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常世の風に吹かれて呟いて…

常世の国に迷い込んだヒロ爺が、日々の風に吹かれて呟きを舞う

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日差しはあれど風は冷たく五月の終わる

久しぶりに一日陽が差した。しかし、風は初夏の風ではなく冷え冷えとしたものであった。おまけにグラリと比較的大きな揺れが来た。何となく世紀末かと思ってしまう落ち着かない一日であった。落ち着かなかったのは小生だけでなく、家族になった愛愛も朝から落ち着きなく、散歩に行ってもトイレもせず、食事も摂ろうとしない。
明日は、ギター文化館で朝からことば座の通し稽古である。ユッキーちゃんの仕上がりが遅れておりちょっと心配である。オカリナの野口さんとの稽古は、明日が最後で、後は当日の午前中に調整をするしかない。
ユッキーちゃんへの心配とは別に、柏木久美子さんの舞の工夫が楽しみである。久美ちゃんとの稽古は週一回のペースであるが、その舞は稽古の度新しい工夫とスケール感が増していく。細かな指示を与える演出方法をとっていないのであるが、指示を与える以上に毎回の舞の創造が美しい流れを構成していく。明日は、ギター文化館での初めての舞で、その後は当日のリハ以外はギター文化館では舞うことはない。しかし、一度の稽古でステージと会場の雰囲気を把握して、後はイメージの中で奔放に拡大していく。共演者として演出家として非常に楽しみな公演である。
(ヒロ爺)
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雨風大嫌いお猫もお犬もハウスに籠りっきり

時期外れの台風と言った方が良いのだろうか、まだ夏も来ないのに台風騒ぎをするのは人間どもの勝手言い分なのだろうか。種のバランス調整は自然界の自助作用、と言う考えがあるが、人間の数だけが異常に増殖しているものだから、自然界の自助作用が働いているのだろうか。
キリスト教にはバベルの塔と言う戒めがあるのだが、この戒めは、キリスト教徒ですら守ろうとしない。異常気象と想定外思考は当に人間の愚かなバベルの塔であるという人もいる。異常気象に対して、ある気象学者がこんなことを言っていたのを読んだことがある。「異常気象だというが、実は異常気象でもなんでもない。異常気象と言うのは地球上に全く雨が降らなくなっただとか、風が全く吹かなくなった時に言う言葉で、地球全体としての雨の量が変わらなければ、気象的には異常とは言わない。何故なら豪雨の地域があれば旱魃の地域が同等にあるのだから場所が移動しただけで、気象が異常になったわけではない、と。
今想定外なる言葉が大流行しているようであるが、どうやら増えすぎた人間の間引きということが、自然界の自助作用として行われているのではないだろうか。
動物医からこんな話を聞いた。人間という動物、寿命が延びたとはいうがそれは進化の結果として寿命が伸びたのではなく、肉体の健康は相変わらず60歳程度から伸びてはいない、というのである。人間が高度に進化して寿命が延びたとすれば、自然のバランス摂理から言って、人間は子沢山をしないのだと。
(ヒロ爺)
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台風だよ台風だよ、雨なのにお犬様が呼んでいる

今日はギター文化館へ大島直君のギターリサイタルに出かけてきた。真面目な演奏で演出家としての小生には好感が持てた。小生、聾者の舞姫ユッキーちゃんと「ことば座」と言う劇団を立ち上げ、ギター文化館発の朗読舞を発信しているのであるが、できる限りギター文化館を動かず、中央から人が来てもらうことを考え活動を行っている。中央から人に来てもらうためには、中央にはない高い魅力を持つことが必要である。今、ギター文化館でなくては出来ない表現舞台を模索中であるが、詩の朗詠とギターと舞の表現を創ってみたいと考えている。6月17、18、19日の公演では、伊藤道郎門下の柏木久美子さんと小林幸枝の手話を基軸とした舞のコラボレーションを行うが、ギター文化館ならではの詩舞踏劇の第一歩となれば嬉しい。今回は、もう定番となったオカリナ奏者の野口喜広さんと矢野恵子さんのパーカッションが一緒に舞台を創造してくれる。
ギター文化館を出るころには、風も雨も強まってきて、三日目のお犬様は不安がっているだろうと、急いで帰ってきたら案の定心細げに雨に打たれていた。小生の車が入ってきたらもう切なげにウオーン、ウオーンと声を上げるのであった。それでも小生は、先ず長老のお猫様に声をかけ、ただ今を言ってからお犬様のところに行ってあげた。ペットたちと言えどもその順番はなかなか大変なのである。
何だか今日はちょっと尻切れトンボだ。
(ヒロ爺)
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お犬様とお猫様に時間とられて梅雨に入る

