用がありお犬様と出かけてきて、今戻ったところである。
天空には黄金の満月が光っていた。年の締めくくりの夜には最もふさわしい月であった。
夜気も冷たくなり、吐く息も嬉しくなるほど真白く、街灯に照らされてさらに勢いが増していく。
冷たくて、白くて、黄金の真ん丸。良いな~。綺麗だったな~。
来年は美しく綺麗な一年になってほしいものだ。
それではそろそろ独り喰う年越しの蕎麦の支度でもして除夜の鐘を待つとしようか。
お猫様も、お犬様も炬燵に暖をとってすでに高鼾をしている。
太平な大晦日の晩である。
(ヒロ爺)
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今日は用をすべて終わらそうと思っていたが雨で何もできなかった。年の瀬の押し詰まった雨は、まるで人生訓のようである。年が改まると言っても毎日と同じ時の移ろい。雨が降ったらゆっくり休め、と言ってくれているようである。お猫様・お犬様はお天道様には逆らわない。雨が降れば、一日動かず寝てござる。大した事も出来ず齷齪と一日を使っても24時間は伸びるわけでも縮むわけでもない。
明日は大晦日だと言っても、同じ24時間が過ぎて、次の0時を迎えるだけのこと。お猫様もお犬様もあくせくせず寝ていて小生に処世訓を垂れているようである。それを見てなるほどと感心する小生も大したことはないな。
しかし、よく降る雨である。
(ヒロ爺)
昨日は、ことば座の東京公演の件で出かけてきたのであったが、話がとんとんと進み、日程が確定した。
両国にあるシアターXカイで10月23日~25日である。シアターXカイの館長さんも伊藤道郎の業績をよく承知しており、それに関連しての公演には協力を惜しまないとのことであった。こちらとしては、日程的には早すぎるが来年度中には実現させたいものと希望的なかんそくを抱いていたのであったが、実に思いがけない展開であった。
先週、ホルストの日本組曲のスコアーを編曲者に送ったところであったのだが、考えておいてくれではなく新たな作曲も合わせて6月までには挙げてもらわねばならなくなった。
一月には、伊藤道郎とのつながりのあった人たちへの共演をお願いに動かねばならない。
来年のことを言ってももう鬼も笑わないと思うが、来年は忙しくなりそうだ…いや、大忙しになる。
今日は、朝から晴れ渡ったので、お犬様のシャンプーをしてあげた。先日、高級シャンプー&リンスを買ってきたので、さっそくそれを使ったところ、実に良い香りがお犬様の体から立ち上る。新しい臭いなので嫌がらないかと思ったが、本人は何も気にならないらしい。ドライヤーで乾かし、フワフワした体で家にあがったら、お猫様が早速近づいてきて臭いを嗅いでいた。それで「耳ちゃんも…」と声をかけた途端「私は遠慮しとく」とさっさと炬燵に中に潜り込んでしまった。
(ヒロ爺)
朝は日が射していたのだが、今(10時45分)はもう空は曇り、雪でもちらつきそうな空模様である。
今日は午後から東京まで出かけなければならない。最近、東京に打ち合わせに出るたび帰りは必ず雨が降っている。今日も帰りは雨になるのだろうか。
お猫様、お犬様は午後に出かけることを察知しているのだろうか。何時もと同じペースで家事をこなし二人のブラッシングを済ませたのであるが、まとわりついて離れない。煩いよ!と声を荒げると寂しげな顔をする。甘えてくる振りをして、二人で小生の臭いを嗅ぐところを見ると、アドレナリンの分泌が何時もと違うのだろうか。お猫様、お犬様をだますのはなかなか難しい。早めに、今日はお留守番しててね、と話す方がちゃんと理解してくれるようだ。
夜遅くなりそうなので、今日のノルマを…。
(ヒロ爺)
