移ろう日を数えるなと言う。余命幾月などと宣告されたとしても、移ろう日を数えてはいけないのだという。明日の事も思い煩うな、と言う。明日を思ったり考えたりしても、また何も考えなくとも目覚めれば今日になっているのだから、なのだそうだ。毎日、目覚めて今日が居る、と思えればそれでいいのだ。目覚めて今日になっていれば腹が空き、美味い物が食べたくなり、食べたら糞がしたくなる。日の移ろいとはそういうもの。勤勉も怠惰も捨てて目覚めれば今日が居る、と毎日を過ごしたいものである。
庭のトマト、今日は4個赤く色づいていた。どれもまだ触ってもポロリと掌に零れ落ちてこないから未だ完熟ではないのだろう。今日はポテトグラタンをしようと思っていたのであったが、気づいた時はパスタを作っていた。ポテトグラタンは明日にしよう。
今日も一日平安であった。
(ヒロ爺)
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気温は結構上がったが風は爽やかで、昼寝をしていると風の冷たさを感じるほどであった。その所為かお猫様もお犬様も快適な午睡を貪っている。彼女ら二人を見ているとこちらも瞼が閉じてきて、一緒になって爆睡。
三時過ぎ庭に出てお犬様と遊んでやる。最近お犬様は遠くに散歩に行くよりも庭でぶらぶら遊びが気に入っているようである。先日ジャガイモを掘ったので、すっきりとした感じになり、おまけに畑を均したものだからお犬様の穴掘り遊びが楽しいらしい。もう少ししたら何かを植えようかと思っているが、何にすべきかまだ決まっていない。
イモの葉が無くなり、風通しと日当たりが良くなったの所為か、トマトが二つ赤くなってきた。明日か、明後日か、今年のトマトの出来具合を試食できそうである。
そう言えば昨夜、収穫したジャガイモを蒸かしてジャガバタをしたがホコホコの美味しいジャガイモであった。あすはジャガイモのグラタンを作って食べようと思っている。
トマトが色づき始め、オクラがすくすくと伸びてきて真夏の食事が楽しみである。
(ヒロ爺)
明日は雨だという。夕暮れの空を見上げていたら蝙蝠の乱舞する沢山の姿をとらえることができた。バカみたいの天を見上げて蝙蝠の乱舞する姿に見とれる。蝙蝠の舞う姿は左右の予測が全くつかない。音波を当てて虫を捕獲しているのだから当然だろう。逃げる虫たちだって必死なのだから。虫の姿は見ることはできないが、たくさんの蝙蝠が舞っているのだから捕りつくせないほどの虫が飛んでいるのだろう。小生の坊主頭に蚊が何匹も喰いに来る。蝙蝠の飛ぶ高さには蚊はいないだろう。もう少し低空飛行して蚊を退治してくれたらと思うが、そうはうまくはいかないようだ。
最近、暖かくなってきたこともあってかヤモリが良くガラス窓にへばりついている。ヤモリは蚊を摑まえて喰っているのであろうが、ヤモリが喰うかの数なんてたかが知れているだろう。一雨降って水たまりができると、そこからワッと蚊がわいてくるのだから少々の天敵がいたからと言って、蚊が減るということはないだろう。
明日からまた雨になると、トマトの色づきがまた遅くなるし、甘みの薄いトマトになってしまう。早くからっとした夏に来てほしいと思うが、この梅雨の季節がないと困ることもあるのだろうから、時を待つしかないだろう。
お犬様は爽やかな気温に一日快適に寝ている。お猫様が時々鼻先に行って窺っているが全く気にせず眠りこけていた。お猫様、お犬様は本日も太平なり。
(ヒロ爺)
今年は出来すぎのジャガイモに気分も豊かになって、毎日ジャガイモ料理をして食べている。少し前に、近くの百姓家から沢山の新ジャガを頂いたものだから、なおのこと毎日ジャガイモを食している。小生イモ類が大好物で、特にジャガイモが好きである。和洋中、料理の幅も広いのが良い。それにサツマイモと違い不思議とガスが溜まらない。どうやら繊維の問題のようである。
