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常世の風に吹かれて呟いて…

常世の国に迷い込んだヒロ爺が、日々の風に吹かれて呟きを舞う

明日に向かって矢の放たれた上弦の月は静かに

岳父の家に夕食をごちそうになり、今戻ってきたのであるが、満天の星に上弦の月が「さっき明日に向けての矢を射たところだが、明日の朝日は…黄金に上るだろう」なんてことを言っているようであった。
行く年・来る年も今日から明日の時の移ろい。明日に希望を思えば今日は静かに死暮れて新しきを呼んでくれる。
常世の風に吹かれて勝手気ままに呟いてきたが、大震災の影響で一日停電の休みがあっただけで、後は364日無事繋ぐことができた。
一日のメモ代わりにと呟いてきたが、来年も休まないことだけを目標に勝手を続けてみようと思う。
来年も小生にとっては良い年であることを願ってやまない。
(ヒロ爺)
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何事もなく静かに年の暮れて

お猫様、お犬様の世話をしながら話しかけてみた。「そうだよ、こうして何事もなく静かに時が暮れていくのが一番さ」 二人からは返事は帰ってこないが、彼等はいつもそのことを感じながら時を移ろっているのだろうと思う。特にお犬様は、6月までは人に怯え、竹やぶで息をこらして時の過ぎるのを感じていたのだから、小生との何事もなく静かに移ろうことの極楽を感じているに違いない。考えてみたら9年前にお猫様が怯えた細い声で我が家の玄関で呼んでいたのだから、今はそんなことあったかしらと言わんばかりに我が家の主になっているが、何事もなく静かに時の暮れることの重大さは言わずもがなで感じているに違いない。
今年も今日を入れて二日。我が家では静かに時の暮れている。日々これ平安、である。
(ヒロ爺)
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三日月の小舟を漕いで竜の年にわたる

キンと冷え込んだ空気は澄み渡り、空には弓張の月が黄金色に光っている。弓張のような三日月は時を渡る小舟のようである。冴えわたった天空を小舟に乗って竜の待つ年へ向かって漕ぎ出している気分の自分がそこにいた。
近年、季節をめくる度に、○○らしくない、○○の気分じゃない等と言われているように思う。その声を聴いていると、例えば先日までよく言われていたのが「クリスマスらしくない」であった。しかし、そう言う彼らの頭の中にはクリスマスとはどのような状態が描かれているのだろうか。今は恐らくあちこちで年末らしくない、とでも言われているのだろう。そして、年が明けると正月らしくない、となる。こうした声をする人たちは、目立つ喧噪だけがらしさなのかも知れない。
空を見上げ、早々と漕ぎ出してきた三日月を見て「あと二日が過ぎると、竜の年に着くな」なんてことを思うのが年の暮れなのではないだろうか。
(ヒロ爺)
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三日月に乗って静かにゆっくり一年を振り返る

今年も何とか無事に終わりそうである。吾を振り返ると良い一年であったと思う。愉快が程よく転がり連鎖した年であったと言えるだろう。小生が落ち着き穏やかで居るせいなのかお猫様もお犬様もそれぞれの陽だまりに鼻提灯をしている。我が家のお猫様もお犬様も安心しきって寝入っているときには、極楽の鼾をかく。お猫様は、最初はゴロゴロと喉を鳴らす延長線かと思っていたのであるが、そうではなく本物の鼾なのである。お犬様ほどには大きな鼾ではないが、本物の鼾である。
お猫様の陽だまりは窓辺のハンモックで、お犬様の陽だまりは縁側廊下の真ん中。今日は少し日差しが弱かったが、気温がさほど低くなかったので、二人の陽だまりは快適であった。
小生は来年の脚本の構想を鼻歌状態で夢想している実に幸せな午後であった。
来し方を振り返ればみな愉快。嫌なこと、辛いことであっても過ぎてしまえばそれは愉快なこととして思うことができるものである。
(ヒロ爺)
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年も暮れはじめ、新しい希望の芽の顔を出す

