昨日は古木の枯れ枝がぽきりと折れるように、我が身体も崩れ落ち、何分かの意識不明があったせいで夜半から歩くことがままならなくなり、今日は主治医が午後からだというので出かけ、7時過ぎまでいろいろな検査をさせられた。しかし、決定的な病名をつけるには至らなかった。病院で車いすを使っていて、これが非常に具合がいいのでさっそくレンタルをすることにした。
3月6日の朗読はユッキーちゃんに押されて車椅子の登場となるかもしれない。両膝とも痛いのであるが特に左膝は激しい。今週来週は忙しいのだ。膝が痛いなんて言っていられないのだが、こうなってしまったものは受け入れるしかないだろう。
(ヒロ爺)
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今日は、六日のための朗読の調整をしようと考えていたのであるが、洗濯物のを干しているときに突然低血糖に襲われ、意識不明の状態になった。直ぐに気が付いたのではあるが、無防備に倒れたせいで体の節々が痛い。以前にもユッキーちゃんと台本のハンティングに馬滝の出かけたときに襲われ、その時にはユッキーちゃんがいなかったら、滝から落ちて死んでいただとうなと思う。
ユッキーちゃんに、また意識不明になったと言ったらいかなくても大丈夫かと言ってもらったが、意識が戻れば名節々が痛むが、何とか自分でできる。このまま腰痛のような状態が続いたら、公演は車椅子になるのかな。それは哀れっぽくていやだな。
(ヒロ爺)
春一番が吹いたと思えば、翌日には気温の10度も低くなり、今朝はまた霜の降りて凍える寒さ。しかし、庭の雑草と呼ばれる名も知れぬ草の小さな花は、気温の凍えようが温まろうが全く動じることなく、静かに花を咲かせている。木陰の一日中霜の解けぬところにも、雑草と呼ばれる名も知れぬ草は瑞々しい緑の色を染めて新芽を芽吹かせている。名も知れぬそんな草草をみていると、小生もお猫様も堪え性のないひ弱なやつだと思ってしまう。
今日は「ふるさと風の会」の定例会であったが、女性軍の参加者はなく男性四人が姦しく談義を交し合い、愉快なひと時を過ごした。この会の集まりに出るたびに認識させられるのであるが、実に皆さん勉強家である。作家を称する小生が一番勉強しないようである。幅広い知識には脱帽である。老いてますます勉強に磨きがかかってきているように思う。
会に出て、実際思うことは「学ぶ」ことの何と楽しいことかということである。知らないことを知り、好きなことを益々深く追及することの楽しさは、老いて益々に盛んになる。人間の向学心とは実に不思議で無限大である。少年老い易く学成り難し、とは表現を変えねばならぬと思うこの頃である。「少年老いて益々の向学の志なる」とや。
(ヒロ爺)
朝から気温がぐんぐん昇り、午後には強い風が吹き春一番となった。朝は、雨上りの不快な生温かさで、お猫様もブラッシングに行くよ、と呼んでも炬燵からぐずぐず出てこない。炬燵布団を剥ぎ、無理やり外に抱いて出たのであったが、ブラッシングをするテーブルが未だ雨に濡れていたものだから、お猫様は不機嫌この上ない。慌てて抱っこしたままテーブルを拭いたのであるが、湿っているので爪立ちするような格好で動こうとしない。
仕方なくテーブルの上が乾くまで抱っこして庭をぶらぶらする。昨夜の雨と、今日の暖かさで雑草がいっぺんに生い茂って来たのにはびっくりと同時に命の逞しさを思い知らされた。
ぐずぐず拗ねたようにしていたくせに、ブラッシングが終わるとさっぱりとしたのと同時にポカポカ陽気に機嫌を直し、さっそく陽だまりの定位置に長々と寝そべるのであった。
午後、朗読教室に出かけようと挨拶に行っても知らんぷりして昼寝をむさぼっている。春一番は、お猫様には至福の日のようであった。教室の指導を終えて戻ってきてもお猫様は同じ位置に、同じ格好で幸せを満喫していた。小生も少し昼寝を、と思って縁側に丸太ん棒を決め込んだとたん、やってきて留守番のご褒美にちょっと外に行こうというのであった。春一番は、お猫様には真実幸せ一番であった。
(ヒロ爺)
