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常世の風に吹かれて呟いて…

常世の国に迷い込んだヒロ爺が、日々の風に吹かれて呟きを舞う

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情熱の緋の色を抱いて何処へ行くのかと秋の声

演劇をやっているからというわけではないが、小生の胸は何時も劇(はげ)しく緋の色に染まっていないと納得できない性分のようである。演劇なんぞをやっているというと、何となく軟弱に思われるのであるが、軟弱な精神では演劇はやれない。演劇とは、字のごとく「劇しく(はげしく)」「演じる」ことをいう。「はげしい」の漢字は、劇薬の劇であるから、生半可な精神ではその劇しさについていくことは難しい。
小生のこれまでを振り返ってみると、持て余す量の問題意識を抱え込み、それらの一つ一つを爆発寸前まで醗酵させて一緒くたにチャンポンして掻き混ぜ、一気飲みする。アルコール度数80度のウオッカなど目じゃないそのドロドロと醗酵した液体は、胃の腑に落ちるや否や爆発し、炎の言葉となって相手を黒焦げに焼きつくす。そんなただただ爆発炎上させるような生活を長く続けてきたようにおもう。だがその事への反省はない。それで良かったと思っている。
そんな性分は、後期高齢者となった今も薄まらないでいる。むしろ劇しさは強まっているようにも思う時がある。勿論、若い頃のように無闇に喧嘩はしなくなった。年齢相応に穏やかにもなったと思っている。しかし、劇しさは容赦のないものになっていくようである。だから緋の色を抱いて何処行くのかと秋の風に尋ねられると、ウ~ムと困ってしまう。
(老いて益々の…ヒロ爺)
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野分に希望はと問われ恋することと返す

予想したほどには雨風は強くならない。もしかしたらこれから来るのだろうか。
ふと野分という言葉が思い浮かんだ。今のシーズンの強い風雨は当に野分と表現するにピッタリのように思う。
風が窓をガタガタ鳴らす声を聞きながら、風呂に温まっていたら、来年の二月、美浦村の陸平遺跡をヨイショする会に呼ばれて縄文の森コンサートで公演する時の舞歌の原型になるような言葉が浮かんだ。その公演では、美浦村在住のモダンバレーの小峰さんと小林との舞のコラボレーションが実現することとなったのであるが、小峰さんが子供たちと一緒に踊る詩をどうしようかと考えていた所であったので、野分につられて言葉が出て来たのは有難い。
まだ、確りとした詩の言葉となって出来あがったわけではなく、詩のとっかかりになる、いわば源流の滴のようなものである。

 風は幸せの言葉
 風は温もりの揺りかご
 風は光の景
 さあ子供達よ風につつまれて蝶になろう
 そして風の景にひらひらと舞い群れよう

と、まあこんな言葉である。この言葉がうまく発展していって風の流れの詩になってくれるとありがたいのだが。
ひょっとするとこれは野分のお土産かな。
(ヒロ爺)
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気まぐれお猫様一日よう喋る

今日は晴れたのを幸いに洗濯を済ませ、あとは一日お猫様の相手をしながらゴロゴロしていた。寝っ転がってテレビを見ているとお猫様が腹の上にあがって長々と寝そべって来る。腹の上にいると呼吸のたび上下にゆれるので、少しづつずり上がってきて頬ずりするように顔を耳のそばにすり寄せる。そして、小生の顎鬚を整えるかのように舐めてくれるのである。時々何の加減か、手を口髭に当てて猫パンチの要領で髭を手すきし、整えてくれるのである。感謝すべきなのであろうが、何とも煩わしい。しかし、邪険にすると引っ掻かれるので、好きにさせておくと、そのうち髭をいたずらするのにも飽きて、喉をゴロゴロ鳴らして眠ってしまうのであった。
3キロとはいえ、長く胸の上に寝ていられるとこちらが辛い。起きあがると、小生の周りをぐるぐる回り、ミューミューと良くお喋りをするのである。それはあたかも、なんで寝てないんだ。ちゃんと説明しろよ。俺のことが嫌いなのか、と言っているようである。
我が家のお猫様は実によくお喋りになる。餌皿にもう餌がないよ。お水を取り替えて。トイレに行くよ。トイレが終わったよ。そろそろブラッシングの時間だろ。庭に出ようよ、等など寝ていない時は、何かしらお喋りをしている。その都度こちらは「はあい。はあい」と返事をしてやらねばならない。返事をしてやらないと声はだんだんと大きくなるのである。面倒だと思いながらも、いちいち「はあい」と返事をしてあげている。猫といえども同居人なのだから、うまくやっていくためにはこちらも譲歩しなくてはならない。
夕方、夕食何にしようとか考えていたら、お猫様が鍋の写真の出ているチラシにじゃれていた。それで、そうだ今夜はおでんにするかと決まった。お猫様のおかげである。
(ヒロ爺)
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不意打ちの冬到来に右往左往

ただ今我が仕事部屋は13℃。これではお猫様が炬燵から出てこないも道理である。昼前からは冷たい雨が降り出し、出かけるのに何を着ていくべきか大混乱。押し入れから冬ものの洋服箱を引っ張り出したまでは良いのだが、夏物の片付けを済ましていないので、置き場所がない。それで夏物を全部ハンガーから外し、ポリ袋に放り込む。クリーニングに出すもの、自分で洗濯するものを仕分けしてポリ袋に入れるのだが、部屋がポリ袋と冬物の衣装に占拠され、足の踏み場もない。明日、洗濯日和にならなかったら大変であるが、大型台風が北上してきておりあまり期待はできない。何とも所帯じみて色気のない話であるが、不意打ちに季節が変わると大変である。
さて、常世の国の恋物語百に挿入した恋歌はそろそろ終わりである。恋物語は11月の公演で第26話なのだからそろそろ終わりでも仕方がない。あとは書きたまるまで待たなければならない。
今夜は、「鳴滝にて」に挿入した恋歌「そして、あなたへ…」
 
