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常世の風に吹かれて呟いて…

常世の国に迷い込んだヒロ爺が、日々の風に吹かれて呟きを舞う

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春の大嵐 天空は砂煙で真っ黄色

朝から強い風。それでも9時前はまだ雨もなく風もそれほどでもなかったので、お犬様の愛々ちゃんのブラッシングをしてやる。そのうちに風がどんどん強まり、庭のバケツや箒、塵取りなどが吹き飛ばされてすさまじい音をたてはじめた。お犬様は、風が嫌いでもう家に入ろうよと言い出す。
野良生活だったお犬様は、自然の力には逆らわず、安全な場所に身を隠しひたすらおさまるのを待つ知恵を持っている。自然の嵐には逆らわない。逆らってもかなう相手ではないことを良く知っている。だから小生にも言うのである。「危ないからもう家の中に入ろう」と。
お猫様は、外が荒れ模様の時はシンデレラ城から決して出てこない。雨が降り出す前にブラッシングしようと言っても決して自分から城を出ることはない。
嵐の時は、余計なことを考えずジッとしているものだとお猫様とお犬様に教えられ、雨が落ち始めたので雨戸を閉めて二人に倣って昼寝の一日であった。
(ヒロ爺)
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風に声しよう 言葉の歌を

向こう岸の友から詩が送られてきた。
友の詩を読んで直ぐにペルーの現代詩人セサール・バジェッホを思い浮かべてしまった。
神から言葉を教えられた人は、心を詠わなければいけない。言葉を詠うことで人は初めて人となれる。
そう小生は思っている。
庭に吹いた春の風は、沈丁花をすっかりと咲かせ、春の厚化粧を整えた。沈丁花の木の下でお犬様はクシャミをしながら寝そべっている。お犬様も厚化粧に咽ているのだろうか。
明日は天気が崩れるという。折角の春うららも明日は一休みとなる。
今日のうららの陽気で、庭の梅の花が満開になった。桜の花もそろそろ開くだろう。梅の花と桜の花が手をつないで春の風を泳いでいるなんて、大層珍しいことに違いない。
(ヒロ爺)
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春風にタンタラン タンタラン 愛々ダンス

春の陽に気分はうらら。
この数日の春の陽気で、お犬様の毛がもの凄い量抜ける。毎朝、陽だまりのテーブルの上でお犬様はご満悦でブラッシングされている。3~40分かけて優しく毛づくろいをしてあげるものだから、お犬様には天国である。我が家に引き取られてきたときには、ブラッシングなど受けたこともなかったものだから、何をされるんだろうと大緊張であったのだが、今では朝8時半になると「もうそろそろですね。もうそろそろですよ」と催促する。
お犬様の心待ちはブラッシングだけではない。ブラッシングで気分さっぱりとなったところで、タンタランの愛々(めめ)ダンスで遊びたいのである。虐待を受けていた野良犬だった愛々には、人間と一緒になって楽しく遊ぶということを知らなかったのであるが、家にやって来てしばらくした時に初めてスキップを踏んで喜びを表したとき、小生そのスキップに合わせて膝を打ち鳴らしながら「タンタラン、タンタラン」と声をかけてやったら、それが大層気に入り、嬉しい時にはタンタランをせがむようになったのである。今では、ブラッシングの後だけではなく、散歩から帰った時、食事が終わった時に必ず愛々ダンスをさせられるのである。
愛々の小生とのコミュニケーションは、タンタランの愛々ダンスと「マム」そして「ネロ~」である。「マム」とは愛々の鼻づらを「マム」と言って口を紡がせるように掴んでやることである。マムを要求するときには鼻づらを突き出してくるのである。何が嬉しいのか鼻づらをどんどんどんどん押し付けてくるのである。
「ネロ~」は愛々ちゃんが小生の手や顔をなめてくれることである。ただその行方がペロペロではなく、思い切り伸ばしたベロをゆっくりと、そうスローモーションのように「ネロ~」と舐めてくれるのである。ペロペロであれば「はいはい、ありがとう」と言えるのであるが、生暖かいベロで「ネロ~~ネロ~~~」だから小生もいささか閉口する。しかし、愛々の愛情表現なのだから断るわけにはいかない。
「タンタラン」「マム」そして「ネロ~~」
お猫様は、それを見て「またかよ。どんくさくないか」といった顔で小生を軽蔑の目で見る。
(ヒロ爺)
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春のうららに子供等の笑顔

