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常世の風に吹かれて呟いて…

常世の国に迷い込んだヒロ爺が、日々の風に吹かれて呟きを舞う

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花の名は 山野草の本ひらいても声のなく

庭の草むしりをしながら、小さな花が可愛く、名を知ろうと山野草の本を開いてみるも、双子葉合弁花類・双子葉離弁花類・単子葉類などの分類とキク科、ウリ科、マツヌシソウ科等などが判らないと調べようがない。仕方がないので、小花の前に腰を下ろし、一ページ毎写真を見比べて判断しようと頑張るも、なかなか探し当てることができない。似たような草花を見つけて、解説に目を通すと、花は9月~10月に開花、などと書いてある。
雑草の名を調べるのを断念して、黄色のタンポポの綺麗さに見とれ、タンポポのページを開いてみた。するとどうだタンポポだけでも12種類もあるのだ。西洋タンポポと日本タンポポしかないのだと思っていたらそうではないのだ。カントウタンポポもあればカンサイタンポポもあるのだ。タンポポはキク科タンポポ属なのだそうである。
名もない雑草なんてものはないのであるが、その名を知るには容易なことではない。これでは雑草と呼ぶのが一番良さそうである。綺麗な雑草、可愛い雑草、憎たらしい雑草、そんな風に呼ぶのが一番である。考えてみると雑草とはよくぞ表現してくれたものだと感心してしまった。
しかし、庭に分厚い山野草の写真集を持ち出して、雑草の名を調べようなんて、「春なんですね~」。
(ヒロ爺)
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お猫様 尻尾を膨らませ大狂走

今日は昭和の日という休日であることを初めて知った。何時からこのような名称になったのだろうか。昭和の日を作るのであれば、現代の始まりである明治の日、そして大正の日が何故無いのであろうか。文化的に見れば、対象の日なんてのはあって欲しい祝祭日である。
5月の3,4,5日はギター文化館へ手伝いに出かけるので、連休に予定していた作業を今日早々と済ませた。お猫様は、朝ブラッシングをしてから放ったらかしにされていたものだから、3時過ぎに作業を終えて家に入った途端、尻尾を3倍以上に膨らませ大狂走を始めた。小生の机の上、プリンターの上、本棚の上えと大狂走するのである。小生の嫌がる場所であることを十分に承知したうえでの大狂走なのである。
小生の大声で「耳ちゃんダメ!」と叱るのを待っているのである。「こらッ!」と追いかけてやると大喜びで家中を駆けずり回るのである。これをパソコンを閉じてあるからと知らん振りしていると狂走を止めるのだが、後でとんでもない悪さをするのである。原稿を打っていて、トイレに立った隙を狙って机に上がり、キーボードの上をわざと歩き回るのである。原稿を消されてしまうこともあれば、変なロックがかかり外すのに大汗をかいたりするのである。だから遊んでほしくて机に乗った時は大声で「こらッ!」と追いかけてやるのである。
しかし、これを夕食が始まり奥さんと話を始めると、焼きもちを焼くわけではないのだろうが、小生の気を引こうと机に上るのである。全く自分勝手な悪知恵の働くお猫様である。
のどかな連休の第一日目である。
(ヒロ爺)
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オクラの種を蒔いた 早く芽を出せ

昨日の強風でトマトの苗の根元付近の茎が折れてクの字に曲がってしまい、再起不能と思われたのであったが、添え木を立て盛り土をしてまっすぐに固定してみたのであった。それが、今日の夕方点検したら、何と確りと水を吸い上げていて広げた葉もしおれることなくシャンとしていた。大感激である。縁起の良い日だと思ったので、オクラの種を蒔くことにした。
小生、オクラを食べることよりも、夏の早朝、朝露に濡れて咲く透き通るような黄色の花と挨拶を交わすのために種を蒔くのである。勿論オクラを食べることは好きであるが、それ以上に花の表情が素敵である。今年は、昨年秋から枯葉や枯草を土に埋め込み、所謂有機土壌作りをやり少し畑を広げてやった。畑といっても、塀のそばに幅60センチ長さ6メートルほどの一畝である。今年は、そこに15株ほどになるよう種を蒔いた。15本のオクラが一斉に花を開かせたら今年の夏はさぞかし賑やかなことであろう。今からワクワクしている。
(ヒロ爺)