今日は午前中、ふるさと風の会の定例会に出かけた以外は、小生の時間の大半をお犬様とお猫様にとられてしまい20時過ぎてようやく自分の時間にしてもらった。
虐められて負け犬化してしまっているお犬様「愛々」に家族としての認識を持たせるために、雨の避けられる庭に面した軒先に椅子を出して、車が通ったり、人声がするたびビクビクと縮みあがる体を撫でてて落ち着かせ、この庭には虐める者はやってこないからね、と話しかけてやっている。あまり長くお犬様のところにいるとお猫様が焼きもちを焼くので、お犬様とお猫様の間を行ったり来たりして今はもう草臥れてクタクタである。
ただお互いに干渉しあわない仲になるためには、暫くの間こんなことをやらねばならない。お猫様は、少しずつ認める気配を見せ始めているが、お犬様はまだまだ時間がかかる。
本当は、陽だまりにブラッシングをしてやりながらスキンシップと会話を交わしているとお犬様も慣れるのが早いのであるが、こんな時に限って記録的な早期梅雨入りをしてしまった。そればかりか台風までやってくるのだから何てこったである。
お犬様の相手をしながら、震災や原発事故で放置されている動物たちのことが思われた。家族に見捨てられたような形になって三ヶ月近くになるが、我が家に来たお犬様のようになっているのだろうなと思うと心が痛む。
(ヒロ爺)
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野良犬ちゃんは愛々(めめ)と命名

昨日、小生の反対を押し切って連れてきた雌の野良犬ちゃんの名を「愛々(めめ)」ちゃんと命名した。小生が反対したにしろ、家族となったのだから平等な愛の中に一緒に幸せになろうと愛々と名付けてみた。しかし、愛々ちゃんと言う響きからはおよそ似つかわしくない容貌である。ちょっと名前負けしているが、性格は素直なので、今のところ負け犬の卑屈な態度をとっているが、少しずつ家族として慣れていくうちに負け犬の性格は直っていくだろうと思う。今日一日、そばに居て話しかけてやっていたら、少しずつではあるが小生に心を開き始めている。
小生、犬でも猫でも家に入れて一緒に暮らすことをするのであるが、愛々ちゃんはまだ家に入れるわけにはいかない。体の汚れを洗濯することもあるが、お猫様の「耳ちゃん」のお許しが出ないうちは家に上げるわけにはいかない。我が家のボスのお猫様は、今日もホットマットを敷いたお猫ハウスに一日ぬくぬくと満足の眠りを貪っていた。
(ヒロ爺)
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汚れにまみれた家族が一人やってきた

可愛そうな野良犬がいるので連れてきても良いか、と家人に言われダメだと言っておいたのだが今日とうとう連れてきてしまった。野良犬であるので当然汚いのであるが、それにしても汚れた野良犬であった。この犬、もともとお婆さんに飼われていたのであったが、お婆さんが亡くなり帰ってきた息子夫婦が飼育放棄して野良になった犬なのだという。
飼い主が亡くなり捨てられたことから、非常に憶病でオドオドした犬であった。初めて顔を合わせた小生に卑屈に直ぐに腹を見せて寝転んでしまう。完全に負け犬になってしまっている。さてさてこの犬をどうして家族にしてやったらいいものかと頭を痛めている。
可哀そうだから飼いたいと言って連れてきた奥様は、間違いなく面倒を見ないであろう。今日は、軽くブラッシングをしてやり気持ちを落ち着かせてやったが、こちらに気を許すのにはしばらく時間がかかりそうだ。小生に気を許すようになったら先ずはシャンプーをしてやり、小ざっぱりとしてやりたいものだ。
静かな日中がしばらくは乱されてしまう。お猫様に新しい家族を紹介すると、負け犬だと解かるらしく何時ものような威嚇行動はとらなかった。これなら何とか家族としてやっていけるかもしれない。
(ヒロ爺)
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オクラの芽一列になって前へ倣え

オクラの芽が漸く元気に両手を広げ次の葉の元気を促している。明日からはまた気温が下がるらしいが、南国生まれのオクラたちにはこの気温の上下がかなり厳しい。暑さにはめっぽう強いのであるが、寒さは大の苦手である。寒さが苦手といえば我が家のお猫様もそうだ。今日は暖かな(外は暑い)一日であったが、お猫様はペット用のホットマットを敷いたハウスがお気に入りで、出たり入ったりしている。熱いだろうからと電源を切るとダメだと文句を言いに来る。で、電源を入れておくと、熱いものだから出てきてヒンヤリの板の間に行き倒れるのである。今日は一日その繰り返しであった。
今日は、柏木久美ちゃんと舞の稽古を行ってきた。ユッキーちゃんは突然の用で一緒に稽古ができなかったが、久美ちゃんの舞は少しずつ熟成してきた。朗読をするのがとても楽しい。ユッキーちゃんの舞の作り方と全く違うので舞台に流れる風の渦に法則性が消えて二人の舞姫の個性が競い合う形になる。ちょうど里山の雑木林を抜ける風の様になる。来週は、ギター文化館での稽古となるので、里山の風の流れが何時もとは違う姿を見せるであろう。
楽しみである。
(ヒロ爺)
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お猫様 仮設の炬燵に大満足

昨夜、お猫様は一晩中小生の布団を出たり入ったりで、ゆっくり眠ることができなかった。今朝も、早くから抱っこ抱っことうるさくすり寄ってくる。先日、もう良いだろうと炬燵を片付けてしまったものだから、突然の冷え込みにお猫様は気に入らないのである。今更炬燵を用意するわけにもいかず、煩いけれど抱っこしているかと覚悟を決めたら、ウレタンか何かでこしらえたお猫部屋のあることを思い出した。可愛い色合いが気に入って奥様が買い求めてきたのであったが、お猫様は好きでなかったらしく、その部屋に入ったこともなかった。どこかにしまった筈と、押入れを引っ掻き回して漸く見つけ出した。そのお猫部屋の床に猫用のホットマットを敷いてやったら、大層なお気に入り。もうそこから出てこようとしない。これで今夜はゆっくりと眠れそうである。
(ヒロ爺)
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遥かなる時の想うて無事な一日