この呟きにも何度か書いたかもしれないが、今年は社会環境そのものは嬉しくないことの連続して起こった年ではあったが、小生のライフワークを取ります環境はかなりの上昇機運であった。昨日に続き、今日も伊藤道郎のために作ったというホルストの日本組曲を聞きながらそれを舞うための詩を考えていた。すでに完成されてある組曲に対して、どのような舞を創造し、どのような物語を与えるか、それを考えることは実に楽しいものである。
西洋音楽に乗せて謡曲に似た朗唱を与え、そこに前衛舞踏と手話の舞を組み合わせ、希望の物語を演じていく。実現できるかどうかは不問で構想を練るのは劇作家としては一番楽しいひと時である。
(ヒロ爺)
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この年の暮れは第九ではなくホルストの日本組曲

先日、モダンダンスの柏木久美子さんより、伊藤道郎の影響を受けて、道郎のため(?)に作曲したといわれているホルストの「日本組曲」のMDを送ってもらった。MDのプレーヤーがないのでギター文化館に出かけカセットテープに起し直しをしてきた。今それを聞きながらこれを呟いているのであるが、久美ちゃんが是非踊ってみたいと言っていた思いがよくわかる気がする。伊藤道郎はホルストが自分の影響を受け道郎のためかどうかは別にして「日本組曲」を作曲した。この曲のことを伊藤道郎自身は知らなかったという。もう少し彼が元気にいられたら、東京オリンピックの後にでも舞台に舞ったかも知れない。懐かしい日本の子守唄が何度も繰り返され、映画に音付される花魁道中のような曲想や花見に繰り出す人々の賑わいなど、小生の年代には懐かしすぎる情景の彷彿と思い浮かべられる曲である。組曲全体を網羅しての舞劇の創作および公演は難しいが、抜粋日本組曲による舞劇をくみ上げていくことはそれほど大変ではないだろう。
いま演奏を聴きながら、この日本組曲に常世の国の恋物語を舞ってみるのも面白いであろうし、新しい舞踏劇が生まれるだろうと、些か気分が高揚してきている。
(ヒロ爺)
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気持ちよく夜はふけて冷え込みも確かに

夕方からギター文化館の忘年会に出かけてきた。月の光では空気は温まることはなく、里山はシーンと冷え込んでくる。ギター文化館の駐車場から月を眺め、里山を眺めていたら体が心底から冷えてくる。しかし、この寒さが良い。白い息を吐きながらもっと冷えろと声に出してみる。へそ曲がりと思われるかもしれないが、冬はうんと冷え込むのが良い。それが冬という季節の役目なのだから。冷えるが良いと思いながら、昔、大山に出かけて時に土地の百姓から、冬はうんと冷えなければ春に農薬の量が増えるんだ。そう言っていたことを思い出す。農薬を使わないで済むようにうんと冷えるが良い。大好きな冬。一番は炬燵に昼寝ができるからかな。
(ヒロ爺)
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この私にもサンタは来るのかな

お利巧していたらサンタが来ると幼稚園の子供が教えてくれた。小生も口は悪いが、行いはちゃんとお利巧しているつもりだ。だから今夜、靴下をつるして床に入ったら、きっと素敵なサンタのプレゼントがあると思うのだが。
ところでマザーグースの歌ではないが、お利巧してないとサンタが来ないというのは実に残忍な言葉に聞こえるのだが、そう思うのはへそ曲がりな小生だけだろうか。
小生、お上手だとかお利巧という言葉ぐらい嫌いな言葉はない。お上手、お利巧の言葉がどれほど大勢の子供たちから才能を奪ってしまったのだろうか。お上手、お利巧を褒め言葉だと思っている人のなんと多いことだろう。褒め言葉どころかこれほど残酷で非道な尺度言葉はあるまい。目盛の実存しない尺度の言葉なのだから始末に負えない。
小生こんな風に思っている。自分の子供や孫には文化人に育ってもらいたいので決して使わないと。
文化力を育てるためには、実体のないお上手、お利巧の尺度言葉は早急に殺してしまわねばならない。こんなに害毒をまき散らしている言葉も珍しい。
こんなことを言っていると、今夜はサンタさんが表れそうもないな。
(ヒロ爺)
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お利口してたらサンタさんが来るよ