夕方、NHKの若きディレクターからメールが届いた。先日放映された「朗読手話舞」が今週金曜日(29日)11時30分からの「とれたてワイドいばらき」の中で再放送されることになったのだそうだ。直ぐに再放送があるというのは、番組の評判が良かったのかな。そうならば嬉しいことだ。小林にとっても若いディレクターにとっても少しでも評判の高まってくれることは嬉しく有り難いことである。前回に観損なった人は勿論のこと観た人ももう一度ご覧頂けたらと思う。特に若い人たちの頑張っているものは一生懸命応援してあげねばと思う。
(ヒロ爺)
日差しはあるが何とも冷え冷えとした風なのだろう。爽やかと言えば爽やかなのだが寒いと表現した方が正確である。お猫様も昼間から小生の膝にすっぽりと丸まっていた。お犬様は非常に快適らしく一日ぐっすりと眠ってござった。
今日、久美ちゃんから公演の時のビデオが送られてきて見ていたが、ユッキーちゃんの舞が随分と大きくなっているのが良くわかる。これでもう少し腰がしっかりと座ってくれば、上体の演技がもっと大きくスケール感が増してくるだろう。二人の舞姫を見ていると、もう少し大きな舞台に舞いを舞わせたいと切実に思えてきた。
ギター文化館での舞いは通常の舞台とは違った面白さがあるのだが、二人が同時に舞うのには矢張り狭く、舞動作が制限されてしまう。しかし、限定された舞台に大きなスケール感を見せられる舞が創れるようになれば一人前と言えるだろう。
(ヒロ爺)
夕方近く急に思いたってジャガイモを掘ることにした。種芋を10個植えただけなのであるが収穫は予想以上であった。草むしりの時には家から出てこようとしないお犬様が、畑を掘り起こし始めたら急に出してくれと大騒ぎする。お犬様に邪魔されながらジャガイモを掘りはじめたのであるが、丸まると成長したジャガイモが土の中からゴロゴロ出てきた。それで夕食は早速そのジャガイモを蒸かして主食とした。本当は掘りたてよりも少し寝かせてからの方がうまみが増してくるのだが、掘りたてを直ぐに蒸かして食べるのは気分が美味しい。
生産と言う言葉はもともとは農業用語なのであるが、こうして収穫したての食物を口にしてみると農業こそが生産だ、と感じることができる。漁や猟は同じ食料にかかわるのであるが矢張り生産とは言い難い。
これまで蒸かしたジャガイモなど見向きもしなかったお犬様であったが、今日はどういうわけか自分にもくれと言ってきかなかった。それで少し手に取ってやるとハフハフとうまそうに食べるのであった。本当は邪魔してくれただけなのだが自分では一緒に手伝ったつもりでいるらしい。お猫様はさすがに食べるとは言わなかった。
本日は満足なる夕食であった。
(ヒロ爺)
五月晴れと言うともともとは梅雨の晴れ間のことを言った。旧暦の五月は現在の六月の事である。五月雨をあつめてはやし最上川、の句の五月雨と言うのは梅雨の雨の事である。
梅雨の晴れ間と言うべきなのかちょっと躊躇われるが、梅雨入りをしたのだからまあそれで良いのだろう。しかし、今日は梅雨の晴れ間と言うにしては湿度もなく爽やかすぎる一日であった。
メディアを興味本位に賑わせている消費税をはじめとする政局がらみの馬鹿騒動も、今日の爽やかすぎる五月晴れを見習ってみたらどうだろうか。立原正秋氏が生前良く書いていた言葉に「信じられるのは美」があるが、中世以降信じられるのは正しく美だけである。小生も文化の美の中に身を置いて下界の卑猥なる喧騒をシャットアウトしたいものである。
今日もジャガイモの実をしげしげと見つめて、お前さん本当に食えない奴なんだ、と声するが当然のこと応えはなかった。
(ヒロ爺)