 そして、あなたへ
 もう何度声にして告げただろうか
 でも
 百万遍にはまだまだとどきません
 私の
 あなたへの心の想いを
 百万遍声にしたら
 そのときあなたは、私に振り向いて下さいますか
 でも
 あなたは私にこう言いました
 もういい加減にしてください、と
 私はただ笑うしかありません
 笑いの心理学に言っています
 笑いとは人の不幸を見たときの優越感、だと
 私は私を笑っています
 私を見ている私が
 不幸な奴だと優越感に浸っているのです
 そして、あなたへ
 私は
 私のことをただ笑うことしかなす術を持ちません
 悲しい恋はただのピエロで
 可笑しいだけ
 私は私のことをただ笑うだけです
 百万遍愛していますと告げる前に
 私は私のことを笑っています

(ヒロ爺)
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突然に木枯らしが来て里山は慌てて紅衣染め

東京に木枯らし一号が来て、札幌では大雪。常世の国の里山も今日は慌てて紅衣を纏い始めた。それで小生も負けずに真っ赤なフリースを取り出して着た。お猫様は、昨日炬燵を入れてやったものだから、今日はご満足に一日炬燵から出てこない。
午前中の稽古が終わって、ギター文化館に顔を出してきた。久しぶりにゆっくり話をしてきた。来年は、朗読舞の公演のほかに、ことば座のプロデュースで、オカリナの野口さんとオカリナと詩の朗読コンサートを春と秋の二回開くことにした。その他、最後の夏の世に薪能ならず小林幸枝の薪舞をギター文化館の裏庭で開くことを計画している。ことば座の朗読舞が第二ステージになって、定期公演を年二回にし、小生少し時間ができるかと思いきや、来年は何やかやでギター文化館で二カ月に一回の公演を行うことになる。
何の縁もない石岡には、一切の仕事をやらないためにやって来たのであるが、腰を据える覚悟をした途端、やることを作るばかりか、忙しすぎる状態となってしまった。小生、余ほどに貧乏性にできているらしい。どうやら生のあるうちは休まず走れということらしい。
石岡に越して来た当初は、孫娘と称していたメスのパグ犬の「葉津ちゃん」と近所をのんびり散歩をしながら『おい蟻んこよ急いで何処行く』なんて一行詩文を呟いていたのであるが、今では心にゆとりのある詩文を呟くことができないでいる。
『ふーうと立ち止まったら風が背を押してくれた』『そんなに急いで時の使うなと雑木林のいう』…のんびり、ゆっくりを取り戻さなくては。
今夜も早々と夜気が冷たい。以前の詩をもう一つ思い出してみた。
 ・蹴飛ばした小石に心を移す 木枯らしの首筋に凍えて

(ヒロ爺)
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お猫様ヒートマットに電源が入ってないと呼びに来る

昼過ぎに出かけようと準備を始めると、お猫様がやってきてやけに煩く抱っこしろと纏わりついた。しばらく抱いてやっているとおとなしく満足気な顔をし始めたので、じゃあ出かけてくるよ、と声をかけ下ろすと、今度は足に思い切り爪を立てた。小生の出かけるのを待ったをかけるように纏わりつく時は、必ず何かを忘れている時である。それでお猫様のお気に入りの場所を点検して回ると、炬燵の中に敷いている猫用のヒートマットの電源が入ってなく、冷たくなっていた。どうりで寒い寒いと抱っこをせがんできたのであった。慌ててスイッチを入れマットが温まって来たのを確認して中に入れてやると、満足そうに長々と寝そべるのであった。今度は、じゃあ行って来るねと声をかけても出てくることもせず、ミューとも啼かない。何とも自己中心的でお猫様らしい。
今夜は木枯らし一号が吹きそうな気配である。お猫様も、炬燵の中から出てこようとしない。

夕方の稽古場はかなり寒かったが、稽古が始まると一瞬にして寒さが何処かに行ってしまう。今日もなかなか良い稽古ができた。小林幸枝の舞いも、昨日よりも大きくゆったりと感情を表せるようになってきた。今日の稽古は、ジェンベによる一調の舞いの出来の良さに引きずられ、朗読する方丈記の声も力が入りすぎて、些か喉に負担がかかってしまった。
しかし、本番が益々に楽しみなことである。
今夜は、寒さを理由に常世の恋歌はお休み。
(ヒロ爺)
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ジェンベによる一調の舞いは方丈記

ジェンベを大鼓(おおかわ)にみたてて方丈記を舞う小林幸枝は、まだ75%程度の出来ではあるがなかなか良く舞えている。風邪で寝込んでいて一週間ほど稽古ができなかったのであるが、後退はしていなかった。小生の朗読も気持ち良く声が出せた。今日は、昼間には、ことば座特別研究生の兼平良雄さんが平家物語の朗読の稽古に来た。説得力のある語りができて来た。現代語したものではなく、原文での朗読なので感情を作りこみながら語っていくのはなかなか大変なのであるが、よく語れるようになって来たものと感心している。
11月の公演まであと何日もない。残り少ないこれからが真剣勝負の稽古となる。小林幸枝にも、兼平良雄にも期待を大にして完成を待ち望んでいるところである。
今日は、11月公演の「難台山城:落城哀歌」の中で小田五郎藤綱の妻が子忍ぶの森で舞う詩の中から一つを紹介しよう。

  「おろか」
 
 男の愚かも
 女の愚かも
 愚かに違いはない
   男にも
   女にも
   愚かとは盲目すること
 男の盲目は世間への見栄と己への見栄
 女の盲目は心の未練
  
  この世のすべてに不変という永遠はない

(ヒロ爺)
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笑顔の案内は縄文の森の紅色のコスモス

今日はふる里風の会の男性陣で、美浦村の陸平遺跡で開かれていた縄文祭りに出かけて来た。こう言うと石岡の人達は起こるかも知れないが、石岡に見られる空威張りや見栄のない村民の集いのお祭りになっていたのが素敵であり、愉快であった。色々な文化サークルのテントなどがあり、そちこちで井戸端談義のような会話が飛び交っていた。井戸端談義する男女のしわがれた顔が実に素敵な表情であった。久しぶりに愉快な気分にさせられた。
数年前の事であったか『コスモスに秋がとまった子供等の笑顔』と一行文詩を詠んだことがあったが、その愉快な感覚がよみがえって来た。
今日は、常世の恋歌はやめにしようと思っていたが、縄文祭りのほかほかした温もりに後押しされてしまった。それで、トキさんの天狗の舞いから二の舞の詩を紹介しよう。