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春の嵐 トマトの苗をなぎ倒して

一日すごい強風だった。春の強風というよりも初夏の不愉快な暖かさで吹き付けてくる悪玉の風である。夕方庭に出て驚いた。折角根付いてすくすくと伸び始めていたトマトの苗が一本なぎ倒されていた。狭い庭の一畝の菜園だから、胡瓜でもトマトでもナスでも二本づつ植えているので、一本がなぎ倒されたら直ぐに補充しなければならないのだ。明日、早速トマトの苗を買いに行かなくては。
今日はユッキーちゃんと久しぶりの稽古だった。まだ舞のイメージを模索している段階であるが、なかなか良い舞になっていた。五月から本格的な稽古になるのであるが、その頃には舞のイメージもはっきりと固まってくるであろう。6月公演は、モダンダンスの柏木久美子さんと一緒なので、実に楽しみな舞台となる。手前味噌にはなるが、柏木さんとユッキーちゃんの舞のコラボレーションは、この常世の国のギター文化館にしか観ることのできない舞台なのである。ユッキーちゃん五年目の舞台であるが、記念すべきジャンプアップの舞台になるだろう。
今日は、家が揺れるほどの強風のためかお猫様は外に出ようと言ってこない。毎朝、縁側の窓ガラス越しに庭を見渡し、陽気を確認している。少しでも不愉快を感じるときには、決してお外を要求しない。我が家のお猫様は、全くのお大臣様である。
(ヒロ爺)
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ぐるり里山に山桜のあかりさす

石岡にしては珍しくおいしいパスタを食べさせてくれる店「ふらの」が、ギター文化館へ行く途中にある。しかし最近はパスタよりも蕎麦の方が中心となってしまった。小生も糖尿病の食事節制もあり最近ではほとんど蕎麦にしているのであるが、今日は久しぶりにトマトソースのパスタを食べてきた。
昼食の後、ギター文化館へ行ってきたのであったが、喫茶室から対面の里山を見ると、白く霞を混ぜたような芽吹いたばかりの緑葉の中にところどころあかりを差した様に山桜の花が見えた。今日にしか見られない里の色である。明日になるとまた少し変化した白合いになる。
月曜、火曜はユッキーちゃんがギター文化館で仕事をしており、行ったら早速携帯に撮った写真を見せてくれた。パンジーのおどけ顔が二つ頬を寄せているものである。駐車場の石垣の隅に咲いているのだという。帰りに、これがおどけ顔のパンジイーと教えてくれたのが、何と1センチ程度の小さな花であった。ピッタリ寄せられて組まれた石垣の、それこそ5ミリぐらいの隙間に溜まった土に無理矢理根を張ってしがみつく様に生きていた。しかし、近づいて見ると悲壮感なんて全くないひょうきんな顔で笑っていた。
明日からユッキーちゃんと、本格的な稽古が始まる。
(ヒロ爺)
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春を開く花見上げれば天にとけて白く光っている

午前中は良い天気で、天の青もすっきりと抜けていたが、昼近くから生ぬるく妙な風が吹き始め、雲行きも怪しくなってきた。しかし、幸いなことに雲が割れて我が家の地域は晴れが戻ってきた。ニュースを見ると、取手や千葉方面は竜巻が吹き荒れたのだという。少し前までは、竜巻というのは大陸に発生するものだ、ぐらいに思っていたのだが、近年は此の細長い日本列島にも車を巻き上げるような竜巻が発生している。いよいよ地球の大変動の時期に入ったのであろうか。あのヒマラヤ山脈がかつては海底にあったのだと知れば、地底のマグマのご機嫌いかんでは、地表の自然なんて何が起こっても不思議ではない。自然のご機嫌には、被害を恨まずやれやれ今回はラッキー命が助かったと喜ぶしかない。
今日は午後ちょっと出かけてきたのであったが、途中山桜の満開に遭遇し、車を降りて見上げてきた。そうしたら満開に春を咲かせた花が天にとけて白く光って見えた。何か随分と儲けものをした気分になった。明日も、今日のような儲けた気分を味わいたいものである。
(ヒロ爺)
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陽向にうらうらとお猫様と二人

何日ぶりであったろうか。お猫様と二人、春の陽だまりを満喫させてもらった。今日のお猫様は非常にご機嫌が良かった。ところが5時過ぎに突然の雷雨。直径1,5センチほどもある雹までが落ちてきた。折角植えつけた胡瓜とトマトの苗が心配である。
雹が落ちてきたときお猫様を抱いてちょっと外の様子を見に出たら、大粒の雹にお猫様はびっくり。家に入るとまっすぐに炬燵に入り込み、電源を入れろと催促をする。
春雷にとんだおまけが付いて来た。この季節、あまり雹の降る回数が多いと農作物が心配である。今年はとんでもない冷夏にならぬことを願うばかりである。
(ヒロ爺)
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陽だまりにうららと微睡みたいとお猫様