庭の梅の花が五輪、六輪と咲いてきた。お猫様を抱いて梅の花を眺めていたら、春を招くかのような雨がポツリ・ポツリと落ちてきた。頬を打つ雨は、もう冬の突き刺すような冷たさはなかった。
昨夜から、美浦村の田島早苗さんの書かれた「霞ケ浦のほとりで」というエッセイを読んでいる。美浦村陸平の文化財センター・縄文の森コンサートに朗読舞を演じさせていただいた時に、陸平をヨイショする会の会員でもある田島さんご本人から頂いた本である。皆川盤水氏の主宰する俳誌「春耕」に書いてきた百のエッセイをまとめた本であるが、常世の国の恋物語百を執筆する小生には非常に面白く読ませてもらっている。月刊誌に百回にわたっての文を書くというのは、大変なことである。8年と4ヶ月。実に大変なことである。百のエッセイを書くことはそんなに大変なことではない。しかし、毎月一作品を百回にわたって書くとなると、その大変さは書いたものにしかわからない大変さがあるものである。霞ケ浦周辺をふる里に持つ人たちには、ぜひ読んでいただきたいものである。
ところで、小生のこのブログの先輩である木村さんの「まほらに吹く風に乗って」は、石岡市を起点とした常世の国のふる里探訪であるが、この毎日の連載も見事である。あまり無理に頑張らず、などと話しておられたのであるが、一日の休みなく書き続けておられる。もう200回を超している筈である。毎回写真付きで、しかも一日の休みもなく書き続けておられるのだから頭が下がる。どこか良い区切りのつくところで、電子ブックか何かにまとめてみるといいだろうと思っている。
小生のブログは、所謂ブログで、お猫様との他愛もない呟きを書いているだけであるが、それでも毎日は少し堪えるな、などと弱音を吐いている次第である。こんな呟きでも365日は、休まず書いてやろうと思っているのであるが、はてさて。
(ヒロ爺)
「春の陽に節々の伸びてうらら」
庭の陽向に腰かけてお猫様の爪切りをしながら、十年も前に詠んだ歌を思い出した。今日の日中は本当に春うららの陽気であった。こんな陽気だと「終日のたりのたりかな」が切実に心に響いてくる。
陽だまりに抱っこされているお猫様の顔は実に幸せそうである。何の不安もなく繭に包まれてたゆとうている。猫という動物、犬などに比べ安心しきった時の表情はあまりにも無防備で、安心にどっぷりと浸りきった顔をする。そして爪を立てニギニギを繰り返すのである。しかし、油断は禁物である。何かの拍子に、俊敏な動きで逃げ去ろうとするのだ。無防備な安静の顔が一瞬にして豹変し、懐を飛び出していくのである。そして、小生の手の直ぐに届かないところに行くと、こちらを振り向き立てた尻尾をゆっくりと振り、捕まえてみろ、と挑発的な目をするのである。それで、捕まえようと近づくとまた逃げ、こちらを挑発するのである。
小生も最近は狡くなり追いかけてやることをしない。「良いよ耳ちゃん。ヒロ爺は家に入る」といって部屋に入ると、お猫様は慌てて小生を追いかけて家に入ってくるのである。
春の陽にうらうらとお猫様とこんなことをしていると、幸せな午後はすぐに終わってしまう。
(ヒロ爺)
昼食を「ふらの」で摂り、ギター文化館に顔を出してきたのであったが、途中対面の里山を眺めたら、もともとは雑木林であったはずなのだが、里山の30%近くが手入れされないで放置されている杉や檜が占拠していた。春の陽に照らされた杉の木は赤茶けた相貌を見せており、それこそ明日あたりには赤茶けた相貌を狂ったように振り乱し、花粉をまき散らすのであろう。杉こそ有益な木とばかりに、無闇矢鱈と山という山に植えられ、手入れもされず放置され、今では役立たずの木になってしまい、花粉症の被害だけを拡大させている。
杉の木ばかりで落葉樹の雑木がのなくなってしまったことで、秋の茸も生えなくなってしまい、里山そのものまでも役立たずの山だと疎まれ、宅地等に造成されようとしている。四季を唄う里山の雑木林を銭にならぬと切り倒して杉の木を植えるだけ植えて放置し、銭にならぬとなればその木も打ち倒し、次にも無計画に山をつぶして更地にする。この国(里)は何でも大事なものを目先の銭につられて壊してしまうのだろうか。