今日はダンス教室の子供たちへの手話ダンスの稽古に出かけてきた。小さな子供たちに教えるのが苦手な小生であるが、しばらく付き合っていると可愛くなってくるものである。もっとも教えるのが苦手と子供らを可愛いと思う事とは全く違うことである。子供たちの元気な笑顔を見ていると心が癒される。桃源郷の中に自分を置いたような気分にさせられた。
4月8日(日)に、美浦村の中央公民館で柏木久美子さんの教えている教室の発表会に、ことば座が友情出演するのであるが、何時もの舞台とは違った面白さがあり、今から待ち遠しくいる。色々な所で、色々な人たちとの交流が生まれることは大変うれしいことである。
(ヒロ爺)
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直射を避けて木陰に寝そべるお犬様

暖かく、春本番と言えるような陽気だった。お犬様は、お気に入りだった陽だまりを避けて沈丁花の木陰に寝そべっている。この暖かさの所為で、お犬様の冬毛が大量に抜けた。朝のブラッシングだけでは済まず、昼前にもう一度、そして夕方の散歩後にまたもう一度ブラッシングをしてやる。毛が抜けるのでお犬様もかゆいらしい。ブラッシングをしてやるとうっとりとしたまなざしでされるがままになっている。
お猫様もよく抜けるのかと思いきや、何時もより抜け毛が少ないようである。お猫様にとっては陽気が暖かくなる方が体調が上昇するようである。
今日は、新しい入れ歯が出来上がり、食事が今までよりも楽になった。しかし、上あごを大きく覆うように作ったので、味の感覚がまた一つ無くなってしまった。年寄る寂しさと言うのはこういうところに実感するのだろうなと感心してしまった。
(ヒロ爺)
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梅も沈丁花も咲いて春なのに霜柱立って薄氷の張って

朝晩の何て寒いことだろう。梅の花や沈丁花の香を聞かなかったら真冬です。
日中の日差しは暖かく、お猫様、お犬様を従えて三人の昼寝ショー。三人三様に鼾をかいて春うらら。
昼間と朝晩のギャップが大きすぎて原稿が一向に進まない。もう三月が終わりだというのに。
昨日も書いたのであるが、小生どうも春はいけません。気分が華やいでこないのです。花粉症だとかを持っているわけではないのに憂鬱なのです。考えてみるに、小生春に恋をしたことが一度もなかったような気がする。恋の始まりはたいてい秋の始まりからであった。だが春に失恋をしたことはない。気分だけが憂鬱に失恋なのである。
(ヒロ爺)
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梅の花は六分咲き 春の鬱が始まったようだ

毎年のことであるが春先になると気分が鬱になってくる。あまりきれいな表現ではないが、便秘と言うわけではないがすっきりとした排便のない日が続くような気分である。何となく体が重く、血糖値が上がっているのかと思い測定してみても高くはない。どうもこの春先は鬼門である。
昨年は、震災前に低血糖に襲われ倒れた時に腰を痛め、大震災の時は身動きが取れず、これで俺も終わりかな、等と思ったものだ。
今年もここ数日気分が重く、原稿も進まない。気分がもやもやしているのでお犬様のブラッシンの時間が長くなる。おかげでお犬様の毛艶は高級犬以上である。ちょうど春の換毛期になって来たので念入りなブラッシングが必要なので、欝な気分にも得があるようだ。
今日は、庭の畑の一畝にジャガイモを植えた。未だ霜が降りるだろうが、まさか種イモが凍るほどではあるまい。土を耕し、整えたらお犬様は耕した土の上にどっかと寝そべってしまった。種芋を植え付けた後に寝転がられてはかなわないので、杭を打ち紐を渡した。お犬様は不満そうであったが仕方がない。お猫様は陽だまりのガラス越しにこちらを見下ろして、また二人は揉めているといった顔をしていた。
(ヒロ爺)
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ピンクの梅の花三輪 メジロがやって来てチューイ

午後雨が上がり薄日が差し始めたのでお犬様と散歩に出る。庭を出る時に、ピンクの梅は咲かないな、と見上げて出たのであったが、40分ほどの散歩から帰り、お犬様のブラッシングをしながら梅の木を眺めたらなんとピンクの花が三輪、大きくではないが開き始めていた。今日も寒いなと思っていたのであったが、日差しが出ると気温が一気に上がるようである。梅の花がビックリして開き始めたのであろう。
庭の白梅は五分咲き程度。ピンクの紅梅はやっと三輪。沈丁花も数輪花を開き、薄化粧の香を漂わせている。これでもう少し花が開いてくると確りとした厚化粧の酒場女に変わるのだ。
明日は晴れたら、庭の坪畑にジャガイモを5~6個植えてやろう。
(ヒロ爺)
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足元にはお犬様 膝にはお猫様