今日は午前中出かける用があり、家を空けたのであるが、帰ってきたらお猫様のご機嫌が麗しくない。どうも今日の集まりの中で猫どもの悪口ではないが、厄介な方であると話をしたのが感じられたのであろうか。福島の原発事故で強制的に飼い主たちと別れさせられてしまった猫たちに比べたら、天国の女王様以上に大事にされていると思うのだが、午前中は出かけないことになっているのに、黙っていなくなったとでも言っているようである。
夕方近くに、お猫様がやってきて外に出ようと催促してきた。それで勝手なお猫様だなと思いながら抱いて庭に出たら、突然にどしゃ降りになってしまった。仕方なく家に戻り、抱いたまま庭を眺めていたら、お猫様も恨めし気に外を眺めていた。ここしばらく、庭の陽だまりにうらうらと微睡んでいない。明日は陽だまりにうらうらと微睡を楽しむことができるのだろうか。
(ヒロ爺)
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三日もすればそれが日常

寒い寒いと三、四日何もしない日を続けていたら、今日は暖かな一日であったのにお猫様とゴロゴロとしてしまった。怠惰がすっかり日常になってしまった。しかし、この怠惰な一日というのは時々は良いものだと思う。
ゴロゴロしながら朗読の稽古をしてみたが、締まりのないただの本読みになってしまった。
無駄を削いだ詩文を朗読するというのは、読み手も命がけの緊迫感を持っていないと広がりのない言葉となってしまう。まさしく演劇とは、劇しく演じなければならないものだとわからせてくれる。
今日一日は、怠惰にどっぷりと浸りこむことにして、元の日常に戻すのは明日からにしよう。
(ヒロ爺)
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お猫様と炬燵ぼっこ

午前中、定期検診で出かけてきたのであったが、今日も風が冷え冷えとしており、外に出て何かをしようという気分にはなれなかった。定期検診から戻ってもお猫様はお出迎えにも現れない。家の中は、外よりも冷え冷えとしている。これではお猫様は、ホットマットから降りることはない。
小生もお猫様にならって、炬燵の電源を入れ潜り込む様に寝転がる。結局今日は午後からズーッとお猫様と炬燵ぼっこで終わってしまった。
(ヒロ爺)
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風が冷たすぎて小花も肩をすぼめて声もなく

太陽は顔を出しているのだが、風は冷たかった。
今日は朗読教室の日で、午後から出かけてきた。今日の教室の生徒は、65歳になって朗読を始めた男性である。最初は、朗読なんて男のやるものじゃない、といった感覚でいた人なのだが、何が心境の変化を与えたのか始めることとなり教室に通ってきている。
朗読を演劇という認識のない人たちの多くは、一~二度通ってくると直ぐにやめてしまう。小生、教室に来た生徒には必ず作文を書かせる。朗読したい物語が決まると、また直ぐに作文を書かせる。それで皆止めてしまうのである。朗読とは物語を声を出して読むことなのであるが、それを他人に聞かせるのであるから読み手は確りと声に演じなければならない。声に演じるためには、読む物語に自分はどのような思いを持って何を表現するのかを構築しなければ読むことは出来ない。
朗読というのは、その物語を借りて自分の思いを表現するものである。その物語を借りて何を表現するかを整理するためには、作文は不可欠なものである。なのに朗読するには、作文を書いて自分を整理しなければいけません、と最初の指導をすると翌日から来なくなるのである。小生としては、商売に教えようなどとは思っていないので、そういう方は直ぐにやめていただいた方が時間がとられず助かるのだ。
今日の生徒さんは、器用ではないのだが朗読という演劇に真正面から取り組んでおり、教えていて大変気持ちがいい。昨年から生涯をかけて「平家物語」の全段120句の読破を目標に頑張っておられる。小生、現代語訳して渡さないので自分で辞書を引きながら理解し、朗読を創っている。見上げた頑張りである。
夕方、庭の小花の散策にと思ったが、風が冷たくて、お猫様も早く家に入ろうと煩いのでこれ幸いにと断念した。
(ヒロ爺)
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春の氷雨に名もなき花も首をすぼめ

今日は朝から冷たい雨で、楽しみにしていた庭の名もなき小花探しがダメになった。昨日綺麗な花だと思っていた青い小花は今日は花をすぼめていた。今日は松島の方では雪がが降っていた。被災地ではさぞ大変であったろうと思う。我が家のお猫様は、トイレに行く以外は炬燵から出てこようとしない。
小生も今日は、何も手が着かず、本棚をひっくり返して山田詠美の「風味絶佳」を引っ張り出して読み返している。彼女の小説はデビュー作からズーット好きで読んでいるが、この風味絶佳も彼女ならではの感性がこちらの感性を愉快にくすぐってくれる。
明日からは、6月公演に向けて本格的な稽古に入る。ユッキーちゃんに新しい面が創られてくることを願っているのだが、楽しみである。
(ヒロ爺)
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澄んだ青の小花 名はなんといふ