龍神山が砕石でなくなってしまった。採石業者が悪いという。だが市の財産であったものを目先の銭のために考えもなく売却したのだから、採石したやつが悪いなどとは言えない。彼らは正当なのだ。
霞ケ浦の再生を声にしながら、里山を潰そうとするのだから開いた口がふさがらない。里山の落ち葉がなければ水は澄まないのだが。そんな風には思いたくないが「古の人、常世の国といへるは、蓋し疑ふらくは此の地ならむか」は遠く先人が創作事に文章でそう書いてみただけのこと、…なのかな。
(ヒロ爺)
今日は行方市浜のオカリナ奏者野口宅へ出かけてきた。3月6日のコンサートの打ち合わせである。小生は脚本家であり演出家であるので、音楽コンサートといえども物語の感じられない構成でのステージはやる気がない。今日はその物語の最後のぶつけ合いであった。
演奏曲と朗読する詩の整合性を図ろうとお互いを庇い合う様な説明的構成はやめましょうね、と話が一致し、「里山と風の声」のテーマのもとに自分自身を自由自在に、変幻自在な表現を創っていきましょうということになった。
小生は、音楽にしろ演劇、舞踏、オペラ、ミュージカル等々すべからく舞台で演じるものは実験劇場たれ、という考えを持っている。だから型に嵌まった考えで「こうすべき」だとか「ああすべき」という意見を述べたりすることが大嫌いである。どんなに支離滅裂なものになってもそれを自覚しての、覚悟しての支離滅裂であれば良しとしている。小さくまとめて良しとするぐらいならハチャメチャで支離滅裂の方がよっぽど救いがあると考える。妥協のように小さくまとめてもそこには何の発展もない。ハチャメチャ、支離滅裂の方がはるかに希望があると思っているのであるが、爺ぃ~爺の冷や水だろうか。
(ヒロ爺)
もう少し暖かくなるかと思っていたのであるが、曇り空で気温が上がらなかった。しかし、風もなく穏やかな日曜日であった。我が家のお猫様は、陽がささないと炬燵から出ようとしない。今日は、炬燵の布団を剥ぎ外気にあてたものだから、しぶしぶ炬燵から出てきた。抱っこして外に出ると、しがみつく様にピッタリと首を肩に乗せて小生の温もりを吸い上げようとするのだった。
昨日はまだ一輪であった梅の花が、今日は三つ咲いていた。近づいて梅の香をきこうとしたら、お猫様も真似して梅の花に鼻を近づけた。それでふと思ったのであるが、お猫様でも梅の香を快く感じるのだろうかと。匂いそのものは人間よりも数段すぐれた嗅覚をもっているのだから分かるであろうが、その密やかな香を褒めるといった感覚で認識することができるのだろうか。動物にとって嗅覚とは情緒的な感覚ではなく、毒か否か判断する要素が強い筈であろうから、一緒に梅の花の匂いを嗅いでも「うん、安全」と認識するだけなのではないだろうか。しかし、梅の香をきいてお猫様と二人で頬寄せ合ってうっとりとしてたら変な二人になってしまうだろう。
(ヒロ爺)
今日も日中は暖かな陽気で、庭の梅の花がまた一輪咲いてくれるのかと期待を込めて木の下に立ち見上げていたが、一輪の花が微笑んでいるだけで、後に続いて咲いてくれる花はなかった。散歩をしていると、あちこちの庭の梅がもう満開なのであるが、我が家の梅の花は晩熟なのか寒がりなのか、毎年開くのが遅い。水仙の花もそうである。小生、一見のんびりとしているように見えるのであるが、実は非常に短気な性格である。だから庭の花々にもどうせ咲くのだからサッサと咲け!と睨みつけているのであるが、どうもそれがいけないらしい。
夕食にまた蕗の薹を摘んできて、味噌汁に刻み込んで褒めた。蕗の薹だけが裏切らず確りと小生に春を唄ってくれている。蕗の薹に春を褒めながら思ったのであるが、今構想を練っている「縄文の海の舞」の時代には、この蕗の薹を食していたのだろうか。蕗の薹は、調理するとおいしく食することができるのであるが、積んだ蕗の薹を丸かじりしても苦味が先に立って、美味いものとは言いにくい。蕗の薹の香りと苦さは、調理という創造を与えたときに美味として生まれかわるようである。庭にはまだまだ顔を出しているので、しばらくは春の香を楽しむことができる。狭い庭で、野っ原のように手つかずにしてあるのだが、四季折々何かしら小生の舌に褒めるものを与えてくれる。感謝の庭である。