今朝、某情報紙を見ていたら、ジャガイモの実の事が出ていた。つくばでもミニトマト大の実が着いたというものであった。ジャガイモの花に実をつけるのは非常にまれなことのようである。だがこのジャガイモの実には有毒物質があり食べてはいけないと出ていた。
小生、植物図鑑でナス科の植物と言うことだけを見て、トマトと同じ仲間だからトマトに類似した実がなるのだと思って終わりにしたのであったが、臭いを嗅いだとき何となく危険そうな感じがしたので、食べなかったが大正解であった。
我々が実のつもりでいるジャガイモは、地下茎の部分つまり根っこが丸く太ったもので実ではなかったのである。
しかし、ジャガイモに実をつけるのは非常にまれなことのようなので、我が庭の畑に稀なるものが生ったことは実に愉快なことである。しかも、小生の野生の勘が食中毒を防いでくれたのだから益々愉快なことである。
(ヒロ爺)
今年はジャガイモの幹や葉が栄養が行き届いたのか美事な生育を見せた。ジャガイモの花も綺麗に咲きまるでお花畑のようであった。昨日昼間、台風になぎ倒されたジャガイモの茎を切り落としていたら、花の後に小さい小さいトマトのような実がついていた。これまでも毎年ジャガイモを10個ほど植えて新じゃがの味を褒めたのであったが、今年のように花に実が着いたことはなかった。派手さはないが綺麗な花であるが、その実も小指の頭ほどの大きさであるが、トマトにそっくりな実である。実をナイフで割ってみると、矢張りトマトと同じように種の部分と果肉の部分が分かれてあった。どんな味なのか舐めてみようかと思ったが、下痢でもしたら困ると止めたのであるが、臭いを嗅いでみるとトマトの葉ほど強い臭いではないが、似たような臭いがした。
早速、植物辞典をめくってみたら、ジャガイモもトマトもナス科の植物であった。成程、同じような実をつけても不思議ではないのだ。
大発見であった。
(ヒロ爺)
6月公演を中心に、本日ことば座のユッキーちゃんの紹介するNHKの番組放映があった。水戸局の若き女性ディレクターの苦心作であったが、良くまとめてあった。ユッキーちゃんも綺麗に映っていた。久美ちゃんの話はユッキーちゃんを端的に評価した良い言葉になっていた。これで今年の前半の行事はすべて終わり、明日からは後半に向けての執筆、来年に向けての企画を立案しなければならない。昨日少し書いたが、舞踊家の久美ちゃんから12月公演の台本打ち合わせ日が決められて届いた。それによると、明日からでもとりかからねば間に合わなくなってしまう。今夜は、お猫様を抱いてはやめに寝るとしよう。
(ヒロ爺)
公演が終わり、海外遠征がながれ、少しは時間と暇ができるかなと思いきやなかなかどうしてのんびりとはならなかった。午前中に、久美ちゃんから年内のスケジュールが送られてきた。久美ちゃんも相当な多忙である。しかし、12月公演での企画打ち合わせ、台本打ち合わせ、台本完成のスケジュールが、あたかもこれが決定ですと言わんばかりに書き込まれていた。久美ちゃんは10月にはアメリカに伊藤道郎メソッドを教えに2週間ほど出かけるのだ。そうした多忙を抱えながら、この日はことば座の打ち合わせを…とスケジュールの線引きがなされてきた。
三日間の公演ですっかりと老いを自覚させられたのであったが、その老いを自覚した途端、焦りではないだろうがやらなければならないことが押し寄せてきた。6月公演の稽古の最中に、12月公演は何をモチーフに本を書きます? と言われてドキッとしたが、冗談ではなく本気のようだったのだ。
先の色々なことはマカオの公演が終わってからと思っていたのであるが、マカオが無くなったと決まった瞬間に、色々なスケジュールが一気に押しかけてきた。
何だか生き急いでいるようにも思えなくもないのだが、老いの身に多忙が押し寄せてくるなぞ有難いことなのかな?