今日は少し風が冷たく感じられた。その所為かお猫様が炬燵に入れてあるペットマットのスイッチを入れろとミューミューと催促。仕方なく電源を入れると、一日炬燵から出てこない。爽やかな風なのであるが、昨日に比べると気温が下がっているので、お猫様には寒く感じられるのであろう。
暖かいと小生が庭に出ると、直ぐにやってきて自分も連れて出ろとうるさく言うのであるが、今日は出てこないので草むしりをしながら、小さな小花を眺めていた。雑草と言う呼び方しか知らないのであるが、直径3ミリ強ほどの澄んだ青の小花が実に綺麗であった。その花だけを見ていると毟ってしまうのが勿体無いほどであった。それで昔詠んだ歌を思い出した。
 「側溝にしがみ付いて咲く小花 名はなんと訊ぬるも応えのみえず」
春は桜に代表されて、他の花は忘れられそうになるが、庭に咲く名も知らぬ雑草という草にも可愛らしく美しい花を咲かせているのだから、たまには、一度ぐらいは地面に顔を近づけて見てもらいたいものである。
今日は小生の庭に「小さい春を見つけた」。
これからしばらくの間、狭い庭であるが季節の色々を探してみたいと思う。
(ヒロ爺)
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山桜 これからが盛り花

桜の花(ソメイヨシノ)もそろそろ終わりである。風土記の丘の桜便りを昨日のブログに見た。枝垂桜が今は満開であるとか。枝垂桜を別名「糸桜」とも言うのだそうだ。枝垂桜と呼ぶよりも糸桜と呼んだ方が風情があるように思うが、小生だけだろうか。桜には色々な種類があるが、小生の好きなのは山桜である。ソメイヨシノも確かに綺麗であるが、どうも京女のべたっとした着物の着方のように思えて仕方がない。八重のボタン桜を、厚化粧の中年女のようで好きじゃないと言って、奥様方から顰蹙を買ったことがあるが、山桜に比較してみたら矢張り厚化粧過ぎて小生には美しく思えない。
(ヒロ爺)
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花筏をかきわけてカイツブリのデート

近くの小さな池のそばに咲く桜を見に出かけてきた。日当たりのよい場所の所為か花弁が舞い落ちて、花筏を作っていた。花筏とは綺麗な表現をするものだなと日本語に感じ入っていたら、番いのカイツブリがやってきて、花筏をかきわけてよぎっていった。なかなか絵になる良い風景であった。気分よく家に戻ってきてお猫様と遊んでいたら、突然に大揺れが来た。昨日一日穏やかだったもので、今日もそれが続くと思ったが、そうではなかった。今日の地震は、東北関東大地震の余震ではなく、別の地震だという。自然界には何があっても想定外はないのだから、日本列島大揺れになっても不思議はない。そのうち火山の爆発も連鎖してくるかもしれない。休火山が最近また活動をし始めているのだそうだから。
地球上に生物が誕生して40億年ほどになるのだろうか。その間、生物たちは何時も地上の大変動に怯えながらそれを回避するように命を繋いで進化してきた。しかし、ごく近年の人間どもだけが地上の大変動を無視した発展を遂げてきて、良い気になっていたものだから、これはもう天罰に違いない。と、まあこんな風に言い片づけてしまえば簡単、楽な結論である。しかし、生物にとっての天命とは、生き残ることなのだから怯えに油断なくとにかく長生きしなくては、とヒロ爺はおもっている。
(ヒロ爺)
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本当に春です 春なんですねえ

ブログの新しい記事を書く、を呼び出したまでは良かったのだが、はて今日は…、と詰まってしまった。いや、詰まったというよりは何も頭に浮かぶものがないのである。ええ~と、今日は…と思い出してみても何も思い出せないのだ。小生にアルツハイマー症がやって来たのだろうか。いやいや、そんなことはない。記憶をたどってもたどれない、という感覚ではない。そう、今日は一日を思い出してみても思い出すものがなかったのだ。
そりゃあ勿論、朝目覚めて、トイレに行って…などのことはある。生きているのだから当然である。だが心に、心象に残したものが何もないのである。春なのだ。そうです。春だから何にも思い出すことのない一日があるのです。うらうらとはるなんですね~。
(ヒロ爺)

思い出した。そういえば今日は体に感じた地震が一度もなかった。気付かなかったのではなく、たしかなかったのだと思う。やっぱり春だったのだ。
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そろそろオクラの種蒔きと畝を掘る