(ヒロ爺)
昼前に雨が上がり、陽がさしてきた。すっかり春になった温かな風が吹き抜けていった。そろそろ我が家の梅も咲かないかなと見上げると、ピンク色の花が一輪咲き始めていた。陽を浴びて一輪の花を見ていたらお猫様が「私も庭に出せ」とミューミュー鳴いて呼んだ。抱っこして梅の木の下に行き、一輪の花を見上げると、お猫様は梅の花とは反対側の太陽に向かって細目にして微笑んでいた。考えたら、猫の目は人間のように色彩を映さないのであった。しかし、春の温もりだけは確りと感じていた。
お猫様を抱いて庭を一回りしてみると、新しい蕗の薹が顔を出していた。明日の朝、一粒摘んで味噌汁に刻み込んで春の朝を褒めるとしよう。
不思議なもので、明日の楽しみができると夜の読書や、台本の構想を練るのが楽しく思われる。今は、縄文の森コンサートの時に頂いてきたCD「縄文から未来へ 陸平よはるかに」を聞きながらこのブログを書いている。
(ヒロ爺)
今日は定期検診日であった。自転車こぎで心臓の検査をさせられた。15分ほど自転車こぎを行い、心臓に負荷をかけての検査であったが、何の異常もなかった。慢性膵炎の所為なのでああろう、血糖値が高いだけで、蛋白もコレステロールも、その他すべて健康値であった。
年末にギター文化館の忘年会で木下代表から風邪をうつされ、酷くはならなかったのであるが、いまだにのどが痛くなったり鼻血が出たりする。おかげで血糖値が高値に安定し、これでは当然A1cの値も7を超しててしまうなと思っていたら、前回の時よりも低い値になっていた。これはどうやら、気持ちの張りに原因があるようだ。
今年は、ことば座に新しい展開が生まれそうな気配が濃厚で、それに向けての構想に嬉しく愉快な思考をめぐらしていることが、肉体を些か若返らせてくれているのかもしれない。
しかし、実際にはお猫様を抱いて、炬燵に潜り込んでの思考の展開であるのだから、あまり健康的だとはいえない。愉快な気分だけが基礎代謝を上げてくれているのであろう。
愉快、それはやはり健康に生きるということなのだろう。
(ヒロ爺)
今日は一日机に座り、ことば座6月公演のための台本の構想を探っていた。お猫様を抱いて庭の陽だまりに出たとき、一昨夜に降った雪が未だ融けず白く反射していた。その反射を見ながら、ふと、常世の海(霞ケ浦)に、暖かい真っ白なボタン雪が降り落ちてきて、乙女の頬を温めてくれた。頬をほんのり紅色に染めたら、・・・・・が・・・・・した。なんて漠然とした物語の輪郭が現れた。はて、この感覚、果たして物語にまで発展するのであろうか。願わくば発展してもらいたいものだ。
6月の常世の国の恋物語百は、詩物語にして、舞だけの表現にしてみようかとも思っている。
いつものことであるが、台本の構想を練っているときというのは、頭だけではなく全身がモヤモヤと漠然が覆いつくし、無意識に何かに熱中してしまう。何かというのは、実につまらぬことで、例えば鼻くそをほじり始めるとティッシュペーパー等何枚も消費し、鼻血が出るほど穴の中を磨き上げたりするのである。こうしてブログすることはあまり抵抗はないのだが、家に誰かが来てその様子を覗かれでもしたら、恥ずかしいどころの騒ぎでないだろう。昔、テレビのドッキリカメラのような番組で、ホテルに缶詰にされて原稿を書かされている作家を隠し撮りした様子が放送されたが、良いものではなかった。絶対に見せたくない己の姿である。
(ヒロ爺)
今日は、3月6日のコンサートの稽古でギター文化館に行く。アコースティックギターのOkayan(オカヤン)と初めて顔合わせする。打ち合わせもなく、とにかくギターと朗読をコラボレーションしてみようということでやってみる。何の縛りもなく、とにかく何でもいいから演奏してみて下さい。それに私が勝手に朗読していきますので、お互いに気持ちが合うようでしたら、時々目線を合わせて微笑んでみよう、と言ったいきなりコラボをしてみたのであったが。なかなか面白い感じであった。少し気が乗ってきて、オカヤンからちょっと詩を読ませて、との要望。再び合わせてみるとき、彼にはこういった。詩を読んで感じたことをイメージに演奏して、私の朗読が違うと思っても私に合わせようと考えないで下さいと。終わって、オカヤンから自分は悲しい詩だと思っていたら、朗読は希望の歌のようでしたね、との感想が来た。彼はどう思ったかは聞いていないが、彼とならこれまでとはまた少し違った朗読と言う演劇を作れそうだと思った。この先は、本番前に打ち合わせをして、ぶっつけに近いコラボレーションとなるが、愉快な朗読劇が実現できるだろうと思う。楽しみである。