お隣の幼稚園に行っている女の子が「お利口してるとサンタさんが来るよ」と言って、一生懸命にお母さんのお手伝いをしていた。
石岡の街を歩いてみてもクリスマスを待ち焦がれるような賑わいはない。旧商店街の通りを歩いていても、四季の工夫もなく、季節外れの雰囲気だけが漂っている。恐らく今はもう市民の気持ち中には商店街に買い物に行こうという感覚はないようである。それでも何か事あるたびに市街地活性化だとか町おこし等の言葉だけが使われて、そこに暮しの臭いがしない。
「お利口してるとサンタさんが来るよ」の隣のお嬢ちゃんだけが暮しの臭いをさせていた。お嬢ちゃんの屈託ない声に、「ああ、ここには暮しがある」と嬉しい気持ちにさせられた。
昨日も少し書いたが、美浦村のモダンダンスの久美ちゃんから「ふるさと美浦村の昔物語」の本が送られてきて、今日も読んでいたのであるが、とても良く出来た本である。お話そのものは何処にもある物語であるが、編集が良い。伝承民話集なので、その本を声に出して読んだら、伝え話になるように文章編集がなされている。この地域の幾つかのふるさと民話集を見たが、どの本も学校の作文で点数を取るような詰まらぬ文章であった。だが、美浦村の昔物語集は、本を声に出して読めばそのままお話になるような文章編集になっていた。語り伝えられてきた物語なのだから語り聞くような文章構成と編集になっている。この村の文化力の高さなのだろう。ちょっとうらやましい気分にさせられた。
(ヒロ爺)
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物語を捨てた国はただ亡ぶだけ

今日、午後にモダンバレーの柏木さんから、美浦村の民話集「ふるさと美浦の昔物語」が届いた。来年3月末に美浦村で公演することになっている演目の題材を美浦村の伝承話の中から探そうとお願いしていたのであった。
立派な本である。その本を読んでいると、石岡の国分寺の雌鐘の話があった。美浦村の漁師の若者が、三つ又沖で漁をしているときに突風が吹き、高波に襲われたときに、湖底から雄鐘が恋しいといって「ゴ~ン、ゴ~ン」と泣いていた、というものである。石岡に伝わる話が美浦村風に脚色されて伝えられたものであるが、本家の石岡ではこの話を知る人も少なくなってしまっている。
ふるさとに伝えられる昔話というのは、そこに暮しを創るための一つの知恵としての側面があり、物語が一つ亡ぶと暮らしも一つなくなると言える。我が石岡市は「歴史の里」とは称しているが、伝えの物語を捨てておいて「歴史では飯は喰えん」などと馬鹿な台詞の聞こえてくる亡びを待つ国のように思えてならない。ふる里とは「物語の振る里」と小生声を大にして言うも、風にかき消されて耳に届くこともない。些か寂しいが、ボヤいても仕方がないか。
(ヒロ爺)
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冬ですね 毎朝薄氷の張って霜の伸びて

このところ毎朝、庭の霜柱をサクサクと潰して歩くことを愉しんでいる。お犬様は最近では、お留守番の時以外はいつも縁側のお犬部屋に寝ているのであるが、毎日庭のハウスの水桶の水は取り替えてあげている。その水桶の水が毎日氷が張っている。お盆のようになっている氷を毎朝取り出して、透かしてあたりの風景を眺めている。手がちぎれるような痛冷たいのだが、それが実に気持ちが良い。思わず冬ですね、良いですね、と口に出して言いたくなる。冬は寒く夏は暑くというきっちりとした節目のあるのが良い。暑さ寒さがはっきりとした形でやってくると、何故か安心が出来るのは小生だけであろうか。
明日の朝も寒いという。明日もまた氷のガラスで景色を透かし、眺められるかと思うと嬉しくなってくる。
とは言え、寒さが堪える老人です。
(ヒロ爺)
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三年ぶりのグリーンは固く凍りついており

低血糖で倒れたりしたことから、三年ばかりゴルフコースに出ることを止めていたのであるが、この半年間お犬様との散歩で少し体力がついてきたこともあって、誘いを受けて出かけてきた。しかし、朝の7時半スタートで、コースはカチンカチンに凍っており、プレーを愉しむどころではなかった。スコアは当然のことながら酷いものであったが、飛距離などはほとんど落ちていなく、これなら何度かコースに出れば元に戻りそうである。
そんなわけで今日は朝から居なかったので、お犬様を外のハウスに繋いでいったのであるが、矢張り小生が帰るまで小屋の隅にジッと息をひそめていたようである。小生の帰りに気づきハウスから出てきたらしく猛烈なお迎えぶりであった。直ぐに散歩に行くのは辛かったが、仕方がない。
明日も定期検診で朝から昼過ぎまで留守にするので、帰ってきたら大変であろう。だが、こうした家族になってしまうと、帰ってきても何も愛想がないとそれはそれで寂しいことである。
(ヒロ爺)
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脱兎のごとくに年の走り去り吾は必死に