(ヒロ爺)
突然に雨風が強くなってきた。庭の畑はそれなりの養生を済ませたが、あまり激しい風が吹かれたらちょっと心配である。この梅雨の台風、色々なものを舞い上げながらやって来る。
8月にマカオでの公演が決まっていたのであったが、予定の劇場がおさえられなくなって中止との連絡が入った。中国の話だから行ってみるまでは分からないなと思っていたのであったが、準備を始める前の事で、まあよかったと思っている。海外、特に中国・東南アジアでの公演と言うのは、まあ当初の予定通り進まないのが普通と思っていた方がよい。こんな言い方は良くないのだが、蓋を開けてみなければわからないところがある。現地に行ってこんなの、と絶句するよりは事前に中止する方が有難い。
ユッキーちゃんたちはかなりガッカリしているが、成功の前にはこんなことが何度かあるものだ。
NHKのディレクターから連絡があり、21日(18時~19時の間)の放送に向けて必死に編集作業をしているとの連絡が入った。どんな風な編集になるのかは放送を楽しみに待つしかない。
(ヒロ爺)
三日間の公演で疲労困憊の昨夜ではあったが、一夜明けたら気分も爽快。久しぶりの充実した舞台であったので、幕が下りた途端、緊張感が解け一気に疲労が押し寄せてきたものだった。
だが、朝からお猫様、お犬様が日常を直ぐに持ってやって来る。彼等には今日ぐらいは、は通用しない。充実した舞台の疲労なので一晩ぐっすり休むと、沈殿するものがないようである。それで早速、久美ちゃんにメールをする。この充実した愉快をもう少しお付き合いくださいね、私をもう少し遊ばせてくださいね、と。
明日は、雨マークが出ているが、午前中ぐらいは雨が落ちないでいてほしいのだが無理かな。お犬様にシャンプーをしてあげなければならない。星に願いを、と思うのであるが雲が低く垂れこめていて月明かりすら窺うことができない。
(ヒロ爺)
三日間の公演が終わった。今回の公演は、後期高齢者の小生には大層酷な内容になってしまった。久美ちゃんの策略にまんまと嵌まってしまったようである。久美ちゃんに言わせると、ヒロ爺の悪巧みの三連詩のお返しなのだそうだ。肉体の辛さは別にして、今回ほど充実した愉快で満足を感じる舞台はなかったように思う。
ユッキーちゃんも久美ちゃんの感性に大きな影響をもらい、何時にないスケール感で演じる人物になり切っての心の舞を創造できていた。初めての試みであった生のピアノ演奏での朗読もいい感じで行うことができた。ピアノの山本光君も手探りながら、良い感性を見せてくれた。今後、ことば座の良い協力スタッフになって頂けそうである。
先ずは無事な終了を迎えられて大満足であった。
草臥れて帰ってきたら、お猫様もお犬様も大きな仕事が終わりホッとした様子が分かるらしく、蒸し暑い夜なのにそばにベッタリとへばりついてきた。分りましたよ。でも明日からね。今日は休ませてね。
(ヒロ爺)
疲れた。しかし今日は快い疲れ。公演二日目だったが気持ちのいい舞台を作ることができた。昨日初日に比べると固さも取れて、それぞれが表現したいと思うことが無理なく出来ていた。久美ちゃんとは今回三度目の舞台になるが、今日は今までで一番出来の良い日だったように思う。ユッキーちゃんものびのびと舞いを舞っていて気持ちよさそうであった。明日は最終日。愉快な気分で心のさらさらと流れる舞台を創りあげたいものである。
今日も早く寝なくては。昔は、今日みたいな日は朝まで飲み明かしていたものだが、今はそんな体力はない。お猫様を抱いてお休みなさい。
(ヒロ爺)
今日はことば座の23回定期公演初日。午前中、軽くリハ。3時から本番。さすがに初日は緊張もあって草臥れました。いろいろ問題点もあったが、先ずは上出来であったと思う。
明日、明後日と気持ちよく、満足のいく舞台が創れることを願うばかりである。
いやいや本当に疲れました。里山の言うように矢張り歳には勝てぬようである。
(ヒロ爺)
いやいや今日は草臥れた。明日から「ふるさと風」6周年記念展とことば座の第23回定期公演である。その準備作業でギター文化館で久しぶりに肉体作業。
明日、午前中にピアノと舞い、朗読と舞いの最後の合わせを調整して、15時に開演する。さあて今夜は早めに寝ないと。早々と布団を敷くとお猫様もお犬様もビックリだろう。