   春の日に
   美事に花を咲かせた桜の木の下で
   私とあなたは手を繋いで寝転んでいます
   二人して大きく口をあけて
   桜の花びらが落ちてきて口一杯になったら
   私たちの願いがかなえられます

(ヒロ爺)
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夕やけにからす瓜も夕焼けた

この一行詩文も石岡に越して来て間もなくの頃のものである。今日のような秋晴れの日に、葉津という名のパグ犬の孫娘と一緒に、近くの雑木林を良く散歩したのであったが、その時の詩文である。十数年も前のことであるが、その頃は本当に良くあちこちと散歩した。その時の一行文詩をいくつか紹介してみよう。
 ・夕陽に散歩してジンジロゲ唄う
 ・ここは何処 尋ぬる人もなくしぐれ道
 ・ここは何処かと雀らに訊く秋の老い
 ・陽の落ちて雑木林のしぐれている
 ・秋の老いて行くあてもなく一本道
 ・夕焼けを捥いで喰ったらさぞ美味いだろうな
 ・俺が先だと風に言っても詮方なし
今読むと大層懐かしい詩文である。この頃の一行詩の全部が、葉津ちゃんと一緒に歩いて詠んだものばかりである。葉津ちゃんは、心臓発作のような形で三年という命を終わらせた。その一ヵ月後に、今のお猫様の耳ちゃんが夜中に迷い込んできたのである。それからというものは、庭に面した廊下でひねもす耳ちゃんを抱いての昼寝で過ごした。仕事場である東京を離れて、一切の仕事を止めようと越して来たのであったが、その思いが叶えられたのは、葉津ちゃんとの三年間と、耳ちゃんが家主様になるまでの三年間の計六年間だけであった。
その後、俳優志望の小林幸枝と出会い、ことば座を立ち上げてからは東京にいる時と大差ない忙しさになってしまった。そして詠う詩も、小林幸枝の朗読舞のための常世の恋歌になった。
さて今夜の常世の恋歌は「トキさんの天狗の舞い」から(一の舞歌)

  今あなたを信じなかったら
  私は何を信じたら良いのですか
  あなたは私に
  「未来を信じなさい」
  「夢を信じなさい」
  「願いを信じなさい」
  と仰いました。
  だから私は今あなたを信じている私を信じているのです。
  私の想いを叶えるために。

(ヒロ爺) 
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谷の水細りて落葉散り急ぐ

机の整理をしていたら、この夏の初めに逝った母の句集が出て来た。読んでいるうちについ夢中になり、机の整理は明日に持ち越しになってしまった。「谷の水細りて落葉散り急ぐ」の句は、小生と弟を都会の学校に出し、母は一人で奥飛騨の診療所に赴任していった時のものである。父が亡くなって5年後ぐらいで、母の45~46歳ごろの句だろうと思う。
小生は、自室の片づけ・模様替えが一種の趣味の用になっており、机の向きなどショッチュウ変えているのであるが、何度片づけても必ず机の本棚から消えない本がある。それが好きで置いてあるのではない。何故かその本は小生の片づけの目を掠め何年も底に居続けているのである。三好達治の文庫本の詩集である。この本、石岡に越してきて以来、机の上の本棚から消えたことがないのである。机の上に置かれた、小さな本棚だから、殆どが辞書のたぐいである。三好達治の詩が好きなわけではないのだが、机の本棚に居続けているので、気がつく度に開いて見る。おかげで、好きな詩ができてしまった。
今夜は、常世の恋歌を休んで、三好達治の詩を紹介しよう。

   「かよわい花」
 かよわい花です
 もろげな花です
 はかない花の命です
 朝さく花の朝がほは
 昼にはしぼんでしまひます
 昼さく花の昼がほは
 夕方しぼんでしまひます
 夕方に咲く夕がほは
 朝にはしぼんでしまひます
 みんな短い命です
 けれども時間を守ります
 さうしてさつさと帰ります
 どこかへ帰つてしまひます

(ヒロ爺)
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とぼとぼととぼとぼとしぐれみち

小雨の降ったり止んだりの寒い一日であった。お猫様は、暖房マットにべったりと寝そべったまま動こうとしない。急にピーナッツが食べたくなり、近くのスーパーへ出かけてきたが、外は寒かろうと思ったら我が家の部屋よりも温かかった。家を出る時は「とぼとぼととぼとぼと時雨れ道」などと呟き、感傷的な気分を持ってはみたのであったが、何だか肩透かしをくってしまった。感傷を楽しもうなんて気分も否定されてしまった。おまけにせっかく買ってきたピーナツであるが、入れ歯の隙間にピーナッツの欠片が挟まり、傷になって三粒で食べられなくなってしまった。あ~ぁ、我が家で死暮れ道かと捻くれてしまった。

そんなわけで今日の常世の恋歌は「気の遠くなる作業」

  君は 心が疲れて
     心が沈殿してくると
 底に堆積して
 悪臭の立つ汚泥を
 私に きれいに掃除するよう命じると
 私の前から
 私が悪臭の汚泥を
 すっかり きれいに 浄化が終わるまで
 姿を消して
 音信も絶ってしまう
       途方に暮れた私は
       悶々としながら
       一人 
       ブツブツと醗酵の音を立てて
       悪臭の弾けて放つ汚泥を
       小さな
       あまりに小さな
       おままごとの安っぽいプラスチックの
       ピンクのシャベルとバケツを手に
       水底から静かに掬いあげる
     汚泥を舞い立たせないように
     私の心に汚泥が流れ込まないように注意しながら
 底に沈殿した汚泥をすっかり浚いあげると
 次に私は
 澱んだ水を
 コーヒーを淹れるように
 小さなペーパーフィルターで濾して清んだ水に作りかえる
     すでに気の遠くなる
     自分のための作業