毎年のことであるが、暮れも押し迫ってくると過ぎ行く時の早さを実感する。昨年の今頃だった。美浦村の柏木久美子さんの所に最初のけいこ打ち合わせに出かけたのは。今年も、今日、柏木さんと土浦のイオンで待ち合わせ、来年計画されている香港公演の打ち合わせと、4月に美浦村で行われる、柏木さんの指導するバレー教室の子供たちの発表会にゲスト出演する打ち合わせを行ってきた。
今年はいろいろと嬉しくないことが多発した年ではあったが、吾らが「ことば座」にとってはいい年であった。手話舞のユッキーちゃんにも大きく表現力の飛躍できた年であった。
毎年のことであるが、不幸なことや残念なこと、腹の立つことなど数え上げたらきりのないほど起こっているが、よくよくしっかりと振り返ってみると、不幸や残念事と同じ数だけ嬉しく幸せなことがあるものである。不平等というのは人間の社会の中だけで、個人に帰って自然の中に己を見れば不平等はないもので、嬉しく幸せなことが不幸や残念と同等にあるものである。ただそのことを意識しないと嬉しく幸せなことを見つけるkとができないものである。
一休宗純の言葉を借りて「自力たれ」と叫んでみると、自力の中には実にたくさんの喜びや幸福があるものである。ちょっと爺っぽい話になってしまった。
(ヒロ爺)
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今朝の霜柱は10センチ お犬様が齧っている

朝起きるたびに、今年一番の冷え込みだと思う毎日である。今日は庭に長い霜柱が立っていた。お犬様が死を踏み入れるとサクサクと音を立てて倒れる。その倒れた霜柱をお犬様がこれまた音を立てながら齧っている。寒いが良い眺めである。
朝のブラッシングを終え、天気がいいのでお犬様、外のハウスに行くのかと思いきや、縁側廊下のハウスに上がるのだという。確かに窓越しに太陽を受けている方が暖かく気持ちが良いのである。結局今日もお猫様、お犬様、そして小生の三人が縁側の陽だまりに鼻提灯の始末。
実に平和な一日である。
明日は、モダンバレーの久美ちゃんと打ち合わせである。良い話になってくれると嬉しいな。
(ヒロ爺)
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何時消えるお犬様の忌まわしい記憶

午後二時過ぎ、用事から戻りお犬様に「愛々ちゃん散歩行く?」と声をかけると大喜びの奇声を上げる。「行こう、行こう。待ってたんだよ~ッ」と叫んでいるようである。リードを手にそばに行くと嬉しい時に見せる愛々ダンスのスキップステップ。大喜びで散歩に出かけたが、今日は土曜日で子供たちがあちこちで遊んでいる。野球のバットや長い棒を持っている子供たちとあちこちで出会う。その度にお犬様は足を突っ張り動こうとしない。大丈夫だよ、と何度も何度も声をかけてやり、ようやく歩き出すのである。中には、犬好きの子供達もいるのだが、そばに来られるのが怖いのである。尻尾を下げて怯えの緊張感が凄いのである。
虐待を受けた犬(人間も含めすべての動物)にとって、その恐怖感を捨て去ることはほぼ不可能に近いといえる。我が家のエリア内にいるときには、小生のことを絶対的に信頼し、安心と甘えを見せるのであるが、一度我が家のエリヤから外に出ると、全身に緊張感が走るのである。これは理性ではなくもう己の生行動に根深く埋め込まれたDNAのようなものである。
今、お犬様は半分座敷犬のような形で、縁側の廊下にハウスを作ってあげている。外のお犬様ハウスは、こちらが出かける時にだけ、使用している状態である。恐らく、お留守番と言われると外のハウスに入ったまま一歩も出てこないに違いない。ガスや電気、水道の検針などに人が来ても、自分は居ませんといった様子に息を殺して、ハウスの隅っこに隠れているに違いない。
それでも最近は、小生がそばにいる時にだけ、気に入らない人が家の前を通ると遠慮気味に吠えて見せるようになった。吠えたらイケナイ、と叱るのであるが、お犬様としたら漸く自己主張ができるようになってきたと言えるであろう。
ヒロ爺がいるから大丈夫、はやくそう思えるようになってもらいたいものである。
お犬様、ただ今は廊下のお犬様ベッドで鼾をかいてござる。安心はしているようである。
(ヒロ爺)
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日暮れて寒さも冬らしく雪模様