フロンの中で良い夢を描きイメージトレーニングをしよう。
(ヒロ爺)
ユッキーちゃんとのマンツーマンでの稽古は今日で最後。あとは本番当日午前中の軽い調整を全員で行い本番に臨む。昨日の久美ちゃんとの稽古で、また新しい刺激を受けたのであろう、今日はなかなかいい変化を見せていた。
昨日、久美ちゃんが道郎の舞踊詩を見て新鮮な刺激を受けたのだろう。本番が大層楽しみである。
お犬の愛々様、ただ今小生の部屋の真ん中に長々と伸びて鼾をかいてござる。さっき鼾の合間にプフーッという音が聞こえたと思ったら、愛々様のオナラである。しかも確りとした臭いなのである。おいおい、勘弁してくださいよ。耳様から猫パンチをもらうよ。
(ヒロ爺)
今日は朝からギター文化館で最後の通し稽古。NHKの取材が入り気分も少しずつ本番モードになって来た。
ユッキーちゃん少し力が入り二、三個所詩文が飛んでしまった。しかし悪い出来ではなかった。将門の衣装もピッタリと来ている。久美ちゃんはほぼ完成の状態に持ってきていた。15日の午前中、調整稽古で完璧なものに仕上げてくるだろう。
ピアノの光ちゃんはまだ少し気遅れ気味。考えてみれば海千山千のこのヒロ爺がいくらその日の気分で好きにやれ、と言われても気持ちの何処かに誰かに合わせ安心を得ようという意識が無意識に出て来るのは仕方がないだろう。そこへ行くとさすが久美ちゃんはマイペースに自分の世界を作りそこにデンと腰を下ろして、コラボレーション相手の出方を愉しんでいる。
今日は完成までは届かなかったが、舞台とは実に面白く愉快なものであろうか。
(ヒロ爺)
今年は土の栄養が良いのだろうか。トマトの木の生育が凄まじい。上の方はもう手を伸ばしても届かない。青い実がたわわについている。昨年秋から、庭の落ち葉や生ごみを畑に穴を掘り放り込んでおいたのが良かったのだろうか。根元の幹の太さは優に3センチを超している。こんな発育の良いトマトの木は見たこともない。こんなに育てられるなら百姓をやっても十分通用するのではないだろうか。
太陽をたっぷりとあびたトマトの葉の上に何やら黒っぽいものがついている。眼鏡をかけて出なかったのでぼんやりとしていてよく見えない。近づいて目を凝らすと何とトカゲであった。気持ちよさ気に太陽を浴びているのだった。それにしてもこんな高い木の上の葉っぱに良く登って来たものだと感心してしまう。
明日は、ギター文化館で午前中最後の遠し稽古を行う。今日は夕方からユッキーちゃんとの稽古であったが、舞のイメージが毎日のように大きく変化している。明日は楽しみなことである。
(ヒロ爺)
もうヘビイチゴはないのかなと蔓を伝って行ったら、ドクダミの白い花の向こうに赤い点が見えた。もしやと思ったら矢張りヘビイチゴだった。日陰のジメジメした草叢にひと際鮮やかな紅の玉が一つ。40坪ほどの小さな庭であるが、虫眼鏡などを片手に草叢を分け入ってみると、ビックリするほど大きな自然が広がってある。
椿、紫陽花、辛夷、沈丁花などの植木の下は、愛々お犬様の縄張りで、冷え冷えベットを作るために大地を掻き均しているので雑草は生えていない。草むしりをしなくて済むので大助かりである。
先日、垣根伝いに生えているフキを刈り取ったので、今は茗荷がすくすくと伸びている。夏になると茗荷が取れる。蕎麦や素麺には嬉しい薬味となる。紫蘇や青紫蘇も間引きをしないと庭中に繁殖してしまう。紫蘇の葉を陰干しにして冷茶にすると夏の暑さを忘れさせてくれる。薄荷やレモンバーム、バジルなども生葉のままお茶にして飲むのも夏の楽しみの一つである。
栽培しているフルーツトマト、青い実が沢山ついている。空梅雨だと大層甘いトマトになるのだが、今年の梅雨はどうなのだろうか。
真夏の電力不足を言い訳にして原発を再稼働するのだという。しかし、利益の大半を背負わされている家庭では、最低限度の電力があれば、快適な夏を演出することができるのだ。電気が少しぐらいなくても夏の知恵はたくさんある。夏は暑く、冬は寒く。暑さは暑さをもって殺し、寒さは寒さをもって殺す、と禅の語録には出ている。
自然に住めば人間は賢いのだ。
(ヒロ爺)