(ヒロ爺)      
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みわたせばコスモスの向こうに里山と風と

昨日、ふるさと風の用でギター文化館に出かけて来たのであったが、途中に見た風景が今頃になって頭によみがえってきて、思わず詠んだのが「みわたせばコスモスの向こうに里山と風」である。
今日は、持病の定期検査にあわせ脳のMRIを撮って来た。脳の状態はすこぶる健康であった。少し前には心臓とその周辺の血管の検査を行ったが、糖尿病に注意しなければならない心臓病の心配はなかった。如何やら小生は、膵臓の膵管が先天性か酒で溶けたかで通常より太く、そのための機能障害による糖尿病があるのみで、他は健全らしい。糖尿病になると精力が減退するといわれているが、青・壮年期程ではないが、減退を意識させられることはない。どうやら憧れの師、一休宗純の「夢に上苑美人の森に迷うて、枕上の梅花花信の心、満口の清香清浅の水、黄昏の月色新吟を奈せん」を見習えそうである。…とは、些か負け惜しみかな?

今夜の常世の恋歌は「里子・大地の舞」の中の無題の詩。

私とあなたたちの間にある訳もない
     この空間という溝が
     埋まることはないのだろうか。
   この空間という溝が狭まりやがてなくなることは
   ないのだろうか。
私はこの空間という溝のなくなることを信じて
     小石を投げいれて埋めようとしている。
  しかし、
    この底なしの空間という溝に小石を投げいれても
    何の足しにもならない。
空間という溝の底が水たまりなのか
     土なのか
     岩なのかもわからない。
  投げ入れた小石が底に届いた音が聞こえたことは
     一度もなかった。
  普通の人なら
  もうとっくに
『小石を投げいれて空間を、溝を埋めよう!』
  なんて考えを捨ててしまうのに
  私はひたすら己の行為を信じて
小石を投げ入れ続ける。

(ヒロ爺)  
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爪痕の生々しくお猫様は大運動会

夕飯の支度を始めた途端、我が家のお猫様が突然に大運動会を始めた。時々狂ったように部屋の中を全力疾走に走り回ることはあるのだが、今日のは凄かった。部屋じゅうを駆け回るのはもちろんのこと、柱をかけのぼり、襖をかけのぼり天井から飛び降りるのである。4キロほどの体重であるが、このお猫様が家じゅうを駆け巡り、柱を駆け上り、天井から大ジャンプを行うともう大地震なみである。大声で怒鳴ろうが、自分の納得いくまで駆け続けないとおさまらない。そんなに大騒ぎをしながら、パタッと終えると、行き倒れたかのように部屋の真ん中に長々と寝転んで伸びをするのである。
夕食後、机に置いてあった山頭火の句集を開いたら、そこに「あすは元日の爪でもきらう」が目に入って来た。「しぐるるや死なないでゐる」と同様に好きな句である。

さて今日の常世の恋歌は馬滝へのアプローチから「眠るのが恐ろしい」

眠るのが恐ろしい。
     太陽が照りつける昼間に
     私は現実を認め
     不幸を心に受け入れる。
  陽が落ちて暗闇が訪れた時
  私は不幸を優しく抱いて
  汗に湿っけて饐えた床に入る。
    だけど、
        深い眠りに落ちた時
        夢の奴が何処からか現われてきて
        ようやく認めて受け入れた現実という不幸を壊し
        希望の苗木を植えてしまう。
  希望の苗木は夢の中で確りと芽を出し
  朝にはもう葉を茂らせている。
  そして希望は目覚めると苦悩を強制する。
     私は眠るのが恐ろしい。

(ヒロ爺)
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うっすらと里山に紅降りてくる

里山の緑色が黒くなって、やがてうっすらと黄と紅がさしてきて、次第に黒が抜けていって紅葉となる。今の里山が色彩的には一番美しくない。小生、幼少から高校を卒業するまで、寒い雪国に過ごして来たこともあって、それこそ燃え上がるような紅葉の中に秋を過ごし、冬を迎えたのであった。紅葉した山々は確かに美しいが、その美しさよりも、葉を残らず落とし、灰色の雪雲を鋭く鞭打つ黒く一切の無駄をそぎ落とした細い枝枝の創りだすモノトーンの方が容赦のない美しさを思わせてくれる。特別墨絵が好きなわけではないが、墨の濃淡が創りだす動かない、動じない陰影というか景が好きである。
さて今夜の常世の恋歌は「沈黙の滝」

私は沈黙の滝と名付けた。

    君は今日も
    沈黙の滝を登ろうという。
  私は
  ただ黙々と段差だけを連ねる
  言葉のない
  風のない
  沈黙の滝は嫌いだ。
      でもあなたは今日も
      沈黙の滝に私を誘う。

果てしない段差は、ただの横たわる水の道
真っすぐ縦に伸びて横たわった澱んだ水の道
風もなく
言葉もない。

      だが、
    横たわっているこの段差の澱みの滝は
    いつかは立ち上がり
    言葉を囁き
    風を詠うだろう。
      でも
      それは何時なのかは分からない。
      でも
      間違いなく
      横たわった沈黙の段差は
      起きあがり
      立ちあがるのだ。

しかし、それが何時なのかは分からない。
発狂する私の心。
    でも
    あなたは
    言葉は嫌いだという。
    もう
    言葉はいらないという。

(ヒロ爺) 
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流れ星は天使の不意打ち

流れ星に願い事を告げてやろうと睨みつけるように夜空を見張っていた。ぼんやりと夜空を見上げている時は、多くの流れ星に出会うものであるが、流れ星を見ようと目を凝らしている時には、なかなか現われてくれないものである。それで、星空を見つめている事に疲れてきて、ちょっと気を抜いて視線をそらしたらスイ~ッと流れて行った。そんなことを何度か繰り返しているうちに、流れ星というのは如何やら天使の不意打ちなんだ、と気付いた。

今夜の常世の国の恋歌は「星に願いを」から、途中の一部分を紹介しよう。

 … …星に願いを… …

 あなたは何万光年先から来たのですか
 いま私に瞬いてくれているあなたに
 私の願いを言っても
 私の声が届くには何万光年先になるのですか
 私の声があなたに届いた時は
 私という肉体もなければ
 肉体を形成していた分子たちも原子たちも
 もうここにはいません
 どこへ行ったのかも知ることはできません
 何の存在の証もないのです