雨が降ると気分までもが落ち込んでくるのか、お猫様もお犬様も小生の傍にべったりとくっついて離れない。明日も午前中は雨のようだから、朝から纏わりついてくるのだろうか。
お猫様が膝の上にいると、重くはないのだが落ち着いて考え事ができない。早く書き上げないといけない原稿があるのに一向に進まない。お猫様やお犬様を言い訳にしても締切が伸びるわけではないのだが、気分的には責任を他に押し付けると少しだが気分が楽になる。
しかし、足元に寝ているお犬様の鼾はかなり激しい。以前はパグ犬を飼っていたので鼾には驚かないはずなのだが、柴犬交じりの愛愛ちゃんが鼾とは些か呆れてしまう。我が家に慣れるにしたがって、潜在していた癖がどんどんと表に現れてくる。しかし、悪さをするわけではないので好きにさせておくしかない。
(ヒロ爺)
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寒がりお姫ぃ~様二人ストーブの前に

昼間の陽だまりは春の暖かさであるが、日陰や風のあるところに行くと真冬並みの寒さである。明日からは天気も崩れ、寒さも一層厳しくなるのだそうだ。我が家のお姫ぃ~様、お猫様とお犬様は二人して寒がりになってしまった。お犬様などは昨年梅雨頃までは虐待を受けて野良生活で、寒さには強かった筈なのであるが今ではすっかりお猫様に右へ倣えして、ストーブの前にやって来て点火を要求するようになってしまった。点火するとさすがに温風の吹き出し口の所はダメらしく、そこはお猫様に席を譲っている。お猫様とお犬様は温風吹き出し口から縦に並んで寝そべっている。お猫様は時々後ろを振り向き、あまりそばに近寄るんじゃないと言わんばかりに「ミューオ」と声を上げて牽制している。
しかし、この寒さ、本当にいつまで続くのやら。
庭の坪畑にジャガイモを5個ほど植えようと思うのだが、果たしてもう植えてもいいものやら些か迷っている。
春一番もなかったのだから春もなくなってしまうのだろうか。突然に猛暑日がやってきたらどうしよう。何とも心配事の絶えぬことか。
(ヒロ爺)
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出勤前の化粧を始めたか沈丁花

風は乾いて冷たいのだが日差しは矢張り春。風を避けた陽だまりはほっこりほっこりと暖かい。その所為か、酒場女の沈丁花が化粧の準備を始めたようだ。
小生、沈丁花と言うと、その花の地味さに合わぬ花の香の強さがどうしても昔よく通った場末の安酒場の女性が思われて、酒場女の厚化粧と表現してしまう。華やかさに些か欠ける花であるが、その香は強い。そこが酒場女(小生の愛した)を思ってしまうのである。
春一番はとうとう吹かなかったが、花を見ていると確実に春はやって来ている。庭の白梅は咲き始めたのであるがピンクの紅梅は未だ一輪も花開いていない。この分では桜の花と紅梅の花を一緒に褒めることができそうである。
週末にはまた天気が崩れるようであるが、益々梅の花と桜の花が一緒になる体制が整ってきている。
最近、お犬様はお猫様の真似をしてなのか、小生が机で仕事を始めると足元にやって来て寝そべるようになってしまった。お猫様はそれをひょいと飛び越して小生の膝に乗るのである。お犬様にはどうやらお猫様の身軽さが気に入らないらしい。
(ヒロ爺)
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春一番は何処で道草を喰っているかと梅花に聞く

今日までに南風が吹かなければ、今年は春一番がないのだという。今日も良い天気だったが、吹く風は乾いて冷んやりとしていた。しかし、日差しの暖かさは春のもので梅の花が二分咲きほどになった。水仙も今にも咲きそうな気配である。
裏庭を見たら雑草が随分と生えており、草むしりをやる羽目になってしまった。これからは一週間と開けずに草むしりをしないと草戦に負けてしまう。暖かくなるのは嬉しいが気の休まらぬ草戦争が始まるのはちょっとうんざりである。
また寒さが戻ってくるのだそうだが、草戦争が始まっても、南風に強くなってもらいたいものである。
(ヒロ爺)
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白梅が五輪咲いた 明日は水仙花か