3月6日は、野口さんのオカリナを主体に考えたコンサートで、朗読は大地の声(オカリナ)に呼応する囁きであればいいと思っている。非常に面白いステージになるだろうと思う。ぜひお運びいただきたいものである。
(ヒロ爺)
このブログを書き始めて180日になった。やっとこ向こう側に立つことができた。これからまた180日かけて向こう側まで戻らなければ、1歳の誕生日を迎えることは出来ない。先日、ギター文化館の木下代表が一年休まずに書き続けたぞ、と話しておられた。小生の倍である。なんでも良いから休まず一年書き続けよう、というのは考えている以上に大変なことである。
ブログは勝手な呟きだから、大したことなさそうだが、大したことあるものだ。
外は霙混じりの雨。雪になるのだろうか。明日は、オカリナの野口さんと、ギター文化館で3月6日のリハーサルを行うことになっている。雪が積もられたりすると、ちょっと大変である。
野口さんとオカリナ演奏を中心とした朗読とのコラボレーション・コンサートをするのは初めてのことである。ことば座の朗読舞の音楽ではこれまで何度も一緒に行ってきたのであるが、演奏会として同じ舞台に立つのは初めてのことである。単なる演奏会ではなく、新しい自分の芸術表現にチャレンジしていくようなステージにしたいものである。
(ヒロ爺)
放射冷却の所為であろう、今朝は一段と寒さが痛かった。新聞を取りに外に出たら、割れガラスのような、皮膚を切り裂く風が突き刺さってきた。
昨晩、寝ながらこんなことを思った。人が安らぎを覚えるのは曲線である、と。水の流れも鋭利な角度で曲がることはない。風もそうだ。水が冷たく鋭利な流れを作ろうとすれば凍ってしまう。風はどうだ。風はどんなに凍っても、鋭利に屈曲することはない。
しかし今朝は外に出た瞬間、凍った空気はガラスの欠片のように小生の頬を、手の甲を切る様に吹いて行った。
梅の蕾もまだ固く閉ざしていた。
(ヒロ爺)
雪の奴もう少したくさん積もってくれたらと、個人的には思うのであるが、積もったらさぞ大変であったろう。
雪国には、北海道~奥飛騨は北アルプスの麓にと豪雪地帯に17年ほど過ごしたことがあるので、少々の雪では積もったとは言えない感覚である。北海道は雪が降るといっても何メートルも積もるわけではないが、岐阜県は富山との県境の山岳に住んだ頃は、電線に足を引っ掛けないように気を付けなければ、と言うほどの積雪であった。今年は、何十年ぶり香の大雪を記録しているようであるが、小生の小学生の頃には朝起きたら1メートルも積もっているなんてことは当たり前であった。屋根の雪が落ち、積みあがるので窓ガラスなどは根雪を迎えるころには、板が打ちつけられ確りとガードされていた。家の玄関へはトンネルを潜り抜けるものであった。
カサカサと枯葉を打つ音を聞かせる程度の雪は、雪が積もるという感覚はないが、この歳になるとこの程度の雪で十分である。それ以上は体力的について行けそうにない。
水仙の植えてあるところに積もった重い雪を指で掻き分けたら、黄色い蕾が震えていた。それを見ながら、改めて今の小生にはこの程度の雪で良いと思い直した。
(ヒロ爺)
雪が降ると気分が情緒的になる。初恋の女性を思い出したりするのも雪降る夜である。
月曜日からずーっと、今日11日が土曜日だと思い込んでいた。それで昨日は、尻に火をつけられたような気持でふるさと風の会の会報を打ち込み・編集をした。その思い込みが、今朝まで続いていたのである。9時少し前、そろそろ出かけようと編集済みの原稿を用意しながら、新聞の天気欄を見直していて、ふと新聞の日付に目がいった。
ふーん11日金曜日か。
さてそろそろ出かけなければ、…ウンッ!金曜日だって。
どうして?