 あなたに願いを言ったら
 本当に叶えてくださるのですか
 私は、わたしの願いを声にしてしまったら
 待つことも
 耐えることも出来なくなってしまいます
 本当に叶えてくださるのなら
 いま勇気を出して言います
 でもわたしが私の願いを声にしてしまったら
 本当に待つことも
 耐えることも出来なくなってしまいます

 … …星に願いを… …

(ヒロ爺)
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ウインドウに映されて知る吾の老い姿

この何日間か、ことば座の朗読舞劇に書いた常世の恋歌を紹介してきたのであるが、今日はウインドウに映った自分の姿を見て、自分がこんなにも年老いてしまっていたのかと気付かされ愕然としてしまった。
脚本家であるのだから、登場する人物が17歳の女性であれば、17歳の女性になりきって乙女の詩を詠ったりするのであるが、今日のように不意打ちをくらったように己の現実を突きつけられると、乙女の恋歌を詠むことに躊躇いを覚えてしまう。小林幸枝という表現スケールのある女性に出会い、しかも恋歌を美しく舞える稀有な才能を見出してから、小林幸枝のために常世の恋歌を劇中に書いてきたのであるが、書き始めたのが還暦を過ぎてからなのだから、自分の老いに今更驚いてもはじまらないのだが…、やはり気持ちが萎んでしまう。
しかし、小生、一休宗純の生き様を師と仰ぎ、小生もそう生きたいと願っているのであるから、こんなことでめいってはいられない。歯抜けがどうした、乾涸びた皺がどうした、恋を思うに関係あるまい。さらにはもう一方の師と思う小林一茶だって、耄碌で寝小便をちびりながらも若き妻の女に手を弄ばせながら死暮れていったのだ。もう若くはないことは百も承知。百の常世の恋物語にはまだまだ届かぬ。めげたり、躊躇ったりはしてられない。

それで今夜の常世の恋歌は「馬滝へのアプローチ、その三(言葉は…)」から。

言葉は腐肉になってしまった。
言葉は説明と言い訳の道具になってしまった。
  
恋を表現することを知らないお前たち

   桜の木の下で
   抱き合って説明をするな
   抱き合って言い訳をするな
   恋をして抱き合ったら言葉を詠え
   抱きあった
   重なりあった
   心臓の打ち鳴らすドラムが
   一つになればそれでいいのだ

昔 私は 詩人だった

(ヒロ爺)
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柿の甘さを褒めながら木隠れの秋を探す

里山に出かけると、小さいけれど秋の風の吹いている事がわかる。しかし、町中にいると秋の風を感じるのに手間取ってしまう。もう夏でないことは直ぐに分かるのだが、秋が来たという実感が乏しい。季節の実感が明晰でないと裡に感じとる感覚も曖昧になって来る。最近、せっせと詩を読みだしたのではあるが、季節の曖昧な中での詩の朗読は言葉が空転してしまい、感性になかなか響いてこない。私は、大阪生まれではあるが、母方の北海道に疎開してからは、高校を卒業するまで雪国に暮らして来た。北海道では10月といえば初雪を知る季節であり、奥飛騨では最後の秋の実りを貪る季節であった。夜気も日々鋭さを増して、初雪を迎える頃には、木々の枝は鋭過ぎるほどに尖って天を突きさしていた。私にとって秋とは、冬に向かって無駄をそぎ落とし、凍る風を切り裂く準備をする季節なのであった。だから、このドロンとした季節のない季節はたまらなく不愉快に思われるのだ。

ちょっと不快な今夜の常世の恋歌は「そして、あなたへ…」

  そして、あなたへ
  もう何度声にして告げただろうか
  でも
  百万遍にはまだまだとどきません
  私の
  なたへの心の想いを
  百万遍声にしたら
  そのときあなたは、私に振り向いて下さいますか
  でも
  あなたは私にこう言いました
  もういい加減にしてください
  と
  私はただ笑うしかありません
  笑いの心理学に言っています
  笑いとは人の不幸を見たときの優越感
  だと
  私は私を笑っています
  私を見ている私が
  不幸な奴だと優越感に浸っているのです
  そして、あなたへ
  私は
  私のことをただ笑うことしかなす術を持ちません
  悲しい恋はただのピエロで
  可笑しいだけ
  私は私のことをただ笑うだけです
  百万遍愛していますと告げる前に
  私は私のことを笑っています

(ヒロ爺)
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オクラの花に感謝されてぐるっと見回しても秋のなく

今年はオクラの苗を十本ばかり植えたのだが、暑い夏のおかげで良く実をつけ、花を咲かせてくれた。十月に入り、そろそろ枯れ始めたものを半分ほど引っこ抜いて、元気そうなものは、少し剪定して花をもう少し褒めようと思っていたら、秋が何処かにかくれんぼをしてしまった所為で、小さいけれど毎日花をつけてくれている。少し前に、寒さにオクラの花も頭を垂れ、と書いたのであったが、このに三日の温かさで小さいながら夏が引き返して来た。秋の時になって小さい夏みィ~つけた。
来年の二月、美浦村の陸平遺跡の文化財センターで行われる縄文の森コンサートに招かれ、ことば座の朗読舞を公演することになったのであるが、この縄文の森コンサートは、「陸平をヨイショする会」というボランティアグループが企画し開催しているのである。自分たちの住むふる里を元気にするためには、そこに住む人たちが先ずその地の良い所を褒め、ヨイショ、ヨイショと声を出すことが大事である。
わがことば座の兄姉貴分の「ふるさと風の会」もヨイショの会に良く似ている。風の会では、わがふる里の良くも悪くもとにかく大声で言おう。そうすれば悪口だってふる里の自慢になる、と考え、毎月発行する会報に大声でヨイショの文を書いているのである。
わがことば座はというと、百の恋物語の朗読舞でふる里ヨイショを叫んでいるのだ。