陽が落ちてぐんぐん冷え込んできている。湯上りの今は寒さを感じないが、もう少しこのままにいると湯冷めで寒くなってくるだろう。今から少し着込んでおかなければ。縁側の廊下に拵えてあるお犬様のベッドからは、気持ちよさそうな鼾が聞こえてくる。以前に飼っていた「葉津」という名のパグのワンちゃんはものすごい鼾であったので、今のお犬様の鼾など寝息程度にしか聞こえない。パグちゃんの時は、お猫様同様に部屋の中に入れて一緒の布団で寝ていたものだから、耳元での鼾には往生したものであった。昨夜は、珍しく一晩中お猫様が小生の懐で寝ていて、珍しいこともあるものだと思ったら、お猫様の炬燵に電源が入っていなかった。今日は忘れないようにしなければ。今夜は冷え込むそうだから。
(ヒロ爺)
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陽だまりに主、お猫、お犬 三人で寝転がり

気持ちの良い青空に背を押され、昨日寒くて止めたゴルフの打ちっぱなしに出かけてきた。20球も打つと汗ばんでくる暖かさである。昼前に出かけたせいか、練習場は老人会のようである。体は皆動かないが勝手なゴルフ理論の口はよく回る。70歳前後の人たちばかりなのだが、まだ上手くなりたいのだろうか。そうではあるまい。手前勝手な理屈を披露することに生きがいを覚えているのであろう。能書きたれの多い人ほど上達とは程遠いのも面白い。老人料金なのだろうか、180球で500円とは安いし、これで能書きをたれながら二時間以上も練習場にいるのだから格安健康ランドである。
午後の陽だまりに、お猫様、お犬様と一緒に寝ころび中国の怪奇物語を読む。この怪奇物語は幽霊編と妖怪編があるのだが、これらを読んでいると、。日本に昔から伝わるという怪奇伝説や民話の殆どは、その源は中国にあるといえる。面白いもので、この伝説話は朝鮮国から来たものだな、と思っていたものが、実は年代からすると中国に生まれたものであるらしい。この事から考えを巡らせると大和民族という日本人は朝鮮人を主とした渡来人の混血集団であるといえる。八咫の三足烏だって中国が始まりで、朝鮮から日本へと入ってきた話である。
今、日高見の国に関する台本の構想を練るために、中国の古代民話を読んでいるのであるが、大和民族を日本固有の民族だと声高に言う人があわれに思えてくる。
(ヒロ爺)
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犬だってぬくぬくが大好きさ

今日は時々パラパラと雨が落ちてくる、落ち着かない一日であった。冷え込みもさほどないが、気分的に寒々しいものであった。お犬様も太陽が出ているとブラッシングの後しばらく陽だまりに寝転がっているのであるが、今日はすぐに家に上がるという。そして、お犬様マットの上にお気に入りのぬいぐるみを集め、囲まれて丸まってしまった。太陽が差さないのでお猫様も炬燵から出てこようとしない。それではと小生も、昨日抜歯した個所の養生のためと言い訳をつけて、一日炬燵に寝転がって過ごした。たまにはこんな日があってもと言いたいところだが、11月の講演が終わってからは、比較的こんな一日を過ごしている。少し前から、体を動かそうとゴルフの打ちっぱなしに出かけているのだが、今日はそんな気にもならなかった。
(ヒロ爺)
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ああ侘びしさの何故かつのれる年の暮れ

喰い物の日々に美味くなる年の暮れに一本の歯の失い、また味の一つを失うのかと寂しく侘びしい一日となった。先日から、二本しかない前歯の一本がぐらぐらししだし、腫れがひどくなってきそうなので今日歯医者に行ってきた。当然、その歯は抜かなければならないことは以前より分かってたことであるが、実際に抜いてしまうとやはり侘びしい気持ちになってしまう。
藤沢周平の「一茶」に、晩年の小林一茶が、最後の一本の歯が抜け落ちて落胆するシーンが描かれてある。そこには、一本の歯でも残っていれば沢庵を食べることはできないがポリッと音をたてることができる。しかし、沢庵をしゃぶることしかできないとは…といったような表現がされている。
小生はまだ一本のこっている、と威張ってもいいのだが、威張って見せたら本当に寂しくなってしまう。
今日は心底年の暮れの侘びしさを作ってしまった。
(ヒロ爺)
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小春日和の陽だまりにお犬様と昼寝する