これは昨日の新聞か?
それで慌ててパソコンの日付を確認した。2月11日になっていた。
カレンダーを見る。11日は金曜日であった。
何てこった。昨日あんなにイライラ編集することなかったんじゃないか、と気づいた途端どっと疲れが出ると同時に、ウンッ?! 重度な思い込みもアルツハイマーの症状ではあるまいな? そんなことを思ってしまった。
現在のことを忘れ、昔のことばかりを思い出すのはアルツハイマーの症状だというが、雪が降って、夜になり初恋の女性が思い出されて仕方がないのは、矢張りちょっと危ない兆候か?
(ヒロ爺)
ヒヤー、今日は大変だった。ふるさと風の会の会報の編集が、明日の印刷にギリギリセーフ。今ようやく終わった。本当は、もう少し早く終わる予定であったのだが、昼間、庭の蕗の薹を摘んで、蕗味噌など幾つかの料理をしていたものだから、編集が遅くなってしまったのである。
味噌を調合しながら、思ったのであるが、味噌を料理に合わせるためには、絶対に合わせ味噌にしなければ旨味を引き出すことは出来ない。合わせ方によってスパイスなども一味、七味にするかなど変わってくる。もちろん具によっても合わせの割合が変わってくる。
今日の蕗味噌は、慌ただしく調理したにしては、いい味に出来上がった。もしかしたら蕗の薹の奴、俺の味が良いからだと言っているのかもしれないが、炊き立てのご飯に乗せた時の春の香は実に舌に踊りを踊らせる。
(ヒロ爺)
今日は庭の蕗の薹を摘んで、蕗味噌を作り、熱い炊き立ての白米で褒めようと思っていたのであったが、薄っすらの雪化粧に無粋な足跡をつけたくなくて予定を中止した。
午後、朗読教室の指導に稽古場に出かける。久しぶりの平家物語である。60の手習いというが、65歳になって朗読を始め、一年後に「折角石岡に暮らしているのですから、平家物語の全段読破に挑戦しませんか。講談スタイルで全百二十段の語り尽くしは、恐らく誰もやっていないことでしょうから」そう勧めたのであった。講談師のスタイルで、平家物語の全段を語り尽くすなど、恐らくまだだれもやっていないであろうと思う。今のところ半年に一段のペースで進んでいるのであるが、これまで古典など学校の時以来目に触れることもなく過ごしてきた人が、いきなり原書のそのままの本を渡され、自分で現代語しながら意味を知り、古典語そのままでの朗読であるから、半年に一段のペースは決して遅いとは言えない。
一生かけて全段を語り尽くしましょうと、朗読に挑戦する生徒以上に小生も気合が入っている。
今日の語りは非常によくなっていた。自分の翻訳が確りと出来上がってきたことがうかがわれる。大いに楽しみなことである。
(ヒロ爺)
我が家の庭の梅の花、風の通り道に植えられている所為か、毎年花の開くのが遅い。今年もまだ固く蕾を閉ざしている。水仙も漸く固い蕾を霜を割って突き出してきたところである。
午後にギター文化館へ出かけてきたが、喫茶室の向かい側の里山の杉の木が一面赤茶けていた。そろそろスギ花粉が一斉に飛び交うのであろう。ギター文化館の喫茶室の窓から眺める里山は、絶景なのであるが、惜しむらくは杉の木の多いことである。この杉の木、国策でむやみに植えられた役立たずの木である。この杉の植林によって、里山の大事な雑木林がなくなり、キノコ狩りなどの季節の恵みも消滅してしまった。