昨日は真夏日の気温。今日はその10℃も下がってしまった。お猫の耳ちゃん一日べったりと張り付いて離れない。前日と10℃の温度差となれば、お猫様でなくても体が縮みあがる。長袖にジャンパーまで着込んでいるのであるが何とも肌寒い。お猫様がジャンパーの中に入り込んでくるのであるが、暖かくて気持ちが良いのではあるが何とも煩わしいものである。
冷たい雨で、真っ赤なヘビイチゴが心配になり庭に出てみたら、ありゃりゃ、誰が喰ってしまったか? 無くなっていた。小鳥がついばんでいったのであろうか。雨が上がり日が差して来たらまた赤い実をつけるのだろうか。食べられないイチゴではあるが、真っ赤な色は心を嬉しくしてくれる。
風が強く、ガタガタと雨戸を鳴らしている。寒さの所為にして今夜はお猫様を抱いて早く寝よう。
(ヒロ爺)
毎月の事であるが月初めの金曜日は大変な一日である。第一もしくは第二土曜日がふるさと風の会の会報を印刷する日なので、その前日の金曜日は他の事が全くできない一日となる。今月は少し余裕をもってやりたいものと思っていても結局ギリギリまで編集・割り付け作業ができないのである。疲れたー。本当に疲れたー。
今日は朝から、お犬様を病院に連れて行かなければならず、作業が二時間ほど損をしてしまった。今日の二時間は大きいのである。お犬様、後ろ足の膝を痛めたらしくビッコをひいているので、病院に連れて行かないわけにはいかない。どうやら膝のお皿を痛めたらしい。
結局、午前中を潰されてしまったので、午後は昼寝もできず会報の編集作業に没頭した。ようやく編集作業が終わりホッと一息ついたら、外はもう真っ暗である。そうしたら昨日見つけたヘビイチゴの事が気になりだして、さっき懐中電灯を手に見に行ってきた。そうしたら一個なくなっていた。虫が食べたのか、小鳥がついばんでいったのか、一個のイチゴの赤が寂しそうな感じであった。
(ヒロ爺)
お猫様、お犬様のブラッシングを終え、庭を見回っていたら、蕗の葉の陰にパチンコ玉よりも少し大きな真っ赤な球が見えた。余りにも鮮やかな赤だったのでなんだろうと蕗の葉をかき分けて覗き見たら、何とヘビイチゴの実であった。食べられるヘビイチゴではなかったが、大層嬉しい気分にさせられた。このヘビイチゴは田の畔や湿った草地に生え、どこでも見られるのであるが、庭に真っ赤な玉が点々とあるのはなかなか華やいだ感じがする。見つけたのは真っ赤な玉二個であったが実に良いものである。
ヘビイチゴは食べられないものだから、忌み嫌われていたヘビが食べると言われ、そんな名がついたのであろう。
同じヘビイチゴの名がついていてもシロバナヘビイチゴは甘くいい香りがする美味しい野イチゴである。
今日もNHKが稽古の取材に来ていた。ユッキーちゃんすっかり張り切って、なかなかいいイメージの舞を創造してきた。来週火曜日に、久美ちゃんやピアノの光ちゃんとの通し稽古を行うのであるが、ここにも取材が入るのでどんなふうになるか楽しみである。
明日、久美ちゃんと光ちゃんが稽古をすることになったであるが、小生は会報の編集で残念ながら出かけることができない。火曜日を待つしかない。
(ヒロ爺)
今日からNHKの取材が入った。ユッキーちゃん張り切りの舞。カメラを向けられての舞は矢張り気持ちに張り合いが出るらしい。稽古の様子と15日からの公演を取材編集し、21日18時~19時の間で放送の予定とか。
ユッキーちゃんの手話舞は手話ダンスだとか手話カラオケのようなスタイルの舞ではないので、取材ディレクターもどのように舞を創造していくのか理解するのが大変なようである。台本に書かれた詩をどのように手話語に翻訳し、それをさらに省略して心の芯を引き出していくのか、それを的確にコメントするのは大変だろうと思う。
絵画でも音楽でも舞台でもその表現について理屈で説明しようとすると哲学的表現となり頭が痛くなるのであるが、こうした芸術表現と言うのは理屈よりも演者も観客も素直に面白い、ファンタスティックと感じることしかないといえる。
さてさて若いディレクター、どのように番組作りをするのか楽しみなことである。記録映画、文化映画の監督を主たる生業としてきた小生であるが、若き後人の手腕に興味津々といったところである。
そんなことを思っていたらお犬様が、突然にタンタランと愛々ダンスをはじめた。
(ヒロ爺)