ことば座6月公演の「流海の舞」は遥か数千年以上も前のこの地に思いをはせて書き下ろした舞のための詩劇である。昼間一人稽古場で朗読の稽古をしながら五千年も前の姿を想ってみたのであったが、その頃の人間達は現代の私たちと同じような喜怒哀楽の中に暮らしを紡いでいたのであろうが、その情態は今の私たちに比べたら何十倍も単純化しておりしかも今より何十倍も純粋な心をぶつけ合っていたに違いないと思った。
純粋であるということは、複雑ではないということに他ならない。言葉もシンプルでストレートだったであろう。複雑で高度化した言葉ではあるが、説明のために定義化された言葉ではいくら複雑で多彩で高度化したとしても、今では意味不明の奇声や叫び声であった遥か遥かの古の言葉の方が遥かに豊かな心の表現ができたのではないだろうかと想像される。複雑な言葉を持った現代人は、単に狡くなっただけではないのだろうか。
自分で書き下ろした脚本であるが、朗読しながらそんなことを思ってしまった。
(ヒロ爺)
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分かれ道 風がやってきて立ち止まった

昨日までの暑さはどこへ行ったのやら。皮下脂肪のない小生、寒さにはめっぽう敏感である。夕方近くにザッツと一振りしたら途端に寒くなってしまった。お猫様はべったりひっついて離れようとしない。このところ家を空けることが少なくなっている所為か、お猫様のべったりとくっついて離れない。特にこの十日間ほどは本の乱読をしている所為もあって、お猫様にはゆっくりと膝の上に乗っていられるらしい。おかげで一日中お猫様を抱っこしているに等しい状態であった。
小生、時々、何かの切っ掛けである作家の本を狂ったように本を読みだすことがある。例えば白川道を狂ったように読み出したり、志水辰夫だったり、黒岩重吾、藤沢周平、立原正秋、藤堂志津子等々、作家の手持ちの本を全て読みつくすまで止まらないのである。立原正秋の本など何十回読んだことだろうか。面白いとか言うよりも読みつくさないと気が済まなくなるのである。何度夜明かしをしたことだろうか。実にこまった癖である。しかし、その癖がお猫様には大歓迎なのである。机の椅子に座ったままじーっと何時間も本を読み続けるのだから抱っこされるには最高の時なのである。
今日も、PCを起動させ、このブログを書き始めるまでお猫様はひざにまるまって寝ていたのである。小生の狂読も今夜でお終いだ。お猫様も明日からは陽だまりに戻ってもらわなくては。
(ヒロ爺)
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真夏日の暑さにお猫様は大満足

午後朗読教室があって2時間ばかり家を締め切って出かけたのであったが、家に戻ってみると蒸すような暑さであった。だがお猫様はこの暑さを満足そうに、陽だまりの中で昼寝をしてござった。家の空気を入れ替えようと窓を開け放つとお猫様は不満そうにミューと啼くと押入れの中に入ってしまった。とにかく我が家のお猫様は風もなくドロンと熱いのがお好きなので困ってしまう。真夏35度にもなろうという部屋でもエアコンをつけようものなら早く止めろ大騒ぎするのである。
今日の朗読教室は平家物語の指導であったが、非常によく語り読みができるようになってきた。自分の朗読スタイルが出来上がりつつある。6月のことば座公演の前に教室の発表会があるのだが、物語とそこに登場する人物に朗読者としての思い入れが出来上がってきており発表会が楽しみである。
(ヒロ爺)
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夏ですね そう本当に夏ですね スイカを喰いますか

30度を超す真夏日が各地にやってきた。今日は出かける用もなく一日本を読んで過ごしていた。お猫様が時々やってきて「ちょっと庭に出よう」と言う。たまにはお猫様の言う通りにとその都度抱っこして庭に出てやった。陽だまりの椅子に腰かけていると汗が噴き出してくる。お猫様に「夏ですね」と言うと「そう夏ですね」と応える。それで小生好きではないのだが「スイカを喰いますか」と言うと「水菓子は嫌いだ」とお猫様は言う。
水菓子、などと言うと今の人は水羊羹だとか清涼飲料水と思うだろうが、水菓子と言うのは果物の事である。祖母と浅草に二人で暮らしているとき、祖母は夏になると「暑いね。ヒロちゃん水菓子でも買ってこないかい」とよく言ったものであった。それを思い出してお猫様に言ってみたのであったが、お猫様は間髪入れず「水菓子は嫌いだ」ときたものだ。
そう言えば祖母と暮らしていたとき、祖母の家には氷を入れて冷やす冷蔵庫があった。勿論電気冷蔵庫もあったのだが、祖母は電気冷蔵庫を嫌った。冷たすぎて味が変わるといって、水羊羹などは氷の冷蔵庫に入れて冷やすのであった。毎朝氷屋が玄関先に届けていくので、朝寝坊することができなくて辛かった。寝てると「ヒロちゃん氷が解けるよ」と祖母が起こしに来るのであった。そのお蔭かどうか判らないが、小生低血圧ではあるが、早起きすることが苦ではない。勿論朝寝坊も大好きである。
(ヒロ爺)
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庭の草毟ったら蚊の奴家宅侵入