せっかくの雑木林を切り倒し、無計画に植えられた杉の木は、下枝も落とされることなく無駄に枝を伸ばしたものだから、全くの使い道のない気になってしまったのだ。爪楊枝か割り箸ぐらいにしか使い道がないのだそうだ。耳鼻科・眼科医と製薬会社だけが有難がるろくでなしの植樹林なのである。松の木類には茸は育つが、杉の林に出る食用茸はあるのだろうか。表土の滋養だけを食いつくし花粉しか撒かないとしたら、穀潰しの木と言われても仕方がない。しかし、穀潰しの木にしてしまったのは愚かな人間どもなのだから、天に向かって唾を吐いたということなのだ。
庭の蕗の薹が確りと太ってきたので、明日は、蕗味噌でも作り褒めようかと思う。
(ヒロ爺)
昨日の公演の余韻に浸る間もなく、今日は3月6日のオカリナと朗読コンサートの打ち合わせに、野口氏の家に出かけてきた。夕日を真正面に受けて帰宅しながら、ふと「私は忙しいことを趣味にしているのかな」と思ってしまった。しかし、そんなことはない。お猫様と陽の下に終日のたりのたりかな、の方が忙しくしているよりよっぽど好きだし、性に合っている。
今突然に、人生を振り返って、何時から忙しいのだ? と思い起こしてみた。
我が人生で最も、意に適う時間を持ったのは昭和38年の6月から翌2月までであった。その8ヶ月は当にゴロゴロと陽向に寝転がり本を読むだけの暮らしをしてきた。その後39年の4月からは演劇に世界に足を踏み入れ、しゃにむに走り、演劇に失望すると映画に転向し、脚本・監督を仕事にして猛烈な勢いで走り続けてきた。50歳までは人の何倍もの勢いで走ってきた。それは50歳になったら一切の仕事を止め、何もしない暮らしをしようと思ったからであった。だからモンスターと呼ばれるほど書きまくったこともあった。それで50歳になって仕事を止めようと思ったら、バブルなどというものが弾けて叶わなくなってしまった。それでも何とか多少の予定遅れでも思いを果たそうと、些細な身内の事情を理由に石岡に越してきた。一時は何とか何もしない時間を創ったのではあるが、それもつかの間。体力の落ちた今では、猛烈に走っていた時期よりもさらに猛烈に、老体に鞭打って走っているようである。それでつい、「明日があるから忙しい、それとも忙しいから明日がある どっち」と口について出てしまったのである。
(ヒロ爺)
今日は美浦村の陸平遺跡で縄文の森コンサートに招かれて公演を行った。二人の舞乙女には、まさに梅明りのそそぎ降りたようであった。世界初の実験劇場は大成功であった。昨日のゲネプロで十分にそれを体感したのであったが、本番はそれ以上に見事な幽玄であった。そう、幽玄という言葉そのものであった。ユッキーの手話を基軸とした舞、柏木久美子の感性のモダンバレー、野口喜広のオカリナ、矢野恵子のパーカッション、そして小生の朗読のそれぞれが己を自在に表現し、互いを気遣う姑息を捨てた中の調和。それは幽玄という表現しかないだろうと思う。
素朴な五百相画の配されただけの舞台に、素朴な土笛の風に吹かれて乙女等が舞い群れて、打楽器と朗読の声が互いを呼び合う。表現者冥利と言える愉快で素敵な時を創ることができた。
こんな素晴らしい時を与えてくれた「陸平をヨイショする会」の皆様に感謝。
(ヒロ爺)
今日は実に楽しい一日であった。明日本番の縄文の森コンサートへの最後の通し稽古を行ってきた。舞の仕草やオカリナ、ジェンベに定まった形を与えないで、台本に書かれた詩をそれぞれの感性が自在に交差し合って言葉の風になってf分の1の揺らぎの舞の渦を創りだす。明日は、会場の人たちが全員で、理屈なしの縄文の森の風になって1/fの揺らぎの大渦ができたらと願っている。
信太郡、行方郡、茨城郡のトライアングルに誕生した1/fの風の物語を時間のある方、ぜひ来てみて下さい。
(ヒロ爺)