久しぶりの美事な快晴。気温も急上昇。先日遠慮がちに花を開き始めた白梅が、今日はしっかりと五輪だけだけれど花を開いた。この咲き始めが実に何とも言えないほど可愛らしく生き生きとして見える。梅の木の下の水仙も、蕾を大きく膨らませ、いつ咲かせようかと躊躇っているようである。
チューリップの芽もずいぶん大きくなってきた。先日、庭の蕗の薹をあらかたとってしまったのであったが、一つだけ摂らずに置いていたものが、今日はしっかりと花を開いていた。丸く黄色い、まるで仏様の頭のような感じで黄金に輝いていた。
庭の小さな春に感じ入っていたらお犬様がガサガサやって来て、温んだ土の上にドタリと寝ころんでしまった。アツ!そこはチューリップが、…とビックリしたが辛うじてセーフ。お猫様が陽だまりのガラス越しにどうしたとばかりに首を伸ばしてこちらを見ていた。
(ヒロ爺)
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これは矢っ張り菜種梅雨かと雨雲を見上げて呟いて

お猫様もお犬様も朝から動くのを嫌がっていた。二人とも渋々ブラッシングをされるとお猫様はシンデレラ城に、お犬様は小生の机の下に入り一日じっと寝入っていた。お犬様、何時ものように庭に遊ぼうとしないので妙だな、と思っていると昼近くには雨が降り出してきた。お猫様もお犬様も、動物の勘で、自然現象には逆らわず兎に角じっとしているが一番と思っているらしい。小生のように、雨が降るかもしれないから色々やることをやってしまおうとあくせく動くことはしない。「雨が降るから逢えないの…」なんて歌があったが、お猫様もお犬様も「雨が降るから寝て過ごそう…」のようである。
おかげで小生も二人に付き合わされて、一日ゴロゴロ寝過ごしてしまった。やることが溜まっているのにこれは雨の所為だ。いけないのは雨だ。と自分に言い訳をしてしまった。
(ヒロ爺)
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菜種梅雨なのかなあ まだ春の声がないのに

朝、目覚めたら雨だった。何だかこのところ雨続きのように思えるが実際には雨が毎日続いているというわけではない。雨の日は、お猫様もお犬様も自分のお気に入りの場所に行って一日寝ている。時々、勝手な時に出てきて自分の要求をして、満たされるとまた戻って寝てしまう。小生としては、煩わされることがなくありがたいのであるが、あまりやりたいことが進まない。気分が滅入ってくる感じである。
気分が滅入ると言えば、最近地震がまた頻発している。地震に関しては転ばぬ先の杖がないのでどんな最悪も覚悟しているのであるが、それがどうも気分を滅入らせているのかもしれない。
そうだった。気分の滅入る大きな原因があった。義歯が合わなくなって、今新しく作り直しているところなのであるが、これが気分を大きく滅入らせている。義歯そのものが食べ物の味を半減させるのであるが、そこに義歯が合わないと来ればもう最悪である。今月末にはちゃんとした義歯が出来上がると思うのだが、まだしばらくは滅入る日が続くようである。
歳はとりたくないなぁー。いや、歳を取るのは構わないが健康な歯を持っていないと生きていても張り合いが半減以下になるものである。若い諸君、歯のケアーをしっかりやって、食べる楽しみを失わないように。生きるとは喰うことなのだから、歯は大事に!
(ヒロ爺)
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車を走らせても梅の花は未だちらほらの咲きはじめ