庭のトマトがすくすくと育っている。青い実が沢山ついている。苗木も小生の背丈を優に超して防倒用のネットに伸びた枝を縛り付けるのも大変である。伸びた枝枝をネットにしっかりと固定しておかないと、ちょっとした強風でなぎ倒されてしまう。トマトのネットの下がトンネルのようになっているものだから、お犬様の遊戯道路になっている。追っかけっこをせがむのであるが、ちょっと本気に追いかけっこを始めると、直ぐにトンネルの陰に隠れてしまうのである。日差しの強い日は、今までは紫陽花の根元に涼んでいたが、今はトマトのトンネルに涼んでいる。
夕方、お猫様にリードをつけて庭のお散歩をしていたら、お猫様はお犬様の臭いのするトンネルに入り込んでしきりに確認をしていた。そういえば昼間、お犬様が庭に遊んでいるときハンモックの中からじっと見ていたので、さっそく確認に行ったのであろう。
(ヒロ爺)
今日は少し体調、というか気分が平常に戻りつつあり、やるべきことや原稿を書くのが少し進んだ。
それでも一日の大半をお猫様、お犬様と寝転がる場所のとりっこのようなことをやって、それぞれが気に入った場所に涎を垂らす体たらく。お猫様は、ぐらついていた歯を抜いて、今日はその傷も癒えたのか実にご機嫌が良い。
お犬様に場所を譲ってみたり、小生の懐に頭を突っ込んでゴロゴロ言わせたりしていた。
夕方から稽古に出かけたが、二日休んでしまうと、矢張り後戻りしてしまう。ユッキーちゃんには稽古がなくても自宅でのイメージトレーニングは休んではダメだときつく言い渡したのであるが、寝ながらでもイメージトレーニングをしてくれているだろうか。本番まであと10日と迫って来た。
(ヒロ爺)
なかなか気温が高くならないが、トマトの苗はすくすく育ち、もう小生の背丈を越してきた。青い実を沢山付けている。もう少し気温が高くなって来れば、トマトはすぐに色づき味を楽しませてくれる。待ち遠しいことである。
昨日、農家から陸ひじきを沢山貰い今日も美味しく頂かせてもらった。スーパーで買うものよりも新鮮で当然味もいい。
トマトはすくすくと成長しているのであるが、矢張り気温が上がらない分オクラの育ちが悪い。早く黄色の笑顔を見せてもらいたいのであるが、まだまだ先のことになりそうである。一寸でも冷たい雨が降ると小さな苗はすぐに萎れてしまう。梅雨が始まる前に夏日が続いてくれると嬉しいのであるが、あまりいい天気ではなさそうである。
やることが山のようにたまって、いよいよ尻に火が点きそうなのであるが、なかなか腰が上がらない。今日も、お猫様お犬様と終日のたりのたりであった。
(ヒロ爺)
歯槽膿漏で歯茎が腫れ、ぐらついていたた歯を抜いたことでお猫様はすっかり元気を回復。上下の奥歯がすっかりなくなってしまったのであるが、カンズメ食事は拒否。カリカリのドライフーズが良いらしい。とはいえ丸飲みなのであるが。口臭もすっかりなくなり超ご機嫌で小生の咽喉仏をチュウチュウしゃぶりに来る。お猫様の元気に反して小生、今日は聊かお疲れ気味。何だか月曜日に誘われて出かけてきたゴルフの疲れが今頃になってどっと出てきたようである。今日は、この文も休みにしようと思ったが、今まで折角休みなく書いたのだから満二年になるまでは、というか千日までは何とか休みなく続けてやろうと意地を張っている。
(ヒロ爺)
今日は朝から、ことば座の稽古で出かけてきた。全員が集まる前に、単独の朗読の練習を行った。25分程の詩の朗読であるが普段の朗読舞いに対する朗読よりも数倍疲れる。今回練習した詩は明確な問題意識を持って読まなければならないので、感情の一つ一つに明確なけじめを持って、それを持続させなければならない。一度読み終わるともうへとへとである。その後、ピアノをバックにして舞のための朗読。これがまた大変である。生の声とピアノの音ではもう段違いにその響きの力が違う。ピアノに負けじと大きな声を出してもかえって良く聞こえない音になる。ピアノの響きと声帯の響きが呼応することが重要になってくる。一回通しの稽古をするともうそれ以上は声が出せなくなってくる。本来が俳優ではないので、長年にわたるボイストレーニングで鍛え上げて来たわけではない。1時間半も声を出したらもう限界である。稽古が終わり、昼食を済ませ家に帰ると、お猫様お犬様を抱いてチョー爆睡。雷でお犬様が騒いで初めて目を覚ます。その後、ズズーンと縦揺れ。ようやく目が覚める。
(ヒロ爺)