さて今日の呟きを書こうとブログを開いたら、蚊の奴の神経を逆なでする羽音をたてて頭の上を飛び回り始めた。今日は温かい(暑い)せいもあるのだが、夕方、庭の塀の隅に伸びていた雑草を引っこ抜いたものだから、葉裏を棲家にしていた蚊の奴らが家の中に侵入してきたらしい。小生、禿げ頭なので、頭頂によく汗をかく。それで夏になると蚊の奴らが直ぐに寄って来て大事な血を吸うのである。
夜、寝ようと枕明りを消すと直ぐに蚊の奴らはプーンと羽音を立てて襲ってくる。お猫様がそばに居るときは、羽音がするとお猫様パンチで追い立ててくれるのであるが、一晩中というわけにはいかないので、蚊遣をつけないと直ぐに頭頂を喰われ、痒さで目が覚めるのである。痒いと思って目が覚めたときには、相当に引っ掻いた後なのでそこにキンカンなどを塗ろうものならすっかり目が覚めるほどに痛みを覚えさせられる。それでもう早々と蚊遣をつけて蚊の襲来に備えている。
そう言えば、ここ数日、生け垣に植えてあるサカキに湧いて出た毛虫を火バサミでペチンペチンと潰しまわっている。殺虫剤を使えば直ぐに退治できるのであるが、小さな子供たちがその周りで遊んでいるので、一匹一匹火バサミで潰しているのである。もう何百匹も退治しているのであるが、まだ全滅できていない。今日も夕方、火バサミを持って見に行ったらまたまた湧いていた。それでも今日は十数匹であったから、もうそろそろ小生が勝利する日はやってくるであろう。
毛虫を退治しながら思ったのであるが、小鳥たちの数がめっきりと少なくなっているので、虫どもの天下になってしまっているのだろうか。天敵のいなくなった生物には一見我が世の春に思えるが、それは明日には滅び去ることの知らせに過ぎないのだから、喜んではいられない。小生、精一杯に天敵になってやらねばと、明日も火バサミを持って毛虫退治をやらねば。頑張るぞ!
(ヒロ爺)
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流海(うみ)にむかって遥かなる夢の舞え

今日は6月公演の出演者が全員集まり初めての合わせ稽古を行った。これまで朗読と舞いの稽古は行ってきたのであったが、音楽と効果の全員が集まっての稽古は最初である。とは言ってもこの後の全員での稽古は、6月1日ギター文化館で行う通し稽古が一回あるのみである。一つのテーマに沿って、各パートがそれぞれに稽古を積み上げて、本番に真剣勝負にぶつかり合って魂のコラボレーションを行う。舞と朗読は常に一体となって稽古を積み上げていくのであるが、それぞれの表現は決して固定化、定型化しない。だから本番は出演者全員が今日はどう勝負するのか互いの心の空気の流れを探り合う事になる。
脚本家や演出家などはそうなるともう蚊帳の外である。心の空気の探り合いは、何とか周りを自分の領域に引き込もうと火花を散らすことになる。見えない火花の散らし合いは開幕ベルが鳴るまで続けられる。開幕ベルが鳴った途端、全員から火花が消えてなくなる。開幕ベルが、火花の散らし合いが無意味であることを悟らせるからである。
全員が自分の領域を自分になって無心に自分の表現をする。どんなに違和感を感じても決して自分に妥協をしない。てんでバラバラに自分の楽器の音調整をする交響曲の演奏前と同じ状態である。しかし、誰かの始まりの風が流れ出すとその風は一気に風速を増して一つの渦をつくり天に昇ろうとする。その時、舞台のそでで成り行きを頭を抱えて見つめている演出家は自分の無力さをいやというほど知らされる。もう勝手にやれと腹をくくり、開き直ると客席からは演出家の思いもよらなかった喝采の嵐が起こる。
そう…、舞台とはそんなところなのだ。
今日はそんなことの想像させられる稽古であった。
因みに小生は、もう脚本家も演出家も捨てて、物語を語る俳優に逃げ込んでいるのである。
(ヒロ爺)
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雨雲の走り来るのに雲雀は未だ啼いておる

朝から朗読の練習をする。お猫様は、煩いなとこの二・三日お気に入りにしている押入れの衣装箱の上に引っ込んでしまった。
昼前に、雨が来ないうちに買い物をしてこようと大急ぎで出かけて来た。テレビをつけたら、大雨注意報のテロップが流れていた。洗濯物の乾き具合はと庭に出たら、雲雀が喧しく啼いていた。黒い雨雲がぐんぐん広がってきているのにまだすに戻らないのだろうかと思ったが、彼らが未だあんな高みに喧しく啼いているのだから雨は未だ直ぐには降らないのかも知れない。しかし、雲雀という鳥はどうしてあんなに忙しく啼き叫んでいるのだろうか。青空に啼く声はそれほど気にならないのだが、今にも雨が落ちてこようかという空模様の中に啼かれると何故かこちらの気持ちが苛立ってくる。天高くの一か所にホバーリングしながら良くぞあれだけ息切れもせず啼き続けられるものだと驚きである。
雷雨がやって来たのは三時近くであった。午後の約束があって出かけようとしていたら雷雨がきそうなので、日を改めようと連絡が来る。どうも勤めを持たない者達は怠惰が身についてしまっているようだ。小生も雨が降るのに出かけるのは嫌だなと思っていたところだったので、日を改めよう、の電話には助かった。
ちょっと昼寝を、と思ったところに雷が吠えだした。雷が吠えだした途端お猫様がやってきて、膝に抱っこせよと煩く鳴く。雷で停電すると嫌なので、パソコンを落とし、しばしお猫様を抱いて怠惰な昼寝を始めた。本当は陽だまりに怠惰な午睡が理想なのだが…。
(ヒロ爺)
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ふと母の声想う日暮れの烏