今日は各地に夏日の気温がやってきた。我が家も昼前から夏日のような温かさになった。それで、今年もオクラの種を蒔き、黄色の花とその実を目と舌に褒めようと、早速塀のそばにオクラ用の畝を掘り、肥料を敷きいれた。二、三日後に種まきをしようと思う。
真夏の早朝、朝露に濡れて光るオクラの花は実に綺麗で爽やかである。昨日は、庭を耕し、胡瓜の苗とフルーツトマトの苗を植えた。真夏の早朝、オクラの花を愛で、朝露に濡れた胡瓜とトマトを摘み取り朝食に乗せるとその日一日の元気がもらえる。夕方にはオクラを摘み、刻み込んでご飯のさいにのせる。
放射能汚染を心配する人もいるが、幼児じゃないので、舌の満足の方が優先である。放射能も注意は必要であるが考えもないヒステリックはいただけない。平常のリズムを失わない注意が必要であろうと思う。
(ヒロ爺)
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かわらぬ顔で時の過ぎていく

今日も大きな余震が来たが、一か月ぶりに今日から通常の生活に戻した。通常の生活といってもことば座の稽古のことである。小生が突然の腰痛を起こしたのが2月の27日。3月の6日のオカリナと詩の朗読コンサートには車椅子で出演。そして11日に東北関東大震災、そして福島原電の事故。余震の群発と放射能の問題で右往左往しているうちに一か月が過ぎてしまった。
日常生活では物凄い変化の連続であったが、稽古場でユッキーちゃんと顔を合わせて、稽古を始めてみたら、人間どもだけがあたふたしていたにすぎないことに気づかされた。人間どもがあたふたしていてが、時の移ろいだけは何の変化もなく、刻々と時を刻み一月を終わらせていた。地球のマグマがすっかり冷え切って、固体化しない限り地震はこれから先も起き続ける。時の確実に過ぎて行ったことに気づいたら、小生も地震ごときに心を煩わされないでマイペースでいこうと改めて心に決めた。
(ヒロ爺)
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流石にお猫様も吃驚大慌て

余震ももう慣れっこになったのかと言えば、そんなことはない。逃げ出そうと身構えることはしないが、何と気疲れることか。今日は午前中にやや大きな余震が何度か続き、午後はもうないかなとギター文化館へ出かけてくる。出かける時、お猫様が何となく不満そうな顔を見せていたので、ギター文化館では長話をしないで、お猫様を口実に早めに帰ってきた。
お猫様は、直ぐに出迎えに出てきて、うん今日は早かったな、といった顔をした。そして、抱っこして庭に出ようと言うので、仕方なく庭を一回りしてやった。たとえ一、二分であっても、自分の思うとおりになると、それで満足してくれる。まだ腰痛が確り治っていないので、少し動いたりすると疲れがどっと出てくる。それで、お猫様を抱いて横になった途端、ドドドッ!と大きな揺れがやって来た。抱かれてグルグルのどを鳴らしていたお猫様、突然の大揺れにビックリ仰天大慌てで炬燵の中に潜り込んでしまった。
お猫様ほどではないが、大きな揺れは有難くない。何時まで続くのか…、早く終息してもらいたいものである。
(ヒロ爺)
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こんな陽気がどうも鬼門

今日の陽気は小生にとってどうも鬼門らしい。2月の末に貧血を起こして倒れたのも雨が降りそうで、湿度が高く生温かい日であった。何となく体調がすっきりとしないので、午前中に用をすべてすませ、午後はお猫様を抱いてボーッとしていたのであるが、夕方、大きな余震がやって来た。地震そのものの被害はなかったが、その後に群発する小さな揺れが、気分を滅入らせてしまった。
お猫様も電源の入っていない炬燵に潜り込んだきり出てこない。今もまたゆらゆら揺れが来た。すっきりとした初夏の陽気に早くなってもらいたいものだ。
(ヒロ爺)
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桜の花はやっぱり春の笑顔