ふる里ヨイショを叫ぶ今夜の恋歌は「天職」

   私がこの世に命をもらうとき
   私は神から
   あなたを愛することを命ぜられました。
   私の与えられた転職は
   あなたを愛することです

私はあなたに逢うために随分と遠回りをしてきました。
だからあなたのそばに来るのが遅くなってしまいました。
でも、
私はあなたに逢うのが遅すぎたとは思っていません。
私がもう少し早めにあなたに逢っていたとしても
私はあなたのことを
天職を捧げる人だとは思わなかったかも知れません。
だから遠回りしすぎたとは思いません。

  私の天職はあなたを愛することです。

   あなたがこの世に命をもらうとき
   あなたは神から
   私を愛することを命ぜられました
   あなたの与えられた天職は
   私を愛することです

あなたは私に逢うために随分と遠回りをしてきました。
だから私のそばに来るのが遅くなってしまいました。
でも、
あなたは私に逢うのが遅すぎたとは思ってはなりません。
あなたがもう少し早くに私に逢っていたとしても
あなたは私のことを
天職を捧げる人だとは思わなかったかも知れません。
だから
遠回りしすぎて
遅くなりすぎたとは思ってはなりません。
 
  あなたの天職は私を愛することです。

    私はあなたです。
    そして、あなたは私です。

(ヒロ爺)   
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はてさて秋が木の葉にかくれんぼ

昨日といい、今日といい、秋が木の葉の景にかくれんぼして出てこようとしない。瞳に些か紗がかかった後期高齢者には、かくれんぼしている秋をなかなか「み~つけた!」と、探し当てる事が出来ない。「ま~けた」だから秋よ出てきておくれ。でもあまりに小さく出てきても、老眼の私には探せないよ。
こんなことを呟いていたら「小さい秋見つけた」の歌を思い出した。「小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた」佐藤翁の顔には似つかない綺麗な言葉だ。秋よ、かくれんぼをやめて早く出てきておくれ。

さて今夜の常世の恋歌は「もう言葉は…」

   もう言葉はいりません
   この唇にあなたの言葉を封じ込めましょう
   もう言葉はいりません
   あなたの温もりの中にしっかりと抱きとめてください
   もう言葉はいりません
   あなたの温もりの中で鼓動が一つになれば
   それでいいのです
   もう言葉はいりません
   温もりの中で鼓動が一つになった時
   常世の風が新しい言葉になって
   私たちに吹くでしょう

(ヒロ爺)
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秋の里山に君の名を呼ぶ返す木霊もなく

今日はギター文化館へ行き、来年の公演スケジュールを決めて来た。何だか昨日、今年の打ち合わせをしていたようだが、もう一年が過ぎているのだ。ギター文化館から里山を見ると、もうすっかりと秋の陽の色に染められていた。もうすぐ里山の紅葉になるのだろう。
来年のことば座の朗読舞の公演は、今年と同じく、6月と11月に定期公演を持つこととした。新しい試みとして、ことば座の音楽を担当していただいている、オカリナ奏者の野口喜広さんと「オカリナと詩の朗読コンサート」を開いてみようと、取り敢えず日程を押さえた。毎年、来年はのんびりとやろうと思いながら、年々忙しくやることを作っているようである。色々なことを忙しくやってみて年の終りに一つでもあれは良かったなと自分が褒められたら、それは実に幸せなことであろう。

さて今日の常世の恋歌は「寒蝉(かんせん)」

   この里山にはもうあなたはいないのですか
   私の言葉があなたの心にとどいて
   あなたが私の言葉にこたえて
   あなたの言葉を木霊に返してくださるまで
   私はあと幾度声に啼けばいいのですか
   
   もし
   私の声に啼く数の知れたら
   私はこんなに苦しむことはありません
   私はもうじゅうぶん過ぎるほど
   あなたに私の声を啼いています

   でも
   未だじゅうぶんではないのですね
   私の啼く言葉の力が未だ足りないのですね
   それともこの里山にはもうあなたはいないのですか

   もうすぐ
   もうまもなく私の声は涙とともに枯れてしまうでしょう
   あなたの谷水を汲むこともなく
   寒蝉はあなたの恋をもとめて
   啼くことだけが定めなのですね

   この里山にはもうあなたはいないのですか
   私はこのまま恋をもとめて言葉に啼いて終わるのですね
   今夜秋風が吹いたら
   あなたの谷水を汲むこともなく死暮れて
   そして枯葉に腐して土に溶けて
   わたしは無くなってしまうのですね
   寒蝉はあなたがもういないと自覚しても
   死ぬまで啼きつづけて終えるのです

(ヒロ爺)  
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天晴れて舞の雨雲も消えて大きく

今日の稽古でのユッキーの舞は大きく綺麗に舞えていた。如何に現代語訳して渡しても方丈記に書かれている言葉の意味を手話に翻訳し、舞いに発展させることは難しい。聾者の人達も、最近では携帯メール、Eメールなどで文章でコミュニケーションを日常的にとるようになり、かつてFaxだけの時よりも文章言葉が堪能になって来た。しかし、対面しての会話は手話になるので、語彙の数は極端に少なくなる。方丈記のような文章を、現代語に直してそれを手話に表そうとすれば、回りくどい説明が必要になって来る。それでは舞にはならないので、ユッキーちゃんは四苦八苦するわけである。舞いが小さいと、小生から「せせこましくて舞台表現になっていない」と即指摘される。我が愛するユッキーちゃんも大変である。「もう俳優なんて止めます!」と何度ものど元まで出て呑み込んでいる。
今日のユッキーちゃんの舞は大きく美しく舞えていた。この調子で行ってもらいたいが、まだまだ山・谷が何度も繰り返されるであろう。小生にしてあげられる事は、「ダメ!」と「ウン綺麗だよ!」の言葉を愛を持って与えるだけ。