日暮れに烏が一羽啼きながら巣に帰って行った。その烏の声にふと母の声を思い出してしまった。母の声が烏に似てたというわけではない。日暮れに一羽啼きながら巣に戻るのであろう姿があまりに印象的だったので、一行の詩をと思っているうちに母の俳句を思い出したのであった。
母が亡くなって一年になる。95歳の大往生であった。母を思い出したついでに、母の句集を本棚から取り出し眺めていたら、『志に燃えし友は老いたり落ち葉踏む』の句が目にとまった。それでこんな風に自分に変えて口にしてみた。『志に燃えし吾も老いたり落ち葉踏む』と。
日暮れの烏が目にとまり、母を思い出すなんてあまりにも柄でない。だが確実に小生も歳を重ねているのだから頑張りを捨てた志を高く掲げて歩いていくことを考えねばなるまい。そう、年寄りにはまだ早いが、若くはない。
(呟いてヒロ爺)
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雲雀の天高く声高く姿は雲間に

庭に日向ぼっこをしていたら、雲雀の声が喧しく天から降ってきた。頭の真上に声が聞こえるのであるが真上を見ても雲雀の姿は見えない。我が家の斜向かいが使われていない畑になっていて、今は雑草が伸びている。かなり広い畑で、定期的に耕運機が土をかきまぜ雑草を退治しているのであるが、雑草はすぐに生え背伸びする。どうやらその草むら辺りに雲雀の巣でもあるのだろう。その草むらには雉の夫婦もいて、時々けたたましく啼き声をあげる。最近、家の周りに野良猫がいなくなり、雉の夫婦も安心して暮らしているようだ。
「ひばり」は「雲雀」と漢字にあてるが、雲間に飛ぶ雀とは良くぞあてたものだ。もともと文字を持たなかった日本人であるが、漢字を輸入して音声言語を文字にしたのであるが、よくぞここまで漢字を使いこなし独特の文字言語を創りだしたものかと、遠く先人達の文芸感覚には脱帽してしまう。
大事にしたい日本語は山ほどある。しかし、その全部が残っていくことはないだろう。人の進歩は世界を小さくし、言葉も個性のない説明言語ばかりになってくる。それはそれで仕方のないことではあるが、それによって日本語でなくてはならない文芸をも捨て去るようであってはいけないだろうと思う。そんな理由からではないが、最近のことば座の脚本の大部分が詩文になっている。舞劇の脚本だから詩が多くなるのは当然であるが、物語の朗読部分も詩文に近い表現をわざわざ用いている。
俳句、短歌、和歌、詩などを詠み、文として書いてみると日本語の改めて美しさを思い知らされる。
(ヒロ爺)
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突然の雷雨に 濡れ燕を想ふ

夕方、突然の雷雨が来た。膝の上に丸まって寝ていたお猫様が何事かと仰天するかのように膝から駆け降りると、家の中を走り回りだした。尻尾を目いっぱいに膨らませ狂ったようにである。その様子を見て突然可笑しさが込み上げてきて、小生も狂ったように大声をあげて笑った。笑い終わって、どしゃ降りの外を眺めていたら、「濡れ燕」なんて言葉を思い出した。俳句の季語にもなっているが、素敵な言葉である。こんな言葉を思い出すと、日本語ってなんて美しく心を表現する言葉なんだと思った。ふるさと風の会の打田兄は、よく「思っていること、考えていることを文字に表すことができるのは人間だけである。それなのに文章を書くのは苦手だ、とか嫌いだというものは、人間を放棄すると同じだ」というが、まさしくその通りだ。
それにしても日本語の「言葉創り」は何と感情豊かで美しいのかと、しみじみに思う。雨にちなんでもう一つ紹介すると「彩雨」なんて言葉がある。春の彩雨といえば花々の咲く色に染まった雨を思い浮かべ、秋の彩雨といえば紅葉に染まって降る雨を思い浮かべる。そういえば少し前に「花筏」なんて言葉を思い出したことを書いたが、この言葉も綺麗で、オシャレな表現言葉である。
携帯メールなどで詩や物語を発表することが流行っているようであるが、言葉の使い方があまり美しいとは言えない。一見オシャレっぽいのであるが深みのある綺麗さがない。新しい日本語の表現と言えばその通りであるが、感覚的説明文に思えて仕方がない。これでは風の景のような心の表現は難しくなるのだろうし、携帯メール文には風の景は求められてはいないのかもしれない。
言葉は時代とともに変化していくものであるが、大切にしなくてはならない文化的言語もあることを忘れないでほしい。
(ヒロ爺)
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夕暮れ寝 目覚めれば夜も更けて