ふるさと風の会報とことば座6月公演の台本を持って、行方市浜のオカリナの野口さん宅へ出かけてきた。途中、道の両側にはあちこちに桜の並木があり、3~4分咲きの姿を見せてくれていた。私は、桜の花といえば山桜を直ぐに思い浮かべ、ソメイヨシノなどの桜はあまり好みではないのだが、矢張り今のこの季節はソメイヨシノなどの桜の花は、春の笑顔といえる。山桜にはない、そわそわさせられる華やかさを持っている。
野口さん宅へ行くと、犬の「けんけん」と猫の「タマちゃん」が出迎えてくれる。今日は、腰痛を理由に二人の「おやつ」を持っていかなかったが、おやつを持っていくと「けんけん」「タマちゃん」は大喜びしてくれる。我が家のお猫様は、ある銘柄の猫のドライフードしか口にしないので、おやつで喜ばせることができない。我が家の食卓に何が乗っていても全く欲しがらないのである。焼き魚であろうが、お刺身であろうが、くれと言うことはまずない。はた目には非常に躾の行き届いた猫のように見えるが、躾をしたわけではなく、はじめから人間の食べ物に興味を示さないのである。だから、ちょっとさみしく思うこともある。それで、「けんけん」「タマちゃん」には、遊んでもらうためにできるだけ賄賂を持っていくことにしているのである。
野口さんのところの犬と猫は、本当に仲の良い二人で、今日も「けんけん」の背中に「タマ」を乗せても両者とも全く嫌がらない。我が家のお猫様とは全く違う二人に会いに行くのも、野口さんのところへ出かける大きな楽しみでもある。
(ヒロ爺)
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ゲコゲコゲコ 庭の蝦蟇にも恋がやって来た

数日前から、ゲコ・ゲコと我が家の庭に住み着いている蝦蟇蛙の啼く声が聞こえていたが、今日は雨が降ったことで突然何匹かの蝦蟇の合唱が聞こえている。裏の家がかなりの敷地を持ち、ちょっとした木立があるものだからどうやらそこに何匹かの仲間がいるらしい。蝦蟇なのでケロケロケ、ケロケロケと可愛らしく啼く訳ではないが、ゲコゲコでも恋を呼ぶ声は、何となく愛しく聞こえる。
我が家の周りの空き地には雉も住んでおり、時折けたたましい鳴き声をきかせてくれる。雉の夫婦は、野良猫だけを注意していれば、人間は危害を加えないものと安心して姿をさらしている。しかし、このあたりも最近は住宅が急激に建ち始め、蝦蟇や雉の住めるところがなくなってきている。
我が家の庭には、蝦蟇もいれば青大将も住んでいる。夏になると木蓮の枝などに脱皮した蛇の皮が巻き付いていたりする。蝦蟇や青大将のために、塀の四隅などの雑草はなるべく抜かないようにしているのだが、雑草を茂らせておくと蚊が繁殖するのでちょっと困る。蝦蟇が捕獲してくれるといいのだが、蝦蟇のエサはもっと大きな昆虫らしいので蚊は一向に減らない。真夏の夜中、お猫様が蚊の奴目をパンチしてくれるのだが、捕まえた形跡はない。
今年は、節電ムードで蚊取り線香の買いだめなんてことがないことを祈る。
(ヒロ爺)
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春の嵐に お~い、洗濯物

すごい春の嵐であった。洗濯物が飛ばされそうになり大慌てさせられた。ヒューヒューと唸りを上げる中、お猫様を抱っこして、せっかく陽が照っているのだから日向ぼっこしようぜ、と庭に抱いて出たらひと風強く吹かれたとたん「ダメだ、家に入ろう!」と爪を立てられてしまった。それで癪に障ったので、お猫様の前爪の先を爪切りで切り落としてやった。しばらくしたら、お猫様懸命に爪とぎを始めた。
ところで猫の爪とぎとは言うが、実は爪とぎではなく爪抜きなのだ。猫の爪は鞘のようになっていて、常に新しい爪にしておくために、爪とぎのような動作で爪抜きをしているのである。お猫様の奴、小生に鋭い爪の先を切られたので、早く抜いて新しい鋭い爪にしようとしているに違いない。
明日は、会報「ふるさと風の会」が出来上がるので、一回り配りながら桜の花でも見て回ろう。
(ヒロ爺)
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春の微睡の中に余震の遠く夢の中