今日は、美浦村の中央公民館へ稽古に出かけてきた。昨年の2月に一緒に舞台に立った美浦村の子供たちは顔を覚えていてくれてニコニコ明るい笑顔を投げかけてくれた。4月7日の美穂バレエ同好会の発表会へ友情出演することになっておりその稽古に出かけたのであった。小生、子供たちに指導するのは苦手なのであるが、そばで見ているのは楽しくて好きである。
舞台稽古を見ていて、こんなことを思った。プロの俳優やダンサー、バレリーナ達の演技表現と言うのは、肉体の末端の伸びが非常に重要になってくるのであるが、子供達を見ていると体を、肉体を動かそうとすることに精いっぱいになっていて、しかもその動きをきれいに見せたいと一生懸命になっている。子供たちの舞台表現なのだからこれで良いわけなのだが、舞台でスケール感あふれる表現をするためには、動作のスケールを創ろう創ろうとするのではなく、指先、つま先、鼻の頭、頭頂がまっすぐに伸びその先からビームのようなオーラが発射されるような表現感情の伸びが必要となる。
ユッキーちゃんには舞の形や流れは自分の感情の思うがままに表現することと言っている。ここをもう少しこうしたら良い等と言うことを言うことはない。言うことは一つ、指先・つま先から感情のオーラがビームのように発射するように、と。大きく広げた両手の指先から閃光が放たれないような舞や演技はするな、とだけ言っている。
子供たちの一生懸命に自分が目立とうとする素直な無意識の意識がとても嬉しい一日にしてくれた。
(ヒロ爺)
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季節の移ろいは今日もためらって 梅も咲かず

窓越しの日差しは確実に春を思わせるのであるが、外に出ると冷たい風が吹きつけてくる。今年はまだ春一番が吹いていないように思うが、はてどうであったか。庭の水仙の丈は確実に伸びているのであるが、蕾は一向にほっこりとしてこない。酒場女の安化粧と些か顰蹙を買う言い方で表現している沈丁花も赤い蕾は見せているが、咲く気配はない。
お犬様と散歩に出るたびあちこちの梅の木を見るのであるが、未だほとんどの木が花を開いていない。春の季節がどこかで立ち止まっていて動こうとしないようだ。この寒さと、石油高騰のあおりを食って温室栽培の野菜の高いことと言ったら魂消てしまう。これからはますます石油の高騰が続くであろう。温室の燃料も石油に頼らない方法を進めなければならないだろう。里山に無計画に植え付けてしまい今では花粉症郊外をばらまいているスギなどの木を伐採し、雑木林を間伐してそれをペレットにして燃料にすることをもっと積極的に進めなければいけないだろう。雑木林が間伐されると、里山全体が豊かな実りになってくれる。こんなことは、どうしようと考えている間にどんどん進めていくことが必要だろう。
何でも待ったなしでやらなくては。考えるふりをして立ち止まるのはやめよう。
(ヒロ爺)
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春の陽気に誘われてお犬様と土いじり

梅の花がやっと一輪、二輪が咲き始めようとしている。なかなか思い切りよく咲いてくれないのが梅の花である。季節を信用していないかのように思える。潔さがないというのか慎重に過ぎるのか。それを楚々とした色気だとか侘びを感じさせるのだろうか。しかし、小生は春の季節を信用していない花のように思える。だから梅の実もそのままでは食せぬほどの拒絶した酸っぱさなのだろうと思う。
今日は、暖かさに誘われ庭の坪畑の土を掘り起こして春の空気を吸わせてやった。十月以来ずーっと土を休ませ、枯葉や生ゴミなどを埋めて栄養を与えてきた。この冬はモグラがあちこちに土を盛り上げていたが、今日土を掘り返したが実にミミズが多い。ミミズは良い土を作ってもくれるが、モグラ達にとってはありがたい食料でもある。モグラは畑を荒らして嫌がられるが、モグラがいないような畑は痩せた土で、美味しい作物など作れない。
グルグルといろいろな者たちの命の回転が自然の豊かさなのだ。
夕方、みそ汁の具に散らそうと庭の蕗の薹を摘んできた。もしかしたらお犬様のオシッコがかけられているのかもしれない。しかし、その分だけ香り高く滋味深い具になった。
(ヒロ爺)
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雲一つない天空に烏が一羽カアと鳴く

今日は渋々のゴルフに出かけたのであったが、珍しく雲一つなく、風もなく最高のゴルフ日和であった。染み一つないコース内の上空に烏が一羽カア~カア~と鳴きながら過ぎっていった。限りなく透明の青の天空に黒い烏はあまり似合っているとは言えないが、烏も久しぶりに気持ちが良かったのだろう。ゴルフ場の梅の木、朝はまだ花を見せていなかったのであるが、風もない快晴のおかげで帰りには幾つかの花を開かせていた。
三年ほど全くゴルフクラブを握ることがなかったのであるが、昨年暮れに誘われて出かけて以来、今年は初めてのプレーであった。寄せとパターはコースに出ていないので酷いものであったが、ドライバー、アイアンは自分でもびっくりするほど上手く打てていた。しかし、脳の感覚にある飛距離とクラブ選択は肉体の老化を無視してあらわれるので、最初はかなり戸惑ってしまった。脳内感覚と現実では2番手違っている。
昨年暮れに行った時も思ったのであったが、ゴルフプレー費も安くなり高齢者にはいい運動になる。最近は殆どの所はカートなので、歩いたり乗ったりと少し一生懸命の散歩程度の運動にはなる。小生ももう少し元気でいなければならないので、誘われた時にはできるだけ受けようかと思ってみたりしている。
(ヒロ爺)
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冷たい空っ風が戻ってきて梅の花首すぼめ