立春になった途端、陽が温み縁側の陽だまりに寝転がる幸せが全身に染み渡る。日曜の縄文の森コンサートでの朗読をさらおうと台本を持っては来たものの、お猫様を抱いて寝転んでいると、台本を開く気分も失せてしまった。
明日は、陸平の文化財センターに朝から出かけ、舞台の整備と、最後の通し稽古を行う。今度の舞台は、観客と同じフロアーで、観客の輪の中で演じるので、通常の舞台にはない表現が要求される。いつも以上に観客との緊密な一体感を創らなければならない。
ライトに照らされた舞台では、観客と目線を合わせての演技はないのであるが、観客の輪の中で、同じ平面上での演技では目線を間近に合わせるので、気持ちの躊躇いや躓きを姑息な技術でカモフラージュすることができない。すべてを観客と共有しながら、自分を表現することは時に息苦しさも覚えるが、観客と鼓動が一体化する瞬間を両者で感じあえるという楽しみもある。
全く形態の異なるユッキーちゃんの舞と柏木久美子さんの舞が野口さん、矢野さんの音楽にどのような風の歌を歌うのか楽しみである。
(ヒロ爺)
今日は節分。節分は、立春・雨水・啓蟄…~…小寒・大寒と一年を二十四等分して示した節気に対して、それを補い、季節の移り変わりを表す雑節に示されたものである。今日までが大寒と呼ばれる季節で明日からは立春となる。その季節の移り変わりを示すと言うか、知らせるというのか、それが雑節で、一月十七日の「冬の土用の入り」の次が今日の「節分」である。
昨日、美浦村での稽古の帰り、満開の白梅に出会ったが、春の福を呼ぶ花の満開にあったのだから縁起の良いことであった。昨日の稽古で、モダンダンスの柏木久美子さんと、次の小林とのコラボレーションの約束を貰ったのであったが、節分を前に福を呼び込んだのであるから、今夜は「鬼は外」と叫ばなくても、ユッキーちゃんと小生の心には、福が入り込んできたのだから、鬼はとうに弾き出されてしまっている。
(ヒロ爺)
今日は美浦に最後の稽古に出かけてきた。この後は、土曜日に会場を設定し、通し稽古で本番を迎えることになる。小林、柏木の二人の天女の舞はほぼ出来上がった。あとは本番の緊張の中でどんな発想が生まれ出演者全員での以心伝心の波動の会話がどんなふうに交わせるかである。即席に近い舞台創りであるが、ここまでは大層楽しく進んできた。野口さんの陸平の土で焼いた土笛が、演出家の想像を超えたコラボレーションを創りだしてくれるものと信じている。
今年は、ことば座も5年目であるので、これまでにない飛躍を意識して作っていきたいと思っているが、どうやらそれが実現されそうな気配である。久しぶりに脚本家としての血が騒いでいる。
(ヒロ爺)
月が替わり、今日は昨日よりも少しぬるんだ感じがするが、実際の気温はあまり変わらない。しかし、二月になり春の一歩近づいたと思うと、気持ちが温むようだ。
今日は、6日の、美浦村・縄文の森コンサートの準備でギター文化館に顔を出す。2月6日の縄文の森コンサートが終わると、3月6日にギター文化館で行う「里山と風の声コンサート」の稽古が始まる。このコンサートは、ギター文化館のコンサートシリーズの一つとして、野口喜広さんのオカリナ演奏と小生の詩の朗読のコラボレーションである。ギター文化館の木下代表からは、一か月前になるのでコンサートのメニューを早急に出してくれるように言われた。来週頭には提出しなければならない。
先月二十日頃に、野口さんに「曲がつけられるようでしたら」と詩を送っておいたのであるが、今日電話で、曲をつけてみましたと連絡があった。土曜日に、縄文の森コンサートの通し稽古があるので、その時に聞くこととなる。どんな歌になるか楽しみである。
(ヒロ爺)