暖かい一日であった。お猫様と一緒になって、庭の陽だまりに椅子を持ち出しウラウラーと憂い気分に微睡んでいたら、ズズーンと余震が来たが、この春のウラウラーと憂い気分を邪魔されてはなるものかとお猫様と二人、微睡を貪っていた。被災地の人には申し訳ない気がするが、小生の春を感じ、春を享受することには遠慮する気持ちはない。むしろ、そんな余裕の持てない人たちの分まで代って憂い春の午後と対話したいと思う。
さて、ニュースを見ていたら雨降りの韓国で福島原発事故の影響による高濃度の放射性物質が降ってくるのを恐れて雨に濡れないようにといった事が言われ、傘をさして街を行く風景が映し出されていた。これを見ながら、原発事故そのものはわが国だけに限らない重大事故であるのだが、放射性物質に関する有害性(安全性とは言わずあえて有害性)については、その報道は無知な風評を流すだけのものでしかないのは、ドキュメンタリー映画の製作人であった小生には情けない思いがする。現在、国内でも大騒ぎしている放射性物質の検出量は、発電所周辺はともかくとして、石岡市や小美玉市などの量は、有害を断定できるものではない。有害の可能性を論議するに過ぎない値なのである。
小生は安全だと話しているのではない。危険性は大いにある。しかしその危険性は可能性があるという危険性の範囲なのである。こうした話は書くのが面倒なのであまり触れたくないが、前にも少し書いたが、安全の証明はできるが危険(毒性)の証明は安全の証明の何倍も難しい、と。
放射線に関しては、自然界に受けるもの以外は、強弱は無関係に、治療以外の目的で受けることがあってはいけない、というのが基本である。何故なら、生命の維持にとって不必要な異物だからである。
だが、地球上に60億(?)の人類が繁殖し、暮らしを作っていくためには原子力の安全利用は不可欠の要件といえよう。現在享受している文明の利器のすべてを放棄して、60億の何10%の人間が飢え死にするのかは分からないがそれを受け入れることをしない限り原子力の安全利用は実現させなければならない問題でもあるのだ。
自分のことなのだから他人事として右往左往することだけは止めてもらいたいものである。
(ヒロ爺)
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春の盛りがやって来た

日中の陽気は、もう春真っ盛りといった状態である。庭に小さな菜園や花園を作り楽しんでいるのであるが、花植えの小さな畝を耕すだけでもう汗びっしょりである。まだ腰痛が完全回復したわけではないので、変に腰を庇い、上体だけに力を込める所為もあるだろうが、矢張り春真っ盛りの陽気である。
ことば座6月公演の台本「流海の舞」を早く決定稿にしようと読み返しをし、加筆・修正をした。6月公演では、2月の陸平遺跡の文化財センターで小林と一緒に舞を演じてくれた柏木久美子さんを、ギター文化館にお招きし共演することになった。柏木、小林両舞い方の特長を十分に生かし切った台本にとやや力が入っているが、二人の舞のスケール感に負けないように大き過ぎると言えなくもないテーマを設定してみた。しかし、今小生の頭の中にあるイメージ通りの表現が創れたら、やや観念的な詩も、華やかな舞となって言葉の姿を創ってくれるだろうと思っている。
妙な自粛ムードが創られているようだが、各々の天職には自粛などという萎縮はつくってはならないと小生は考えている。いかなるジャンルであっても我欲のないところにのみ天職が存在するのであるから、天職によって素敵を創りあげてもらいたいものである。自分自身も含めて…。
(ヒロ爺)
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波は 風は 何を囁いている

自然とは無常なもの。無常とは、仏教では人生のはかなさを言うようであるが、無常とは「常が無い」ということで決まりがないということである。自然の法則といって、自然には法則があるかのように思われているが、自然には法則はない。自然の中に存在する物理だとか化学だとかには法則が存在するのであるが、いわゆる自然現象には法則はない、というよりは法則化することができないと言った方が正解であろう。自然とは自ら然りなのだから、何でも有ということである。
これは多分に文学的な屁理屈であるが、法則を振りかざすものほど、何かがあると想定外という。自然というのはもともと想定の難しい想定外のものなのだから、今回の地震や津波は想定外だとかの言い訳は、そもそもが論外なのである。想定のできない自然災害なのだから、謂わば我欲を優先させた愚かな想定を反省し、無常を見据えての想定を思考することが必要だろうと、この20日間ほどの政治の無能ぶり、評論・解説の無能ぶりに腹を立てている。
脚本家である小生は、物語とは想定外を語ることであると思っている。想定外を語らない物語はだれも興味を示さない。恋愛、推理、スリラー、SF全てあっと驚く結末を有しているから、皆その物語を面白がったり、楽しんだりするのである。
想定外を言い訳に使わず、想定外を創造していく知恵も持たなければいけないのではないだろうか。へそ曲りだと言ってしまえばそれまでだが、そんな思考を持つことは無駄なことではないと思う。
(ヒロ爺)
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桜待ちながら翁媼の日向ぼっこ