今朝の寒さは尋常ではなかった。遂に台所の水道が凍りつき水が出なくなった。例年、夜寝る前に水道を暫く出してから布団に入るのだが、昨夜は水道を出すこともせず寝てしまった。夜中一時ごろに水道を一度出しておくと水道管が凍ることはまずない。しかし、昨夜はそれをせずに寝たのであったが、今朝起きて蛇口をひねっても水が出なかった。幸い風呂場の水が出たので困ることはなかったのだが、久しぶりに冬が来たと実感した。道理で昨晩はお猫様が布団から出て行かなかったわけだ。お猫様が腹のあたりにピッタリと張り付いて寝ていると、自由に寝返りが打てないのですっきりとした気分で目を覚ます事が出来ない。お猫様用のヒートマットが炬燵の中に敷いてあるのだが、昨夜は抱かれていた方が温かかったのだろう。
今日は昼間も気温が上がらず、お犬様もブラッシングが終わるとさっさと家の中に入ってしまい、縁側の陽だまりに毛布を引きずっていき、ヌクヌクと寝てござった。勿論、お猫様もお気に入りの陽だまりハンモックに中でヌクヌクと寝てござる。
明日からは天気が崩れる予報であるが、明日は東京で打ち合わせがある。雨でも降られたら嫌だな。お猫様・お犬様同様軟弱になってしまった爺は、雨降りのお出かけは辛い。
(ヒロ爺)
今日も一日霜柱が融けない寒さだった。午後二時ごろに庭に出て霜柱を押してみたらサラサラと音を立てて倒れるので、竹箒を出してきて霜柱倒しをした。朝の寒い時間は一寸押したくらいでは倒れないし、足で踏みつけても潰れることなく体を支えていたのであるが、午後の日に照らされると柱も緩んでくるようで、竹箒で払うと綺麗な音を立てて倒れる。
霜柱を倒すと、夏の間に根を張り巡らしていた野芝のような雑草が根こそぎ剥がし取れる。それで霜柱と一緒に山を築き、春先には腐らして肥料にしてやることにした。
霜柱を倒す音は実に綺麗な音である。細いガラスの触れ合う音よりも柔らかく、心を和ませる言葉をくれるようである。この冬は、霜柱の色々な音を愉しんでみようと思う。
今日は実に愉快な発見をしたものだ。もっと寒くなると、もっと高く伸びた霜柱が違う音を聞かせてくれるに違いない。人間、愉しむ気があれば何ででも楽しむ事が出来るものだと自分に感心した今日であった。
(ヒロ爺)
今日はクリスマスだよ、とお猫様お犬様に話しかけてみたが、二人に無視された。お猫様もお犬様も特別の日はいらないという。毎日が変わらないことの方がどれ程か良いのだという。
何の言葉も交わしてくれない二人になり切って自答をしてみて気づいた。本当にそうだ、特別を望むよりも変わらぬ毎日が一番良いのだ。日々平安なのだ。
昨夜本を読んでいてこんな言葉を見つけた。70歳には70歳の技と感性がある、と出ていた。クリスマスが終わると間もなく年が改まり、一年が積み上げられる。ああまた一つ年寄ったかと思ってしまうのだが、一つ年寄れば新しい技が一つ積みあがるのだと考えれば元気な希望を感じる事が出来る。
そうだ、これからは一つ年寄れば新しい技と感性が積みあがると考えて、欲を張らない希望を紡いでいこう。
「昨日が過ぎて今日が来て明日への道を行く」
(ヒロ爺)
庭の霜柱が一日融けないでシャンと立っている。庭に出たお猫様、一歩歩くごとに両手両足をプルプル震わせ着いた霜を落としている。
朝、庭の水槽でジャバジャバと音がしていると思ったらヒヨドリの番がやって来て水浴びをしていた。寒くないのだろうかと心配したが、気持ちよさそうに何度も何度も水に飛び込んでいた。朝日が当たっていたから気持ちが良いのだろう。
お犬様だって一昨年の冬は竹藪の枯葉に寒さをしのいでいたはずなのだが、今はすっかり軟弱になって寒いと庭に出ようとしない。庭に出ても霜柱の無い敷石だとかコンクリートの上しか歩かない。しかも、数分もするとお家に入ろうよと言う。お猫様の方が元気だ。