お昼寝というには聊か早すぎる昼の前前に、お犬様はブラッシングが終わると陽だまりの廊下に上がるという。それで、どうぞと上げてやりお犬様布団を出してやるとごろりと横になるやたちまちに鼾をかき始める。その鼾に誘われて小生も眠くなってしまった。出かける用があったのだが、まあ良いかとお猫様を抱いてひと眠りした。実に幸せな感じを愉しむことができた。
午後から石彫家の鶴見修作氏の展示会に出かけてきた。ここ数年の鶴見氏の石人形の表情が変わってきて、今年はどんな顔を見せてくれるのかと愉しみに出かけたのであった。以前の石人形の顔は優しい笑みをたたえながら一点の瞳や笑みの頬に、人間の諸々の情念の片鱗を見せていたのであるが、最近の作には笑みが本物の笑みとなり、人としての情念は自然石のままの座りの部分に封じ込めたかのような感じの作品になっている。とつとつと話す言葉にも、その感じが表れていた。久しぶりに愉快な気分にさせてもらった。
鶴見氏の作品展は石岡市の香丸資料館で明日までやっている。時間のある人はぜひ見に行ってもらえたら、と思う。
(ヒロ爺)
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湯上りなのに指先の早や冷たく

さっきまで湯上りの汗を流していたと思ったのに今はもう指先が冷たくなってしまった。小生の部屋は今のところ足温器一つだけの暖房なので、ただ今の温度は10℃。ネックウオーマーとイヤーマスクをつけているので体は全く寒くない。しかし、パソコンを打つ指先がすぐに冷たくなる。こんな時にこそお猫様が膝の上に寝ててくれると指も温めやすいのであるが、今夜はまだやってこない。
そう言えば、昨夜皆既月食を見ようと外に出たら朧月のようになっていたので、朧月と書いたのであったが、どうも違和感があり辞書を引いてみたら、秋の薄く雲に霞んだ月は「油月(あぶらづき)」というのであった。もう大雪が過ぎて冬ではあるが、このうす雲に霞んだ月は「朧月」よりも「油月」の方が良いようだ。もちろん朧な月で間違いはないのであるが…。
脚本家を称しているのであるが、日本の言葉の豊富さには改めて驚かされる。そして何よりも美しい。美しい言葉の響きに出会うと愉快な気分になるものである。
(ヒロ爺)

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朧な満月の下 車の屋根にははや霜の降りて

満月を褒めようと戸外に出てみると、紗のような雲がひいていて朧の満月であった。朧な月だけを見ていると暖かそうであるが、どうしてもう車の屋根には霜が降りていた。風呂上りなので寒さは感じないが、息の白さは外気の冷たさを知らせてくれている。
今日は、本年最後のふるさと風の会の会報を作り終えたことで、今は何となく大晦日のような気分であるが、まだまだ二十日先にならないと大晦日にはならない。今年中にまだまだやらなければならないことが沢山残っているのだが、今日は何もやりたくない夜である。こんな夜は早く布団に入るに限る。布団にもぐりこんで、中国怪奇物語でも読むとするか。
(ヒロ爺)
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雪を期待したのに雪の姿見えず

冬らしい寒さの気持ちの良い一日でした。こう言うとへそ曲がりに聞こえるであろうが、大雪の過ぎたのであればこの寒さと雨(雪)模様の灰色の空は季節がはっきりと理解できて気持ちが良い。
雨の上がった午後、お犬様と散歩に出るとお犬様、突然のもうダッシュ。先日から小生散歩のときにランニングシューズを履くようにしたのであるが、どうやら走ってもいいと思ったのかもしれない。だがお犬様に本気に走られたら小生追いついていくことが難しい。30メートルもダッシュしたらもう終わりである。それ以上走り続けると心臓破裂でぶっ倒れてしまうだろう。
しかし、その辺はお犬様も心得ているのか30メートルほどダッシュするとスピードを落とし振り返ってくれる。その途端、このへそ曲がりな小生、クソッ!労わられている、とご機嫌が斜めになるのである。お犬様にしたら喰えねえ爺様、ということになるのだろう。
(ヒロ爺)
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この寒さにも負けず蟋蟀のノロノロ這ってきて