桜の蕾が随分と膨らんできた。例年よりも幾分遅れ気味だというが、日当たりのよい場所では明日にも咲き出すのではないだろうか。今日は朝一番に昨日入院させたお猫様を迎えに行ってきた。歯槽膿漏でぐらついていた歯を五本も抜いたのであった。お猫様も小生に負けず、立派な婆様になった。
昨日夕方からの入院であったのだが、一晩家を空けると家の様子が気になるらしく、家の中をくまなく臭いを嗅いで変わりのないことを確かめるのだから、その行動は見ていると吹き出してしまう。昨日、家を空けるときと全く変わりないことを確認すると、ブラッシングを要求し、終わると椅子を出しての日向ぼっこを要求する。要求を満たしてあげたときの顔は、人間どもよりも豊かに満足を表現してくれる。感情の基本である喜怒哀楽の表現とはこうするものだという見本を示してくれているようである。
今夜は恐らく早く布団を敷けと言いに来るだろう。
(ヒロ爺)
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花冷えか いや今夜は一人欠け

昨夜からお猫様の具合が悪くなり、今日病院に連れて行き入院をさせてきた。お猫様は12歳ぐらいなのであるが、以前より歯槽膿漏で歯茎が丈夫ではない。昨日、夕飯を食べるときに弱った方の歯を使ったらしい。それでどうやら奥歯がぐらつき痛むらしい。無理に口を開けさせ、場合によっては抜いてやろうとしたのであるが、犬と違い猫はなかなか言うことを聞かない。それで仕方なく病院へ連れて行ったのである。夕方、麻酔をして口の中を調べ、歯がぐらついているのであれば抜きましょうということになり、入院させてきたのである。
たかが小さなお猫様一人であるが、居ないと家の中が何か寒々しい感じがする。お猫様がいてもほとんど炬燵で寝ているので、居なくても変わらない筈なのであるが、家の中が実に寂しく、寒く感じられる。気配が一つ足りないのである。
今頃お猫様はどうしているのだろうかと気になるが、お猫様の方はもっと不安がっているだろうと思うと、部屋の空気が一度下がってしまった。
明日の朝、迎えに行くことになっているのであるが、帰ってくるとしばらく傍を離れなくなるだろう。可愛いが、それはそれでまた煩わしくなる。しかし、家の中はいつもと変わらぬことが一番である。
(ヒロ爺)
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春の宵 何を喰おうか 夢喰おか

腹を立てたら負け、なんてことが言われるが、実は腹を立てなければいけないのだ。本気に腹を立てないものだから後ろを向いて舌を出して吾が利を得ようとする者が後を絶たないのだ。
タイトルの一行詩は、随分前に詠ったものであるが、この春ほど確りと夢を喰わなければ本当に何も喰えなくなってしまう。天災を機に我欲を捨て、本当の夢を喰うことを考えなければならないのだが、わが国の指導者たちは夢を喰うことを知らなすぎる。「まほらの風に…」の木村兄が、もう腹を立てるのを止めたいとこの数日よく書いておられる。しかし、小生は腹を立てることに応援を言いたい。
どんな時にも、ドサクサに紛れても我欲を最優先に考えることしか頭にないのだから、本気に腹を立てて怒るものがいなければ夢を喰うことができなくなってしまう。夢を喰う力がなくなってしまったら、物語を創っても意味がなくなってしまう。
小生、日米安保条約を賛成する者ではないが、今ほど「安保」が機能し、助けられていることはないのではないだろうか。皮肉なことだ。
(ヒロ爺)
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有事でも平常を捨てないでと雲雀啼く

今日はエイプリルフール。しかし、こうした話題を口にするのが不謹慎でもあるかのように、4月バカの話が聞こえてこない。つまらぬ嘘はご勘弁願いたいが、ウイットのある話は捨てないでもらいたいものである。
実言うと、小生もそのことを全く忘れていたのである。昼食後、庭の陽だまりに椅子を出して、お猫様を抱っこして昼寝と洒落込んだのであったのだが、天高くに雲雀の声を聴いて突然にエイプリルフールを思い出したのである。雲雀とは何の関係もないのであるが、雲雀の空に啼く声を聴いて思い出したのである。
昨日は雑草に春の駆け足になったことを知り、今日は雲雀の声に季節の行事を思い出された。
それで気づかされたのであるが、大変な有事な時ほど、平常の無意な行為を捨てない安静の気持ちに居ないと、ただただ右往左往するだけではないかと思う。のどかな午後の陽だまりにウララとする気持ちのゆとりを持たないとモグラ叩きの徒労をすることになるのではないだろうか。
大丈夫、慌てない慌てない、とできることから始めることが解決の最短距離ではないだろうか。
(ヒロ爺)
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ヒロ爺

Author:ヒロ爺
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ヒロ爺は、映画・演劇の脚本・演出を生業としておりましたが、日本シナリオ作家協会を退会し、何もやらない何もしない暮らしを始め、周囲の顰蹙を買っています。しかし、何もやらない何もしない暮らしは、その才能と精神力がないとできないことを知り、改めて己を天才(天災)かも知れないと思っている所謂呆け老人です。

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