家に入ると、お猫様と二人炬燵の中と外で暖を取っている。
年末だから、そろそろ大掃除でもしようかと考えながら、今日は小掃除にして、部屋の小模様替えをした。最近は文庫本しか買わないようにしているのだが、机を囲んでいる本棚がいっぱいになってしまった。何とかしなければならないが、さて、どうしたものか…。
(ヒロ爺)
からりと晴れあがるのかと思いきや、雨が降らないだけの憂鬱な空模様。こんな時は、お猫お犬様に倣って炬燵に丸くなって終日ゴロゴロが良い。テレビをつけても何もやっておらず、昼寝するしかない。それでも有馬記念のレースの時だけテレビをつけて師走の気分を味わった。
明日はクリスマスイヴであるが、何の予定もない。もともと我が家は、父が牧師もやっていたのでクリスマスと言うのは大騒ぎする日ではなく礼拝の日であったので、クラッカーを打ち大騒ぎするクリスマスはなかった。だからこんな風にクリスマス三連休を炬燵で丸まってゴロゴロと来し方を感謝してみるのも悪くはない。
毎日休みのようなものだけれど、三連休と聞くと矢張り気分は嬉しくなってくる。明日もう一日休みだな、と思うだけで幸せな気分となる。
(ヒロ爺)
明日の夜から寒波が日本の上空にやって来るのだという。外に出している植木鉢の霜よけ養生をしてやった。たいした鉢があるわけではないけれど、枯らしては可哀そうだ。去年、サボテンをうっかり家に入れ忘れ、霜でやられてしまった。もうだめかと思っていたが夏ごろから小さな芽が出始めて、花こそつけなかったが、もう立派に伸びてきている。
万年青は、寒さに強く、霜でカチカチに凍ってもしっかり生きている。しかし、強いということで霜が好きなわけではないだろう。廊下に入れておくと新しい芽がどんどん伸びてきていつも艶やかな青の色を見せてくれる。
鉢植えだとか盆栽、植木などの趣味はないのであるが、秋になったら枯れるものでない限り、寒さで枯らしたり殺したりすることが嫌で、大した手入れをするわけではないが、我が家の鉢物はもう二十年以上になるものばかりである。東京から石岡に越してきたときに、2月と言うこともあり、急激な気候変動で何鉢かを枯らしてしまったがそれ以外は一応元気に命をつないでいる。
冬の元気の基になる柚子がそろそろなくなってしまう。またどこかで調達してこなければ。
(ヒロ爺)
今日は冬至である。風呂に柚子を浮かべようと思ったら、大量にもらった柚子を全部砂糖漬けにしてしまって、一個も残っていない。以前は加熱した柚子ジャムを作っていたのであるが、去年からは果汁を絞り皮をスライスして砂糖で漬け込んで保存している。それを毎日お湯にとかして飲んでいる。これが実に風邪予防に効果がある。と、小生は信じているのだが…。
冬至なのでかぼちゃスープでも作って、と思ったが面倒になって(生クリームを買いに行くのが)止めてしまった。そう言えば、北海道に居た頃(S26年まで)南瓜を蒸かしてホクホクなのを食べた記憶があるのだが、最近の南瓜は、そんなホクホクなものは見かけない。大きさも小さくなり水っぽいものが多い。懐かしいホクホクの南瓜を食べたくなったがスーパーを覗いてもそんな南瓜は置いてない。
そう言えば今日は、マヤの言い伝えからすると地球滅亡の日なのだそうだが、福島県で地震があっただけで未だ無事である。日本滅亡にもなりかねない最新の地震災害マップが今日発表された。太平洋側の全てがM7の地震の可能性があるのだそうだ。この石岡は地震に強い地盤だなんてことを言っていたように思うが、M7以上を示す真っ赤に染まっていた。いつ起こるのかは分からないが、覚悟だけはしておいた方が良いだろう。
我々が住んでいる地表はマグマの皮のようなものなのだから、何時大変動があっても不思議ではないのだから、その覚悟はいつも持っていなくてはいけないだろう。でも、この寒い冬の災害は一寸ご勘弁願いたいものである。