今朝、9時ごろ未だ風の吹き始める前であった。久しぶりの強い日差しが照って梅の花が少し開き始めたのであった。しかし、午後には冷たい空っ風が吹き荒れて、開き始めた梅の花がまた殻を閉じてしまった。
昨年暮れに、三年ぶりにゴルフに誘われ出かけたのであったが、三年間クラブを握っていなかったとは思えない等と煽てられ、明日また誘われて出かけることになった。今日のような風であったら途中でやめて帰りたくなってしまう。
午後からの家を揺らすような強風でお猫様はもちろんのことお犬様も外に出ようとしない。朝のブラッシングが終えてしばらく庭をぶらぶらしていたが、少し風が出始めるとすぐに家に入るというのである。全く軟弱なお犬様になってしまったものだ。明日は、朝から出かけてしまうので、庭のハウスに繋いでいかなければならない。帰ってきたらさぞかし煩いことだろう。ただ今は小生の足元に鼾をかいて寝てござる。
お猫様は、ヌクヌクのシンデレラ城から出てこない。この分だと夜は布団に入ってくるのだろう。
(ヒロ爺)
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春雷にお犬様 机の下に走り込む

今日はメディアの全てが東日本大震災の特集で始まり未だ延々と続いている。自然界は常に天災にさらされているのだから、天災への覚悟は常に持っていなければならない。先日、太陽の巨大爆発で地球に電磁波の嵐がやって来たのだそうだ。それで、それでいろいろな所に電磁波障害を発生させたのだそうだ。
宇宙を含めた大自然の中に自分が存在しているのだから、天災は生きることと一体化してある筈なのであるが、一瞬の現状の我欲に右往左往させられているようである。
突然に雷が鳴りだし、お犬様は小生の机の下に走り込んできた。天災に対しては、逃げるしかないことをお犬様はよく知っている。一生懸命に安全と思われるところに逃げ込んで、そこに落雷があってもそれは仕方のないことで、逃げ方が悪いなどとは考えないものである。天災なのだから勝手な予測など糞喰らえが本来なのである。天災の中に、お金を払うから自分だけを見逃してくれ、なんてことは愚かな人間しか考えないだろう。
大震災の特集報道をなんとなく聞きながら、その解説に真実の存在していないような虚しさを覚えたのは小生だけではないだろうな、ということであった。
(ヒロ爺)
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朝から家族の全員集合

今日は珍しく一日、妻が家にいた。一日家にいることなど年に何回あるのだろうか。片手に余る回数しかない。お猫様もお犬様も最初は居心地悪そうに今日は何だ? もしかして良くないこと? といった顔をしていたが、休みだと理解すると急に元気にわさわさし始めた。しかし生憎夕方近くまで雨のために、庭で遊んでもらうわけにはいかない。寒い一日だったので、お猫様、お犬様、妻は何もせず炬燵に寝転がって過ごしてござった。それでも時間通りに食事だけはきっちり摂っていた。こんなことは年に2~3度ぐらいなのだからまあ好きにさせておくか。
小生も久しぶりにお猫様、お犬様から解放されてゆっくり本を読むことができた。
(ヒロ爺)
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気温は冬に逆戻りでも春の芽は確実に