昼前には霧雨が落ちてきた。昼食後、本降りになる前にとお犬様と散歩に出た。今日に限ってゴルフ用のつば付きのキャップをかぶって出たら、冷たい風に耳がたちまち冷たくなった。糖尿病が進行してきたのに合わせて、耳や足先といった末端部の冷えが大きくなってきた。去年の冬は気を付けていたのでならなかったがその前の年には耳たぶが霜焼けになってしまった。血糖値が上がってくるというのは、こうしたところにも影響が出てくるようである。
夕方早目に雨戸を閉めに出たら、お猫様が玄関で何かを見つけてしきりに手で突いていた。何かと思って覗き込んだら、ヨタヨタと動く蟋蟀であった。こんな季節までよく生き延びていたものだと感心し、お猫様から解放して、縁の下に入れてやった。ところが夕方のテレビのニュースで、セミの話題を報じていた。11月の末だというのにセミが出てきて鳴いていたのだという。寒蝉なんてものじゃない。ニュースでは異常気象の影響と報じていた。蝉が出てくるぐらいだから蟋蟀が出てきても不思議ではないなと納得してしまった。
しかし、明日の朝は雪がちらつくかもしれないのだという。寒さは嫌いではないが、末端冷え症になるのはかなわない。これはどうも糖尿病ばかりではなく年齢のせいでもあるようだ。
(ヒロ爺)
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長閑なり静かなり師走は七日

パソコンが故障して以来、あくせく何かをやっている生活がなくなり、お猫様とお犬様とこの爺の終日のたりのたりを続けてきたので、今はそれがすっかり習慣となってしまった。その所為かどうか解らないが、パソコンが直ってきてバックアップしていたデーターを戻しているうちに、何のはずみかバックアップのHDのデーターの大半を消してしまった。昔の、HDがまだ容量の小さかったころはFD等にこまめに保存していたのであったが、最近HDの容量が大きくなってきたことを幸いに保存をさぼっていたら忘れたころにドカンと爆弾を落とされてしまった。
原稿をワープロ専用機で打ち始めた時に、百数十枚の原稿をやっと書き上げ、朝渡してやるだけとホッとした時に、保存と消去を間違えて押してパーにしたことがあった。それ以来必ずバックアップする習慣になっていたのであるが、二十数年ぶりに大ポカをやらかしてしまった。しかし、その当時のような切実感がなくあーぁ、とため息だけで済ませてしまい、あとはお猫様、お犬様を抱いて午睡の涎を流している。どうもしまらない爺さんになってしまったようだ。
長閑なり静かなり、そして呑気なり、である。
(ヒロ爺)
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冷たい雨に打たれて冬の到来を愉しむ

洗濯物の乾くまで陽が照っていておくれと朝の空に念じていたら、その所為かは分からないが夕暮れまで雨が待ってくれた。暗くなってきたので雨戸を閉めに外の出ると雨が落ちてきた。非常に冷たい雨粒であった。天気予報によると山沿いでは雪になるところもあるそうな。初雪の思われる頃になると子供の頃が思い出される。霜が解けてグチャグチャになった道路が早く雪で埋めてくれと思ったものだ。冷たい雨に打たれると今夜は初雪が降るかもしれないなと期待するのであった。猫を抱いて炬燵に丸くなる爺さんではあるが、こんな雨の夜は初雪を期待し、根雪を思ったりするのである。
小生の家ではまだストーブをつけていない。隙間だらけの部屋は冷気がスウスウしているのであるが、それほど火が恋しくは思わない。お猫様を抱いて炬燵に潜り込む怠惰が実に楽しいのである。部屋全体が温まってしまうと、何かをしないわけにはいかなくなるので、炬燵にごろごろが嬉しいのである。
(ヒロ爺)
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快晴も今日一日と三人で日向ぼっこ