(ヒロ爺)
今朝は本当に寒かった。明け方、背中が冷たくなって目が覚めた。それもその筈、お犬様が小生の腹のあたりに丸まって寝ているものだから、掛布団の半分近く占領されて、背中の部分が大きく開いているのである。これでは風邪をひいても仕方がない。だが有難いことに、この十年ほどは風邪をこじらせたことはない。ことば座の定期公演の前に喉が少し痛くなりヤバイと思ったが、それだけで終わってしまった。
今月の頭に、カボス、柚子を大量にもらい毎日カボス湯、柚子湯、そして生姜湯とコーヒーをがぶがぶ飲んでいる。トイレが近くなるのは少し参るが、体調は良好である。柚子とカボスでビタミンCを大量に摂り、生姜湯で内臓を温め、コーヒーでポリフェノールを摂ってこの冬は元気でいこう。
朝、部屋を暖めるため石油ファンヒーターを点けるのであるが、ボンと着火音が聞こえると、お猫様、お犬様が早速やって来て温風の吹き出し口を二人に占領されてしまう。小生は二人のおこぼれの暖気を頂きながら震えながら新聞を読む。お姫ィ~様二人は天国、爺は地獄。
(寒~いヒロ爺)
明日の朝は相当に冷え込むのだそうだ。今外に出てみたら、月はもう西の方に大きく傾き、真上の天は星達の瞬きが犇めきあっている。冬の晴れわたった夜空のシャープさは寒さを我慢すればこれほど美しいものはない。瞬くプラチナの鋭い剣先は肉体の奥底まで突き通ってくる。
外に出ようとしたらお猫様が飛んできたが、玄関から入り込む冷気を感じて急ターンして部屋に駆け込んでしまった。
今日は、ことば座の来年の企画打ち合わせで、小林を連れて土浦で久美ちゃんと会う。今年のことば座を振り返ると、新しい展開が生まれ良い一年であったが、来年は今年以上に愉快な年になりそうである。
昨夜、布団に入り自分の来し方を振り返ったら、何と来年は表現生活50年になる。最初に演劇に足を突っ込み、映像の世界に移りそして再び舞台に戻ることになったのであるが、もう半世紀になるのかと思ったら、感慨と言うよりはビックリだぁ~ッ。
本当にヒロ爺なのだ。
(ヒロ爺)
土曜日にフェイスブックのお友達を承認するように弟子だったプロデューサーに言われて、ハイハイと認証したら、毎日メールボックスにゾロゾロ、ゾロゾロ知らないお友達が飛び込んでくる。何だ何だ、いったいどうしたというのだ。フェイスブックで何をするんだと弟子に言ったら、見てれば良いと言われた。歳をとると無条件で受け入れるのはかなり勇気を要することを理解していない。
インターネットでの検索を漸く使えるようになったばかりなのだから、あまり色々あれこれとやることを言われると正直パニクッてしまう。
このヒロ爺は、お猫様、お犬様と涎を流しながら昼寝と言うのが一番性に合っている。
まあまあボツボツマイペースで皆を追いかけていくことにするか。
ついさっきまでお犬様のご機嫌が凄く良くて、タンタランダンス、マムマム、ネロネロをやらされ大騒ぎ。お猫様が呆れてキャットポールの上から見下ろしていた。
(ヒロ爺)
昨日からフェイスブックを承認させられて、参っている。何だか知らないがゾロゾロお友達なるものが飛び込んでくる。朝から良く解らずてんてこ舞いしている。
この呟きだけで精一杯なのに。
お猫様、お犬様のことを書いていると「なぜ写真を入れないのだ」と言われるが、文章だけで十分である。これ以上ややこしいことは出来ない。
歳をとると新しいことを覚えるのが大変なのである。そうでなくても、アナログ人間にはPCを扱うのが大変なのだ。原稿を打つのと、メールが出来ればもうそれで十分。なのに若者たちはあれこれやらせようとする。
全く大変だ。これ以上ヒロ爺を虐めるな!