さて今日の常世の恋歌は「舞い人」

私は舞い人
   常世の風にのって
   常世の時に漂い
   ふる里を舞う
ふる里に風が流れて
時を紡いで
暮らしを舞う
   私は舞い人
風に舞い
時に舞い
恋に舞い
命を舞い明日を紡ぐ
   私は舞い人
私の舞は風に吹かれて揺れる舞
私の舞は移ろう時に背を押されて揺れる舞
何も考えずただ揺れる舞
舞は私の言葉
舞の言葉は私の心
私の心は風にゆれて時にゆれて恋にゆれて
   私は舞い人
私の舞は言葉
あなたは私の舞の言葉を聞いて
愛を返して下さいますか
私はあなたの愛をもらって
このふる里に夢を舞いましょう
希望を舞いましょう
   私は舞い人

(ヒロ爺)
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秋の陽に女子の寂しい笑顔きく

雨が上がり、陽が射してきたら、庭の枯れ草の山に野良猫の親子がやってきて早速日向ぼっこを始めた。母猫は、子猫を舐めながら毛づくろいをしてやっている。子猫は一時もジッとしておらず、母猫にじゃれて咬みついたり後ろ足でしきりに蹴りあげたりしている。母猫は、子猫のなすがままに居るが、子猫を見るとき以外は周囲に鋭い視線を回している。親猫の様子を見ていて、彼らには大人になると決して安心だとか安静などというものが、暮らしの中に存在していないのだろうな、と辛い気分になってしまった。秋の安っぽい感傷かな…。

本日の常世の恋歌は「風らい人」

  私は、風らい人です。
  一日住めばそこはふる里とは強がって言ってはみるが、
  何処にも身の沈ませる場所の持てない
  ただの風らい人です。
  
  風らい人が恋を啼いても
  振り返る人もいません。
  でも風らい人は、
  己の心の自然をひたすらに信じて
  恋に啼くのです。

  私は、風らい人です。

(ヒロ爺)
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別れの涙にしたら土砂降り過ぎて未練もなく

毎月第二土曜日「いしおか補聴器」さんのお店で行っていた朗読会が、今夜を持って終了となった。お店を行方市に移転するのである。石岡の町にまた一つお店がなくなる。いしおか補聴器の阿部さんは、ギター文化館で行うことば座の公演に、お手伝いくださり、補聴器の掃除等のサービスをしていただいていた。公演へのご協力は、これまで通りなのであるが、稽古の行き帰りにちょっと寄ってお茶を飲んだりすることができなくなり、些か寂しくなる。

今日の常世の恋歌は「風の涙」
  
  あなたは何故 振り向いて下さらないのですか
  あなたは何故 木霊に返しては下さらないのですか
  私の声は雑木林に引っかかってしまったのでしょうか
  私の声は風が掻っ攫って行ってしまったのでしょうか
     
     風が涙しています

  木霊に心返すことがそんなに辛いことなのですか
  庭の鳳仙花だって指の触れたら
  明日の希望をパチンと弾けて命の紡ぐのに

(ひろ爺)
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青紫の茄子の花未だ咲いておる

庭の一坪農園に、今年は茄子の苗を二本植えたのだったが、夏の暑さにも負けず、沢山の実をつけてくれた。四方に伸びる枝を選定してやると、また新しい枝芽をつけ、実をつけてくれた。だがもうそろそろ終わりである。今日は引っこ抜いてやろうと思っていたら、青紫の花が健気に咲いていた。もう少しそのままにしてやることにした。

常世の国の恋歌、今日は『大地の舞歌』を紹介しよう。
  
  わが夫の
  このまほろばの大地に鍬の打つ姿うれし。
  大地の土の鍬に打たれて
  新しき風の通い水の流れて
  一粒の命のはぐくまれ。
  緑葉の
  陽光の浴びて花の笑って蝶の舞い群れて
  実りの時のまつ。
  豊饒の月光に
  虫ども喧しく宴に酔うて酔いしれて暁のくる。
  風の凍えて霜の降りて
  夫に抱かれて繭の夢のみむ。
  太古に変わらぬ大地に生きて
  時に生きてうれし。
  夫よ大地に鍬の打て。
  大地の土の香よ
  夫の打つ鍬にはじけ飛んで
  明日の希望の紡げ。

(ヒロ爺)
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庭の枯れ草に野良猫の親子がやって来た

庭の雑草を引っこ抜いて、一所に纏め積み上げていたら、そこに猫がやって来るようになった。最初は、親離れをしたばかりかな、と思われる子猫が一匹だったのだが、今日は親子らしい二匹がやってきていた。おそらく、最初は警戒心の少ない子猫の方が暖か枯れ草の上にやって来たのであろうが、親猫の方はどこかに隠れて子猫を見張っていたのかもしれない。子猫の方は、私が声をかけても逃げようとしなかった。二日ばかり毎朝陽だまりに居る子猫に話しかけていたら、今日の午後から、親猫もやってきて枯れ草の上に二人して丸まって日向ぼっこをしていた。
さて、今日の恋歌は『常世の原に』である。
 
 何時も一人芝居。
 無言に微笑みのくれる瞳の声に揺れ惑う。
 常世の原に
 決められた時を
 敷かれたレールに走り
 何時も律義に微笑みのくれる。
 だが、時の埋めおわると風にのって去っていく。
 常世の原に残されて一人。
 微笑みの残り香に
 未練のつもりゆきくれて。
 恋瀬の流れに笹舟のながす。
 常世の原の風のいふ。
 ひらひらたよりなくてふてふ
 恋瀬の渡しにしぐれて流されて。
 常世の原の風のいふ。
 本気に恋をして不如帰。

(ヒロ爺)
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秋の陽に舞うてふてふは空威張り

日中は真夏日ほどではないが、長袖では暑くて過ごせないほどであったが夕日と共に気温も下がりだし、飛んできた蝶蝶、元気そうに見えたのであったが、観察するように見つめていたら、何故か空威張りをしているように思えた。それで改めて秋なんだなと実感することができた。
さて、今日からしばらくの間、ことば座で舞い演じて来た恋歌を紹介してみたいと思う。

    「あなたへ」
  あなた
  恋瀬の流れが赤く染まったら
  あなたの涙を流してくれますか
  あなた
  恋瀬の流れが青く染まったら
  あなたの恋を囁いてくれますか
  あなた
  恋瀬の流れが黒く染まった時
  あなたは流れ星になって
  私の願いを叶えてくれますか
     約束を下さい
  あなたが約束をくれたら
  私は月になって恋瀬の葦のかげに
  あなたをお誘いいたします