今日はユッキーちゃんとの稽古の日であった。また冬に逆戻りしたのかと思うほどの寒さであったが、ユッキーちゃんの舞は確実に春になっていた。水曜日の稽古の時よりも今日は格段に伸びやかになって来ていた。マカオの公演が決まり張り切っていることもあるが、欲が出てきた。もう一回、もう一回やってもいい? の声が頻繁に出るようになってきた。小生は、よほどのことがない限り、ああしろ、こうしろ、という指導はしない。良かったところだけを褒めてあげる。褒められることでさらに自分の工夫を創れない人は、才能がないのでその場で切り捨てる。
聴覚がほとんどないユッキーちゃんには、通常の俳優さん達と同じように、稽古場を離れた場所で酒を飲みながら、飯を喰いながら雑談めいていろいろ話をしてあげることが難しい。演劇論などは、筆談になるので健聴者の何倍かの時間を必要とする。しかし、彼女の感性は言葉の壁を越えてこちらの要求することを肉体に表現してくれる。本当のことを言うと、ユッキーちゃんのライバルになれる聾者の俳優さんが表れてくれると、その才能をもっと伸ばしてあげられるのだが、こればかりは簡単にいかない。
モダンダンスの柏木久美子さんとの交流を得てからは、かなり大きな刺激を受け、自分の創造性に自信を持つようになってきた。こんな良い刺激をもらえる人がもう少しできてくれると嬉しいのだが、慌てずしかし急いで探さなくては、と思っている。
雨のお散歩の嫌いなお犬様は、一日小生の机の下で鼾をかいてござる。おかげでお猫様が気楽に小生の膝にやってこれないので、今日は聊かご機嫌が悪い。明日は一日家にいる予定だから、ご機嫌直しのお世話をしてあげよう。
(ヒロ爺)
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お犬様を枕に昼寝する爺の見る夢

台本をなかなか書き出せないでいるうちに昼寝が癖になってしまった。今日も昼食を済ませ、お犬様の背中を枕に熟睡してしまった。脳みその小さな小生の頭は軽いのかお犬様は枕になることを嫌がらない。お犬様を抱き枕のようにして頭を乗せているのであるが、お犬様もグーグーと鼾をかいて寝てござる。時々、お猫様が小生を覗きに来るのだが、だらしなく涎を垂らして寝ている小生に呆れ果てているのか、呼び起こそうとしない。
最近のお猫様とお犬様は、お互いの水を気付かれず盗み飲みすることに喜びを感じているようである。特にお犬様は、野良だったこともあり自分の物をとられることを嫌う。そのくせお猫様の水は、お猫様が見ていても怒らない限りシカとして盗み飲みしている。だが自分の水は、絶対に許そうとしない。何時になったら二人で同じ水を飲むようになるのだろうか。
(ヒロ爺)
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温んだ風に十八番を舞う

今日は、ユッキーちゃんとの稽古日であった。4月8日に柏木久美子さんが指導している「美浦バレエ同好会」の発表会へ友情出演するので、その稽古である。石岡市の劇団が美浦村のバレエ同好会の舞台に出演するのだから石岡の話を一つ舞ってこようと、ユッキーちゃんの初めて舞台にあがった時の作品であり、その後何度となく台本を書きかえて演じてきた「鈴姫物語」の短縮版を披露することにした。
久しぶりに舞ったのであるが、表現力に余裕が出てきたので今までにない舞が創れている。今日の表現スケールの大きさは、柏木久美子さんから盗んだ表現の創り方が色濃く反映されていた。手話の言語に固執することが無くなっている分だけ、万人の心に響くようになってきた。未だ半月ほどあるので、もっと完成度は高くなってくるだろう。
今日は、コンガを打ち鳴らしながらの朗読であったが、楽しい稽古であった。
(ヒロ爺)
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雨上がり 春の温んだ風 椿花の首をはね

午後になると雨も上がり、温んだ風がゆるりと吹いた。庭の沈丁花の蕾がほっこりと丸くなっていた。梅の花もほっこりと丸くなっているのだが未だ開こうとしない。足が泥だらけになってしまうが、お犬様も庭に出してやった。小生が小さな箱庭の中の春との対話を愉しんでいると、ガサゴソガサゴソ植木の中を駆け回る。もうすぐに酒場女の厚化粧を思わせる沈丁花の膨らみを愉しんでいるとワザと木を揺らして小生の気をひこうとする。コラッ!、と声を出すと喜んでますます駆け回る。お犬様が走り回ると、温んだ風が一緒になって流れてくれる。お犬様、大喜びに駆け巡り、ついに椿の木に激突してしまう。立ち止まり、椿の木を見上げた時、八重の花がボトリと落ちてきた。それを見て小生、春の風が椿の首を刎ねた、と思ってしまった。40坪足らずの狭い庭ではあるが、お犬様と遊び季節の移ろう姿を愛でることぐらいはできる。お猫様がガラス越しにお犬様と小生を冷めた目で見ている。
ほっこりと春のひと時である。
(ヒロ爺)
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春呼ぶ雨でも散歩の楽しさは半分