昼寝ならぬ夕暮れ寝をしてしまった。夕暮れ寝なんて言葉はないだろうが、昼寝というんだから夕暮れ寝があってもおかしくないだろう。いつもと違う生活態度を示すと、お猫様からすかさずクレームが来るのであるが、どんより曇ってしかも夏の陽気であった所為か、お猫様も小生の懐に抱かれ一緒に夕暮れ寝を決め込んでいたものだから、二人して目覚めたら夜もすっかり降りて、しかも雨まで降っている。
変に寝てしまったので、今夜はなかなか眠れないだろう。だがお猫様ときたら、小生と一緒に目をさまし水を飲んだらまた小生の椅子の上で眠ってしまった。そうだ、今日はこのまま怠惰にウダウダトしていよう。眠れなければ眠れなくてもかまわないさ。
(ヒロ爺)
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小雨降る一本道 引き返すきっかけもつかめず

雨が降ると何故だか家の中にじっとしているのが嫌になることがる。今日は夕方までは降るのか降らないのかハッキリしろと空に向かって大声を出したいような空模様であった。こんな時に、気分を変えて敢えて散歩に出かけるととんでもないことになる。
何時の事であったか…。小雨の中散歩に出たことがあった。晴れていれば好きな真っ直ぐ一本の散歩道であるのだが、小雨が降っている所為で散歩していても気持ちが弾まなくて、何処で引き返そうかと迷っているうちに切っ掛けを掴み損ねて晴れていてもいかない所まで行ってしまい、帰りにはどしゃ降りにあってしまったことがあった。
人生も同様である。そろそろ引き返すことをしないと取り返しのつかないことになるぞ、と思いながら切っ掛けを掴めずズルズル時を引きずり自虐的になってしまうことがある。小生の場合はズルズル引きずるというよりは自己破壊衝動とでも言ったかたちで、わざと引き返さないことが多かった。それで何かいいことがあったとか酷い目にあったということはないが、気分はとてつもなく不健康になる。
今日は何度か外に出ようと思ったのであるが、その都度お猫様が「何処行くんだ!」と飛び出してくるので、散歩に出ることはしなかった。それが良かったのか悪かったのか今は不愉快な気分である。しかし、これはお猫様の所為ではないな。
(ヒロ爺)
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妹二人限りなく美しく素敵に

今日はユッキーちゃんと柏木久美ちゃんが初めて稽古を行った。柔らかくゆっくりとした舞の動作に、明日あたり二人の妹の足腰は筋肉痛を起こすのではないだろうか。手話をベースとした舞から離れて、心のうねりを舞の動作にしていく表現はユッキーちゃんには初めての事になる。
呼吸時間の調整で動作の緩急を作りながら穏やかな波にたゆとう舞は、そこに春の小鳥たちの囀りが聞こえてくるような感じにさせられた。
ユッキーちゃんと久美ちゃんの調整は、十分な言葉での説明が出来ないので、百聞は一見に如かずで、まず久美ちゃんの舞を見てもらった。これは聾者の人達の才能なのであるが、視覚に捉えたものの吸収判断は健聴者には想像がつかないほど優れたものがあるが、ユッキーちゃんの吸収力とその再現力はずば抜けていると言える。2月に久美ちゃんと一緒に舞って、大いに吸収するものがあったが、今回はそれ以上に大きなものをつかんでくれるだろうと大いに期待しながら、6月の公演の出来栄えが楽しみである。恐らく私が描いている出来上がり以上の表現が出来上がるだろうと思う。
二人の舞の稽古を見ながら、小生自身の朗読も言葉を舞う音にしなくてはと頭を痛めている。しかし、大変楽しみな舞台である。
(ヒロ爺)
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新緑の雨に洗われて色鮮やかに

午後ギター文化館に行く。雨が降り出し、蒸し暑い午後であったが、喫茶室から眺める里山の緑が生き生きと鮮やかに誇っていた。この喫茶室から見る里山は何時みても表情豊かにこちらに語りかけてくれる。窓辺のテーブルに腰掛け里山に対面すると詩文が自然にわいてくる。
木下代表と雑談しながら、この景観から電信柱と電線が消えたら、それだけでも人が集まってくるだろうにね、と話たのであったが、まさにその通りである。
夕方6時からユッキーちゃんと稽古を行った。明日、柏木久美子さんとの稽古がある所為もあってか、吃驚するほど大きな舞になっていた。2月に一緒に舞を舞ったことの影響が、ユッキーの魅力を引き出すのによい作用を与えている。無意識であろうが、柏木さんの間の創り方をかなりたくさん吸収させてもらったようである。明日の稽古も楽しみだが、本番が待ち望まれる。
(ヒロ爺)
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オクラの芽が出た明日の雨は冷たくないか

天候というのは意地悪なもので、暖かい日が二日も続くと、地中の種は「よし、芽を出そう」と土を割って表に顔を出すのであるが、顔を出した途端冷たい風が吹き出すのである。一端芽を出したらもう地中に頭を引っ込めることができないのが植物たちである。地表に顔を出したばかりの芽は冷たい風に弱い。直ぐに凍傷でダメになってしまう。
庭にオクラの種を蒔いたのであるが、昨日までは頭を出していなかったのであるが、二日間暖かかったので、夕方畝をのぞいたらほとんどの種が芽吹いて地表に顔を出していた。明日は雨になるらしいのだが、冷え込まないだろうかと心配である。二、三日前に慌てなくていいぞ、と声したはずなのであるが暖かい日が二日も続くと競って頭を出すようである。まだ頭を出していない所でも、土が盛り上がってひび割れができていたから明日は頭を出すのだろう。同じ日に種を蒔いたのだからといえばそれまでだが、暖かさを感じて地表に顔を出すのが一斉というのはちょっと考えると不思議なことである。小生のようなへそ曲りはいないらしく、皆一斉である。そのかわり滅びるときも一斉になってしまう。丈夫な芽だけを残すように、三粒ほど一緒に蒔くのであるが、折角だから三人で相談し合って、時間差で顔を出せばいいと思うのだが…。
明日からの天気をちょっと心配をしている。
(ヒロ爺)
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振り返っても何も思い返せない一日の愉快

