
会員が会報に発表してきた文を中心に編集した小冊子の紹介と、会の分科会として活動している「ふるさと言葉絵」の人達の水彩画を明日3日から8日まで展示、販売する。
今回は、小生の指導する最長齢の打田昇三さんが、この地に関係の深い「平家物語」全12巻の私訳完成を祝しての、特別作品展である。
ふるさと物語を書ける市民作家を育成する講座を引き受けた時の第一期生で、小生より一回り程人生の先輩であるが、よく12巻を現代語版に翻訳されたと、頭が下がる。講座を始めて半年ほどであったか…。100枚ほど書いてきた原稿を、どうするか迷ったが「書き直しだね」と冷たく返したことがあった。しかし、脱落することなく最終的に130枚ほどの物語として完成させてくれた。
その後メキメキ筆力をあげ、歴史の嘘を題材に1000枚の長編を書き上げた。
長編を書き上げたことで自信をつけ、今回の平家物語全12巻の私訳を完成させたのである。
腰掛の心算であったこの地を終の地にしたのは手話舞を創出するきっかけとなった小林幸枝であり、終の地の友人第一号が打田昇三さんである。
50歳になったら一切の仕事を辞め、何もせず暮らそうと思っていた小生であるが、60歳に気紛れに講師を引き受けたことで、思わぬ友人が生まれ、小生のスタート地点である演劇表現の世界に戻ることになってしまった。
後悔だとか恨み言など何もないが、つくづくに人生とは愉快なものだと感心しきり。
この地での事の始まりを思い起こせば、全く違う所で打田昇三さんと面識を持ったことであった。打田さんもまさか小生の高座に出るとは思ってもいなかったはずである。愉快と言うしかない。
この地にお近くの方、よかったら石岡市の街角情報センターへ顔を出してみて下さい。
今夜はお犬様の鼾が大きい。
(ヒロ爺)
秋が深まるという言葉を使いたくなくて、秋が老いると表現しているのであるが、考えると妙な表現かもしれない。
晩秋は、秋死暮れと勝手に表現している。
どうやら己の人生に恨みごとでも言いたいらしい。
「らしい」なんて他人ごとのように言うが、実際寿命などは所詮は他人事。
生滅に心を煩わすな、とは言うがその通りだろう。
生滅に自分の意思を働かせることが可能であるならば、それは当然のこと他人事ではいられない。
「秋の老いて酒の旨うなる」
糖尿病が出て、飲み喰いを控えた。命に未練があるわけではなく、失明だとか脱疽などの合併症になると困るからである。心筋梗塞などの心臓病の大半が糖尿病に起因していると言われており、寝たきりになって家族他に厄介をかけることを恐れているからである。
まだ良く飲んでいた頃である。秋が老いて、柿の葉が赤くなると摘んできて皿代わりに白玉梅山葵を作り燗酒を褒めた。
夕焼けた柿の葉には、どう言う訳か白玉梅山葵を添えたくなる。
白玉に裏ごしした梅干しとすりおろした山葵をのせ、醤油を少したらし燗酒の肴にするのである。これがなかなかにいけるのだ。
もうずいぶん長い事そんな風に秋を褒めていないが、気分だけは残してある。
今日の様に夕暮れて一気に冷え込んでくる日などは、夕焼けた柿の葉に白玉梅山葵をのせ燗酒を褒めたくなる。
たまには良いかとは思うが、残念ながら料理用の安酒しか置いてない。
そろそろ足温器を出さないといけないな。
(ヒロ爺)