(ヒロ爺)
何だか実りの期待できそうにない選挙であるが、誰がやっても同じだ、とはならないでもらいたいがさてどうなるものか。
今日は暖かく、昼寝には絶好の日中であった。金曜・土曜と東京に出かけてきた所為で、今日はどっと疲れが出てお猫様、お犬様と縁側の陽だまりに昼寝する。温室のような縁側につくる昼寝は実に幸せ気分である。お犬様が寝言のように声を出している。
こんな昼寝のような平安な気分を創造できる政治家が生まれてくることを唯々願うのみである。
今夜は開票速報でテレビは賑やかなことであろう。しかし、詰まらぬコメントしか言えないゲスト・コメンテーターは願い下げである。余計な番組せず、淡々と速報だけを流してくれていればいいと思うのだが…。
(ヒロ爺)
昨日は東京へ打ち合わせに出かけ泊りだったので、この呟きもお休みにした。
東京でのことば座公演の話しは順調に進んでいるが、正式に決まると大した忙しさになるかと思うとちょっと気分が滅入ってくる。しかし、今進めている企画はぜひとも東京公演をやりたいと思っているので、弱音を吐くわけにはいかない。
昨晩、家に居なかったので、帰ってきたら大層な歓迎を得られるものと期待していたのであるが、お犬様は無感動に近い態度である。ただ今と声をかけても、フワフワ毛布のお犬様ベッドに埋まるように寝ていて、眼だけをチラリと送って来るだけである。何だお愛想のない奴だな、と声をかけると、炬燵からお猫様が飛び出してきて飛びついてきた。
「ああ、耳ちゃん有り難う。可愛いよ」と抱き上げてやる。何時もならお犬様は対抗するように飛びついてくるのだが今日は無視の状態。まるでお泊りを非難するかのようである。
お猫様は今も膝の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。
(ヒロ爺)
今日も朝から寒く、庭の霜柱が一日融けなかった。
公演が終わり、会報の印刷も終わり、何もやることが無くなったはずなのに毎日時間が足りないほど忙しい思いをしている。何か特別なことをやっているわけではない。朝6時に起き、夜11時過ぎに布団に入るまで実に忙しいのである。
それで、何がこんなに忙しいのだと考えてみるが何も思い当たらない。家事を真面目にやったら休む暇もない、とは言われるがどうやらそういうことらしい。妻と二人だけの生活なのに何でこんなにやることの量が多いのだろうか。決して要領が悪いわけではない。自分では要領がいい方だと思っているのだが。
やっと自分の時間になって、机に座り書き物を始めると、お猫様がやって来る。トイレをしたから片付けろというのである。お猫様は、自分が用足しを済ますとすぐにそれを処理してくれないとご機嫌が悪いのである。早逝した耳ちゃんの子供、ボーイが居たころからのトイレでかなり大きなもので、直ぐに処理品くれも大丈夫なのだが、ボーイが生きていた時からの習慣で、用足しが済んだらすぐに処理することを望むのである。
耳ちゃんの相手をして終わると、次には愛々ちゃんがやって来て「好い子、好い子」をせがむのである。全く落ち着かない、気忙しい一日である。
さてさて、今夜中に企画書を書き終えねばならない。明日はそれをもって東京へ打ち合わせなのだ。
やれ、忙し忙し。
(ヒロ爺)
我がお犬様、すっかりと座敷犬になってしまい、先輩のお猫様に倣って炬燵から離れようとしない。炬燵布団に伝わってくる暖かさがすっかり気に入ったようである。一日動こうとしない。呼んでも傍にもやって来ない。
何かを煩く要求されることを考えると、有難いことではあるが午後のトイレタイムで庭に出ようと言っても、今日は水を飲んでいないから夕方の散歩まで外に出ない、という。何たることか。
今日は何年ぶりかで企画書を書いている。昔のようにパッパと書けない。というか企画書を書くコツを忘れてしまっているようだ。まあ明日一日の猶予があるから何とかなるだろう。