さて、ただいま今日のブログメモを書こうとページを開いたまでは良かったのだが、今日は…と呟いた途端、今日は何をしたのか全く思い出せなくなった。アルツハイマー症が出たのかと心配したが、そうではないようだ。思い返しても思い出すことがなかったのである。ホッとしたら、けだるい初夏の陽気であったことに気付いた。久しぶりの暖かい、というよりも暑い初夏の陽気に「ひねもすのたりのたりかな」の幸せな一日であったのだ。小生の待ち望んでいた一日がやっと来たのである。
本当に何もしないでボーッとしていたのかとよくよく考えたら、結構あれこれやっていたのだ。だが、それらをあまりしっかり覚えていないというのは忙しそうに動き回っていたとしても、神経の疲れるものではなかったのだから、何もしなかったに等しいのだから、まずは理想の一日が過ごせたのだから、春の愉快と言わずばなるまい。
やぁ~、愉快愉快。
(ヒロ爺)
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大器晩成 まだ芽を出すなオクラ達

自分の体調の所為かと思ったのであったが、矢張り薄ら寒い気候なのだ。午後雨が降り出してからは一層に薄ら寒さを感じる。お猫様も炬燵内のホットマットから出てこようとしない。庭に出たとき、思わずオクラの種を蒔いた畝に声をかけてしまった。大器晩成でいこうぜ。まだ芽を出すな!と。
今日は「ふるさと風の会」の会報印刷であった。風の会の会報も今回で60号となった。満五歳となったのである。小生、何か事を始めるときには、3・5・7・9と比較的短期の達成目標を立てることにしており、今回が第二段階の達成である。来月からは、7年を目指して活動を続けることになる。今回の会報にへそ曲りな文を書いてみた。それは、達成を記念するよりも次のステップへの一歩を踏み出すことを記念とした方が良いと。確かに、人間というもの一つの目標を達成すると、大なり小なり一種バーンアウトの情態になるものである。やれやれとにかく目標が達成できたという安堵感と同時に、何だ一生懸命にやったつもりだがこんな程度か、といった感情を持ってしまうものである。そんなこともあって、小生は達成を記念するよりも、次へのスタートを記念するようにしている。しかし、これは行動する者にはかなりしんどい事である。やれやれ一休みと思いたいところをさあ次を目指して頑張ろうということなのだから。小生も歳を考えて少しのんびりとしたいのであるが、やることをセイブすると時間ができたからあれをやってみようか、ということになりそうなのでまあ暫くは現状維持で行くしかあるまい。
(ヒロ爺)
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春の暖気も薄く ああ忙しい忙しい

この石岡市へは何もやらないために越して来た筈なのであるが、今年は明けて間もなくから実に忙しい。だが、特別な重大事を行っている訳でもないのだ。しかし、一つが終わってのんびりしようとすると、やらなければならないことが見つかってしまうのである。何てこった。
今日は一日家にいたのであったが、机に座りっぱなしでパソコンと格闘しているものだから、お猫様はむくれて炬燵から出てこない。縁側に出ても暖かい日差しがあるわけではないので、ホットマットに寝そべってのたりのたりしている方が良いのだ。
午後、雨でも降りそうな雲行きだったので慌てて葉書を買いに出てきた。あちこちの庭には藤の花が薄紫に、または白く開いている。藤真っ盛りであった。
友人のブログに諸葛菜のことが書かれていたので、どこぞに咲いていないかとキョロキョロ見回してきたがどこにも咲いていなかった。雨上りの陽に照らされた青の花の輝きは実に美しいものである。小生は、小田急線の路肩に咲く花を人間缶詰の間から風に揺れる青の花を恨めしく思ったものである。
家に帰るとお猫様が出てきて、わたしも庭に出せという。抱っこして庭に出たが、日差しがないものだから直ぐに家に入ろうと言い出す。全く我が家のお婆のお猫様の我儘には手を焼いてしまう。
(ヒロ爺)
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満開の藤の花も寒さに震えて

今日もギター文化館へ手伝いに出かけた。腰痛の小生が手伝えることなどないのであるが、まあ枯れ木も賑わいである。こうしたアマチュアのコンクールに立ち会うのは去年に次ぎ二度目であるが、審査員も大変であろう。シナリオなどの新人賞の選考も頭が痛いが、プロへの登竜門であるから、才能の感じられない作品は、即刻鐘一つでサヨナラしてもらうのであるが、こうしたコンクールではそうもいかない。今日は本選であるのだが、矢張り早々と鐘一つ鳴らしてもらいたくなる。アマチュアのコンクールであるから洗練された演奏を期待はしていない。それよりもへえーッ、と稚拙などとの感想を持つ前にビックリさせられるような感性を期待したのであるが、それは無理な期待というものであろう。しかし、出演者達の一生懸命さは好ましいものであった。
最後の審査発表を前に、小生のタイムアウトで帰ってきたのであったが、途中、山藤の花が淡い紫に満開であった。しかし、今日は冷たい風で、長く垂れ下がった花房がちじみ上がっていて可哀そうであった。家に帰ると、お猫様がホットマットの敷いてある炬燵から出てこない。耳ちゃん、と声をかけると炬燵の出入り口からちょっと顔をだし、ミューと一声鳴くとすぐにまた潜り込んでしまった。
(ヒロ爺)
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楽しさを阻害する因果