  あなた
  まほろばの里が赤く染まったら
  あなたの涙を流してくれますか
  あなた
  まほろばの里が青く染まったら
  あなたの恋を囁いてくれますか
  あなた
  まほろばの里が黒く染まったら
  あなたは流れ星になって
  わたしの願いを叶えてくれますか
     約束を下さい
  あなたが約束をくれたら
  わたしは黄金の実りとなって
  あなたの腕の中に眠ります
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女子が傍に居て笑顔つくれば長寿

人生を楽しむことをしない人は長生きしないのだそうだ。人生を楽しめる人には笑顔が消える事がなく、笑顔が長生きホルモンの分泌を活性化してくれるのだそうだ。そして一番良い笑顔というのは惚れた女子に向ける時の笑顔なのだそうだ。この笑顔を持っている時が長生きホルモンが一番分泌するのだそうな。
確かに惚れた女子を前にして居る時の顔は、優しく穏やかな顔をしている。無防備に全身が緩んでいて、幸せ感が満ち満ちているのだから、長生きホルモンというものがあるのかどうかは知らないが、あるとすれば分泌が活性化されるだろう。
ことば座の朗読舞劇では、ふるさとである「常世の国の恋物語百」に挑戦しているのであるが、ふるさとが元気に長生きしていくためには、そこに恋の物語が生まれてこなければ育つものがないので滅びてしまう、を念頭にしての事である。
ふる里とは、恋の降る里であり、恋が降るからそこに人の心の葛藤がうまれ物語が生まれるのである。一つの物語が生まれれば、そこには一つの暮らしが生まれてくる。
そうです! 恋がなければ何も始まらないのです。恋をして、笑顔をつくり、長生きをしよう。
(ヒロ爺)
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針のメダカの子スチロールの池にツンツン ツンツン

「ふるさと風」の会報が出来上がったので、近所の友人の所へ持っていったら、メダカの子が生まれたという。案内されたら、庭の柚子の木の下に水槽代わりの発泡スチロールが二つ置いてあった。水草がたっぷりと浮いており、水草の景に目を凝らすと針の先ほどのメダカの子がツンツンと居るは居るは。10匹ばかりのメダカをもらってきてスチロールの箱に水を張り、水草と一緒に入れておいたら、突然のごとく針の子メダカが湧いて出たのだという。親メダカに共食いされないように、もう一つスチロールの池を増やし、そこにグラスで掬い取った子メダカを移しているのだそうだ。子メダカの水槽にはうじゃうじゃとツンツンして走っていた。親メダカの水槽からは掬っても掬っても湧いて出るのだと言う。
可笑しいのは、その子メダカを「ふじ」という名の柴犬君がジッと覗き込んで見ているのである。その様子が実にほのぼのしいのであった。「お前、水飲むふりして子メダカを踊り食いしてるのじゃないか」と声をかけると、小生の顔を見上げて首をかしげて笑うのである。
我が家のお猫様そうであるが、「お前、悪さをしているのじゃないか」と声をかけると、首をかしげるようにしてこちらを見上げて「馬鹿言え、お前と違う」と笑うのである。この二人に言わせると、どうやら悪さをするのは人間様のようである。
(ヒロ爺)
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オクラの黄花夕やけにさよならを告げた

今年、10苗ほど植えたオクラが、秋の寒さに次々と枯れ、ひっこ抜いていったのであったが、4株ほど残っている1株が小さな花をつけけなげに咲いていた。日暮れて、雨戸を閉め庭に出たら、けなげな花が夕暮れの明かりにさよならを言うように花をしおらせ頭を下げていた。これで本当に夏が死んだのだと知らされた。
ならば、寂しい気分を捨てて、秋の味覚を満喫しようではないかと、さっそくクリ飯を炊いて、さんまを焼いて晩飯とした。
秋は旨い。
(ヒロ爺)
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大失態焼き茄子を喰うのを忘れた 夏はもう居ない

今日は実に忙しい一日であった。ことば座11月公演のチケットを作り、案内状を作り、明日印刷をする「ふるさと風」の会報の編集作業を終わらせる。計画的に作業を進めていたのであったが、結局は明日の締め切りに全部が滑り込みセーフの状態となってしまった。今やっと明日の準備から解放されて、このブログを書き始めた途端、この夏の異常猛暑の所為で、夏には絶対に喰わねばならない焼き茄子を喰うのを忘れていた事を思い出してしまった。
あまりの暑さで茄子を焼く気にもならなかったのであろうが、喰わなかったのはまずかった。少し強めに皮を焦がして焼き、氷水に放り込んで焦げた皮をむく。水を切って、冷蔵庫に冷やす。その間に炊き立てのご飯をこれも冷水に洗い、根めりをとってザルにあげる。あまり上等でない煎茶を焙じて、焙じ茶を入れる。水洗いした飯を椀に入れ焙じ茶を注ぎ、茶漬けにする。甘さを控えた天つゆを冷やした焼き茄子にかけ、おろし生姜を乗せ、茶漬けと一緒に喰う。焼け焦げた皮の匂いがしみ込んだ冷たい焼き茄子は、暑い夏に喰うから旨さが倍増するのである。夏に喰わなきゃいけないものなのである。
明日、真夏日になったとしても、すでに焼き茄子を喰うシーズンではない。何ということだ。この夏の分を取り返すためには、小生の寿命を一年延ばさねばならない。鬼が笑ったってかまわない。来年は忘れずに喰うぞ!
(ヒロ爺)
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ヒロ爺

Author:ヒロ爺
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ヒロ爺は、映画・演劇の脚本・演出を生業としておりましたが、日本シナリオ作家協会を退会し、何もやらない何もしない暮らしを始め、周囲の顰蹙を買っています。しかし、何もやらない何もしない暮らしは、その才能と精神力がないとできないことを知り、改めて己を天才(天災)かも知れないと思っている所謂呆け老人です。

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