夕方、某新聞社から今回の選挙についてのコメントを求められた。だが、多くの人がそうだと思うが今回は判断の基準がとれない。
小生は、支持する政党は持っていないが、どの政党も具体策の持っていない絵に描いた餅、…よりも悪いかな? で判断の基準となるものがない。テレビなどを見ていても、具体策をきちんと答えられている政党はない。白票を投ずるしかないような気がするが、それでは自分の一票の責任を負うことはできない。困ったなとばかりは言っていられない。ハ~ッとため息が出る。
(ヒロ爺)
この数日、午後になると強い木枯しが吹く。午前中の穏やかな日差しの中にはお猫様もお犬様も外に出ようというと大喜びをするのだが、午後の3時近くになると縁側にも日が当たらなくなり、二人とも炬燵に暖を取りたがる。
流石にお犬様は、炬燵に潜り込むことはないが、こたつ布団にピッタリと張り付くようにして寝そべっている。
小生が炬燵のスイッチを入れ忘れていようものなら、先ずお猫様が文句を言いに来て、次にお猫様に倣ってお犬様が文句を言いに来る。お犬様は、昨年の冬は縁側廊下にハウスを置いてそこに過ごさせたのであった。それでも野良の竹藪に比べれば天国と地獄の差があったはずである。ところがこの夏以後は座敷犬になってしまい、極楽生活が当然になってしまったのである。
小生、我が家の山の神につくし、お猫・お犬様につくし、もうもう大変である。そうか、今改めて思い返すと、我が家は小生を除き全員女性である。女性の我儘、ヒステリーには勝てない。
吾がデスクの部屋には足温器一つだけ。去年は耳に霜焼けをこさえてしまったので、今年は準備万端耳あてをしている。しかし、耳が遠くなり三人の女どもに「ぼけ老人になったら面倒を見ないからね」と言われている。
寒さが余計に堪えます。
(ヒロ爺)
一日冷たい風が吹き荒れていた。大雪の所も多いという。
稽古場に行く途中、DVDを買うため電気量販店に寄った。こういう店では、ほとんどが入り口そばに障碍者用の駐車スペースが設けられている。何処の店でもそうだが、そうしたスペースがもう少し多くとってくれた方が良いのにな、と思っている。
今日はその障害者用スペースに、瞭かに健常者と分る小生ぐらいの年齢の夫婦がやって来て駐車した。妻の方は止まるももどかしそうに降りて店の中に入っていく。運転手の方はそこが入り口に一番近くだから停めたと言わんばかりの顔つきで社内にふんぞり返っている。小生、虫の居所が悪かったわけではないが、こうした輩には少し不愉快な思いをさせないとと窓をたたき、開けさせて「ここは障害者のためのスペースだが」と言ってやった。知ってると平気な顔でいうので、「いい年をした者のすることではないだろう」というと、いい年だからやるのだという。そして足が痛いから障害者だとい言うのだった。
小生些かカチンと来たので、障害者ステッカーは張ってないし、障害者手帳は、と言ってやると今度はそんなんのはないと開き直るのである。
故立原正秋氏の小説に「下衆は殺せ」という言葉が頻繁に出てくる。このヒロ爺もこれには賛成である。実際に人殺しをするわけではないが、このような恥知らずの下衆は殺しても良いという感覚は充分に持っている。
その爺さん運転手(小生よりも若いかもしれないが)言葉が詰まると、お前の店じゃないんだからゴタゴタ言うなと言うとこちらを見なくなった。
何と情けない人格だろう。注意されたら、すいませんとでも言って直ぐに改めればいいのであるが、こうした頭の悪い下衆はそれができないのだろう。
それこそこんな言い方は短絡しすぎであるが、こんな者達ばかりだからこの町は寂れてしまったのだろう。今は未だ寂れる余地が少しは残っているが、こんな状態だとそれも直ぐに失せてしまうに違いない。
今日は、恥ずかしい我が街の顔を愚痴ってみた。
夕方から暖房を点けたらお犬様は、今もまだぬくぬくと爆睡している。さっきまで遊ぼう遊ぼうとじゃれついていたお猫様は、今は炬燵に爆睡している。