今日はギターコンクールの予選会であった。例年に比べ参加者が少ないのは残念であったが、大震災直後なのだから大成功だと言える。昨年もそうであったが、脚本・演出家などというもの因果な商売で、ただただ良かった良くなかったとコンクールを楽しんでおればいいものを、本能的に楽しむことを許さないのである。
アマチュアの大会であるから技術的な未熟さは仕方がないし、そのことで演奏者を評価はしないのであるが、肝心の演奏者たちが、見事な技術をみせようとするのである。これには演出家としての部分が楽しもうとする気分にブレーキをかけてしまうのである。
コンクールだから先ず難癖をつけて人数をふるい落とさなければいけないので、ある程度は仕方のないことなのであるが、このふるい落とし作戦のために参加者全員、演奏が没個性なのである。自分が脚本家であることから、譜面は演奏者の個性的な感性を引き出すための台本なんだから、忠実に譜面をたどるだけでなく、譜面を借りて自分を表現することに先ずは全力を尽くそうよ、と思ってしまう。そして、演出家である自分は、表現者の個性がないような人は俺の作品のオーディションに来るなよ、といった感覚にさせられてしまう。
昨年、今年のコンクールを見ながら、フィギアスケートの大会で、規定がなくなりショートプログラムとなったように、音楽の世界も選考の基準を少し見直した方が、才能の発掘には良いのではないだろうか。
因みに、脚本や小説の分野での新人賞の審査基準の最大は、既成を突き破る強さの有無、なのであるが、こうしたコンクールでもそのような判断基準を最優先に、というわけにはいかないのだろうか。
(ヒロ爺)
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寒いニャー お猫様オカンムリ

今日はお猫様がうるさく付きまとうのを振り切って朝からギター文館のギターフェスティバル&シニアギターコンクールの手伝いに出かけてきた。出かけるときに、お猫様のホットマットに電源を入れておいた方が良いかちょっと迷ったが、節電節電と電源を入れないで出かけた。今日は3時頃に引き上げさせてもらったのであったが、家に帰るとお猫様がオカンムリであった。寒かったというのである。確かに昼ごろから風が冷たくなり、半そで姿では、些か寒かった。お猫様がむくれるのも無理はない。さっそく炬燵に電源を入れてやると、満足そうに真ん中に寝転んだ。
今年のギターフェスタは震災の影響で些か寂しいものであったが、これは仕方がないだろう。しかし、参加者が少なくても自粛を名目にして中止するよりはいい。災害等で気持ちが沈みがちな時ほど文化的行事は華美である必要はないが盛大に開催した方が良い。頑張ろう、などと百ぺん口にするよりも美しい音色が響き渡る方がよほど元気になれるものである。
明日はシニアギターコンクールである。精一杯の自己陶酔の響きをホールの天井に向けてに投げ上げてもらいたいものである。
(ヒロ爺)
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黄砂の風に吹かれて舞姫二人

今日はことば座6月公演への全体ミーティングで土浦へ出かけてきた。黄砂が舞っていて黄色く景色が霞んでいた。事前に演出資料を送ってあったので、昼飯を食べながら、資料に基づいた雑談会であったが、非常に楽しい時を過ごすことができた。柏木久美子さんの提案もあって、ユッキーちゃんとしては、手話の舞から離れ、久美子さんのリードでモダンダンスで詩の朗読を舞うことになった。さてさてどんな舞を見せてくれるか楽しみである。
音楽担当のオカリナの野口さん、矢野さんのアイディアも加わり楽しい舞台になりそうである。今回の脚本は、単純明快な恋物語を離れて、いろいろ問題意識を投影させての恋物語なので、それを表現する側のイメージの作り方いかんでは、前衛的な舞台にもなり、また屁理屈な舞台にもなりうる。全体の信頼感が微妙なバランスを創りあげるだろうと思う。
来週から柏木さんとユッキーちゃんの二人の舞の稽古に入るが、今からワクワクしている。小生のワクワクが過ぎて低血糖症状を起こして倒れないようにしないといけない。
明日から三日間、ギター文化館へ手伝いに出かけることとなる。腰痛の小生では、大して役に立たないであろうが、まさしく枯れ木も賑わいの一つとCD販売担当としてでも座っていよう。
(ヒロ爺)
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ヒロ爺

Author:ヒロ爺
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ヒロ爺は、映画・演劇の脚本・演出を生業としておりましたが、日本シナリオ作家協会を退会し、何もやらない何もしない暮らしを始め、周囲の顰蹙を買っています。しかし、何もやらない何もしない暮らしは、その才能と精神力がないとできないことを知り、改めて己を天才(天災)かも知れないと思っている所謂呆け老人です。

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