我が家のお犬様、雨が降るとお散歩に行きたがらない。それでもお散歩と言って雨合羽を着せると大喜びし、外に飛び出していく。でもそこまでなのだ。リードをつけようと呼ぶがなかなかやってこない。「めめ!」と大声を上げると渋々やって来る。そして嫌そうにリードをつけさせる。やっと外に出ようと引いていくと、道路に出た途端戻ろうとする。お前さん一年前には竹藪で野良生活していたんだろう?雨が嫌でどうする。こんな風に言ってやるのであるが、今よくよく考えてみると竹藪での野良生活だったからこそ雨に濡れるのが嫌なのだろう。僅かに雨を避けられる藪の茂みにジッと雨の上がるのを待っていたに違いない。当然のことながら雨に濡れたからと言って乾いたタオルで拭いてもらうなどと言うことはないのだから、雨は天敵のようなものだったのだろう。そう気づいたら雨嫌いが納得できた。明日も雨のようだが、無理に散歩に連れ出すのはやめよう。庭で用足しを済ませばいいのだから。春を呼ぶ雨だな、なんて風流ぶって感じ入ろうなんて、小生の方がお犬様には狂った爺さんなのだろう。
(ヒロ爺) 
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ほっこりと春の香たかく

庭の蕗の薹は程よくほっこりとしてきた。今日は7個摘んで待望の蕗味噌を作り、熱々のご飯に褒めた。口いっぱいに広がる強い春の香とそのほろ苦さは大げさではなく日本ならではの幸せと言えるだろう。春だと実感する香は矢張り味噌汁に刻み込んだ時だろう。天婦羅にして塩で食べるのは強い灰汁を和らげて、蕗の薹の旨味を引き出してくれる。しかし、炊き立ての銀しゃりとの相性は蕗味噌に仕立てたものが一番だろう。今夜は幸せな気分のまま床に就くことができる。お猫様を優しく抱っこして春の愉快に揺られることにしよう。
(ヒロ爺)
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未だもう少し待てと梅の蕾の言う

今日は「春が来ましたよ~」といった陽気だった。早速梅の花が開くのかなと思ったら「いやいや、まだもう少し待て」と蕾の殻を閉ざしていた。明日にも寒さがまたやって来るのだろうか。植物が急がないということはきっとまだ何かがあるということだ。今日う名動きのできない彼らにとって、性急とは破滅を意味することだから。小生も残された日が少なくなってきたのだから、大事に過ごすためには性急にならないことだ。あすはホッコリ丸くなった蕗の薹を摘んで春を褒めよう。
(ヒロ爺)
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雨も冷たさの逃げて 春のやって来た

3月に入ったせいなのか雨にも冷たい冬が去って、暖かいとは言えないが春の柔らかさが見えてきた。今日の雨はお犬様もさほど嫌がらず雨合羽を着こみ水たまりをビチャビチャと歩いた。犬は寒い冬に強いとは言われても、矢張り寒いものは寒いし暖かいところが良い。今日の暖かい雨で、明日の晴れ間には蕗の薹が一気に膨れ上がるだろう。水仙も梅の花もほころび始めるに違いない。
日本人にとって四季と言う時の移ろいは実に心を豊かにさせれくれる。寒さが嫌いな人でも冬がやって来ると春が約束されるのである。冬がなければ春がない。実に豊かな時の移ろいなのだ。日本の季節の移ろいは希望の約束である。だから移ろう時の流れの中に風が生まれ、風が声するのである。
小林一茶が、庄屋の家の初孫の祝いに呼ばれて「親が死に 子が死にそして孫が死に」と句を詠み顰蹙を買ったというが、人の世はこの句の順番に命が繰り返されるのかと言えばそうではない。だから「生なく滅びなし」の言葉が生まれ、人の生き死にに心を痛めるなと悲劇的諦めをつくるのである。しかし、移ろう四季は順が違えることなくやってくる。長短は年によってあるが確実に希望の約束が守られる。
さて、明日はもう少し贅沢に春を喰おう。
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ヒロ爺は、映画・演劇の脚本・演出を生業としておりましたが、日本シナリオ作家協会を退会し、何もやらない何もしない暮らしを始め、周囲の顰蹙を買っています。しかし、何もやらない何もしない暮らしは、その才能と精神力がないとできないことを知り、改めて己を天才(天災)かも知れないと思っている所謂呆け老人です。

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