(ヒロ爺)
やれやれ本格的な冬がやって来てしまった。
朝庭に出てみると、今朝の霜柱は5センチまで伸びていた。もっと冷え込んでくると地表から絞り出されるかのように10数センチもの長さになって、捩じれるような形の霜柱で埋まる。
霜柱が立ってくるとお猫様は外に出たがらない。霜柱の上を歩いては、手足をプルプル震わせ、霜を払うしぐさをしながら「もう家に入ろう」と大声で訴える。
今朝は、無理やり抱っこして外にだし、話してやるとその場にフリーズして「家に入るぞ!」と小生を威嚇するのであった。やっぱり嫌かと、家に入れてやるとお犬様もちゃっかり家に上がってしまった。
昼過ぎに散歩に出ると、紫式部が垂れ下がっている庭に出会った。陽に照らされた紫式部の美しさについ見とれてしまった。そのうちどこかで千両、満了に出会うことを楽しみにしている。
(ヒロ爺)
今日もまた地震が来たかと思ったら、突風であった。今もまだ吹き荒れている。気温も雨戸を叩く風の勢いの合わせて下がっていく。エアコンを点けたら、お犬様は温風のいちばんくる場所にちゃっかりと移動して寝ている。
今日は、今年最後の会報の印刷で、漸くのんびりできそうになった。
これからゆっくり風呂に浸かり、何もしないでお猫様を抱いて寝ることにしよう。
たまには早く寝るのもいいだろう。年寄りは、早寝早起きなものなのだから。
(ヒロ爺)
夕方近くにお犬様が突然ゲエゲエと吐き出した。草を大量に食べたらしく、長い草の葉がとぐろを巻くようにして吐き出された。後始末をしてやれやれ、と思っているところに今度は地震である。かなりの揺れである。震度四ぐらいかと思ったが、なかなか収まらない。長い。まさか東京大地震ではないだろうなと心配になる。
揺れがようやく収まり、慌ててテレビをつける。またまた東北で、津波警報が出た。
先日の公演で石巻で被災したきもので作った衣装で舞いを舞ったのであるが、また大津波が来たらどうしようと気が焦る。お犬様は、脇にピッタリと張り付いて離れない。もしかしたら、さっきゲロを吐いたのはこの地震の予知なのか?と思ってしまった。お猫様も一瞬炬燵から出てきたが、中の方が安心と思ったのかまた炬燵に潜り込んでしまった。
ガスも自動遮断したから、矢張り大きな地震だったのだ。
幸い津波が大きくなくて良かった。
兎に角天災は怖い。人知ではどうにもできないのだから。
(ヒロ爺)
午前中、ギター文化館へ出掛けてくる。快晴の師走の里山は、今が紅葉の盛りと綺麗を染めていた。
朝、お犬様にシャンプーをしようかと思ったのであったが、風が冷たそうなので止めにした。しかし、ギター文化館に出かけてみると実に気持ちのいい晴れ間だったので、早々に用を済ませ、お犬様のシャンプーをすることにした。最近は、風呂でシャンプーをしてあげているのであるが、ベビーバスにお湯を満たすと、お犬様は温泉にでも入っている気分でリラックスして風呂を愉しんでいる。お猫様がときどき覗きに来ては「ミュー。お前風呂が好きなのか」と言って帰る。
庭のブラッシングテーブルに乗せるまではブルブルもせずお利巧にしている。タオルでざっと拭いて「ブルブルいいよ」と声をすると漸く思う存分のブルブルをする。
温風を当てると、また風呂にでも使ったように目を細めてジッとしている。
お猫様がキャットタワーから我々を見下ろし「私はシャンプーは必要ないからね」と毎度の答えをくれている。
ドライヤーをかける頃から風が強くなり、午後には窓をガタガタ揺らしている。
さあてこれから明日まで、小生のバタバタが始まる。
(ヒロ爺)
ことば座の公演が終わり、本当はホッと一息つけるはずなのであるが、講演終了の翌日から実に慌ただしく忙しい。これって矢張り師走の所為なのだろうか。
昨日久美ちゃんからメールが来て、伊藤道郎の資料を送ってもらったのでしたが、それを見ながらまたまた自分を忙しくするような企画が思いついてしまった。何とも落ち着かない爺さんである。