昨日、今日の気持ちの良い青空も明日からは雨になりそうだという。そういえば昨夜の寒さはあまりなかったが今夜は少し冷え込みが強くなってきている。昨日と今日はPCと格闘しながら、疲れてくると縁側でお犬様やお猫様を抱いて日向ぼっこ。日向ぼっこを始めるとHDの故障で消失したデーターを悔やむ思いもなくなり、まあ人生いろいろあるわさ、と達観することができる。
お天道様の力とは大したものである。お犬様を抱いて日向ぼっこをしていると、お猫様が呼んでも来なかったくせにやって来てお犬様にパンチする真似をして追いやってしまう。それではとお猫様を抱いて日向ぼっこをしていると、お犬様がじわじわと近寄ってきてお猫様を嗅ぎまわる。お猫様はどうやらそれが苦手なようで逃げ出していく。それでやっとお犬様は小生の腕の中でくつろぎ始めるのであるが、くつろぐとまたお猫様がやって来てお犬様を追いやる。そんなことを何度も繰り返しているうちに、日が落ち始め縁側が冷え冷えとしてくる。縁側が冷えてくると「あ~あ、今日も終わるな」と思ってしまう。
まったくの隠居爺になってしまっている(ヒロ爺)でございます。
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気持ち良い晴天なのに気分は土砂降り

なんだか久しぶりの快晴のような気がする気持ちの良い晴天であった。お猫様もお犬様も朝から気分よくブラッシングされて、廊下の陽だまりにそれぞれの場所にぬくぬくと眠りを貪っている。二人の布団は太陽に干してふっくらと膨らんでいる。こんなのんびりできる晴れの日なのに小生は土砂降りの気分である。昨夜、修理が終わって戻ってきたPCを設定しているときに、どこをどう操作をしたのか、気が付くとバックアップしておいたHDを消去してしまったのである。なんど確認してもこのディスクは空ですときたものだ。
取り急ぎ必要となるデータはUSBに入れて古いPCで作業をしていたので助かったのであるが、急ぎではないが重要なデーターの大半が消えてしまったのである。これでは気分は土砂降りである。昔はPCの容量が小さかったのでその都度フロッピーに保存を移していたので、トラブルがあっても被害は小さかったのであるが、今は安心しているとごっそりやられてしまうので恐ろしい。
しばらくの間は、ため息の切れない日を過ごすことになるのだろう。あ~ぁ・・・・
(ヒロ爺)
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雨の日は寝てるに限るとお猫様お犬様

朝から雨で、お犬様も散歩に出たがらないし、お猫様も炬燵の中から出てこようとしない。午後からようやく日が差し始めたがお犬様に散歩に行くよと声をかけても知らん顔。恐らく、まだ草叢は雨で濡れているよ、とでも言いたいのであろう。
夕方、PCの修理が終わったと連絡があり、さっそく受け取りに行ってきた。しかし、HDが故障で交換となったため入っていたデーターがすべて消えてしまった。大事なものはバックアップしていたので良かったのであるが、一からやり直しである。今取りあえずネットが繋がったので先ずはこのボヤキを呟いているところである。これから、設定のし直しである小生には大事である。
(ヒロ爺)
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いい寒さですね嬉しい寒さですね お猫様と炬燵に寝転んで

今日は一日中家の寒暖計は10℃を差したままであった。お猫様は当然炬燵から出てこようとしない。東北の被災者の人たちには辛い寒さであるが、この厳しい寒さが復興への力を導くものであろうと思う。あまりの暖冬であれば、危急な復興への力が殺がれてしまうだろうと思う。暖冬を幸いに政治の怠慢を許してしまいかねないのだ。へそ曲がりなようではあるが、厳しい自然の力を見せつけてもらい、ぬるま湯にふやけてしまった頭の回路を正常に戻してもらいたいものである。
ちなみに小生、この寒さであるがまだ炬燵以外の暖房を出していない。子供の頃を思い出して、しっかりと着こんでいる。いささか着ぶくれの感は否めないが…。昭和26年のことである。疎開先の北海道から東京へ戻ってきたのであるが、火鉢一つの東京の寒さに吃驚したものであった。東京ってストーブもない貧しい所なのだと思ったものである。
いろいろな意味を込めて、いい寒さですね嬉しい寒さですね、と口ずさんでいる。
(ヒロ爺)
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ヒロ爺

Author:ヒロ爺
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ヒロ爺は、映画・演劇の脚本・演出を生業としておりましたが、日本シナリオ作家協会を退会し、何もやらない何もしない暮らしを始め、周囲の顰蹙を買っています。しかし、何もやらない何もしない暮らしは、その才能と精神力がないとできないことを知り、改めて己を天才(天災)かも知れないと思っている所謂呆け老人です。

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