お犬様の体臭が強くなって来たのでシャンプーをしなければならない。今日はいい天気だったので、絶好だったのであるが用があり出来なかった。明日かな、と思い天気予報を見ると雨になっていた。お犬様をシャンプーしたのが十日ほど前だったような気がするが、安いシャンプーを使うと芳香作用が低いのか、直ぐに体臭が漂うようになってくる。夏のシャンプーは楽なのだが、冬のシャンプーは古民家様の我が家は重労働となる。寝ていて気が付くと小生の枕を共用して寝ているのだから、綺麗にしておかなければならない。お猫様は小生の腹の所に丸くなってぬくぬくと寝ているし、小生三人の女にこき使われている感じである。
(ヒロ爺)
我が家のお猫、お犬のお姫ィ~様は寒くなってきたら、昼寝が仕事だと思い込んでいるらしい。しかも、暖房の下にである。お猫様は炬燵の中で、お犬様は炬燵布団にピッタリと張り付き毛布を掛けてもらっている。少し前に、膝掛けの毛布を掛けてやったら、それが気に入り、炬燵布団に張り付き膝掛け毛布を掛けてもらうことが当たり前になってしまったのである。何だ、何だと思うが、二人が静かだと自分の様が捗るので、これは有難い。
日曜日に公演が終わったばかりだというのに、もう次の次の舞台の発想が生まれ、頭の中に物語が駆け巡りはじめた。何だってこんなにやることを増やすのだろうかと思うが、何もやることが無いよりは良いかと自分を慰めている。
今日、舞踏家の久美ちゃんから伊藤道郎の資料が届いたものだから、またまたそれに刺激されてこんな舞台が面白いかな、なんて思ったりしている。困った爺さんかな…。
(ヒロ爺)
定期公演が終わり、ホッと一休みしたいのだが、やらねばならないことが山積みにある。
お猫様、お犬様が一日昼寝の姿を見ていると些か腹が立ってくる。だが、お二人さんが炬燵に昼寝を見て八つ当たりに腹を立てるわけにもいかない。煩く抱っこだとか遊ぼうと呼びに来るよりは昼寝していてくれる方が助かる。
夕方、お犬様の病院なので連れて出かけてきたが、お犬様その時に起きたきり、後はずーっと寝ている。
夜の散歩もショートカット。
ああ、爺も一日寝過ごして居たいなぁ~。
(ヒロ爺)
昨日、今日と行われたことば座の公演が終わった。今回は、何故だか分からないが気持ちが慌ただしく、全てが滑り込みセーフの状態で事が終わったように思う。公演の出来は、まずまずというかほぼ上々であったといえよう。
ギター文化館でクラリネットの演奏で朗読舞をするという目論見がほぼ達成できたと思う。ギター文化館でクラリネットと朗読をコラボレートさせてみて、改めてクラリネットとは木管楽器だと実感させられた。その事だけでも今回の公演は90%達成できたと思っている。それに朗読、手話舞、モダンダンス、クラリネットの自在な調和がプラスされるので、満点とは言えないがそれに近いものがあったと自画自賛している。
公演が終わるまで慌ただしい気分が抜けなかったが、終わって全員でアルコールの乾杯は出来なかったがコーヒーの香りの中での「お疲れ様でした」の声には麻薬のような快感があった。
(ヒロ爺)
公演初日の所為もあって、慌ただしい一日であった。
公演の出来は、初日と言うこともあって十分満足というわけにはいかなかったが、まずまずであろう。ユッキーちゃんはやや入れ込みすぎて感情のとり方にむらがあり、だいぶ台詞を飛ばしていた。
しかし、明日は感情のコントロールもしっかりとれるようになるだろうと思っている。
クラリネット奏者の橋爪氏夫妻が、今夜はギター文化館泊りなので、一緒に夕食をして帰って来たので帰りがが今になってしまった。
今日のメインとなる恋物語百の第31話は、地球にやって来た龍が自分の星に帰るという話であるが、公演の中休みの時に、向かいの里山を一本に伸びた霧が、まるで龍のごとくに立ち上って行った。ちょっと感動的であった。
さあ、明日は完璧な舞台にしたいものである。
(ヒロ爺)