猛暑を言い訳に一日延ばしにしていたことば座11月公演のポスター作製を本日ようやく終わらせた。
ギター文化館発「常世の国の恋物語百」の第26話となる今回は、常陸国の南北朝争乱の最後の戦となった難台山城をモチーフに「難台山城落城哀歌」と題して、愛すべき男の愚かと女の愚かを表現してみたいと思っている。物語は、方丈記より「…人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」をプロローグに引用し、小田五郎藤綱とその妻の「おろか」と言える、不器用な恋物語を展開している。劇中に藤綱の妻が、子忍の森に舞う「おろか」の一節には「男にも、女にも、愚かとは盲目すること。男の盲目は世間への見栄と己への見栄。女の盲目は心の未練」と歌ってある。
庭でコオロギが鳴いているが、喧しく鳴き声を上げるのは男のコオロギ。女のコオロギは、その鳴き声の中に優れた遺伝子を読み取り交尾を許す。一度の交尾が終わると、女はさっさと次の男の所に向かうのだ。
難台山城の攻防は、常陸国の最後の南北朝争乱である。南北朝争乱は、天皇家の財産争いに利権を求めて群がる成り上がり者の輩どもの争いであり、子女民衆の痛みなど顧みることもしない、権力者たちのあさましい愚かである。南北朝争乱は1330年~1390年頃のことであるが、現代の国会をみると、同じように政権与党内のあきれ返った争いをしている。1700年程も過ぎたいまだに同じことをやっているとは、人の世とは実に哀れの繰り返し、たまゆらも心を休めることはできない、ものなのであろうか。
(ヒロ爺)
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幾分涼しくなったと、夕方散歩に出てみた。幾分涼しくと思ったのは期待だけだった。現実は厳し~い。
風流を決め込んで「とぼとぼと 一人とぼとぼと…」などと感傷に浸って歩いていたら熱中症で倒れてしまいそうになった。陽は大きく傾き、頭上の温度は下がってきてはいるのであるが、地表の温度は下がるどころか一掃に上昇し、熱を放射している。これでは犬でなくとも熱中症になってしまう。どこかに飲み物の自動販売機がないかと見回してみたが、人の往来のない雑木林のへりなぞにそんなものあるわけない。視線の隅に見た彼岸花なんぞもうどうでもよくなってしまった。それよりも「とぼとぼと一人とぼとぼと死暮れ道」となってしまった。この暑さ、まだまだ続くそうである。秋が極端に短く、突然に冬が来るのだそうだ。何とも爺様苛めの異常気象である。(ヒロ爺)
この何年か、夏になると必ず『香炉峰の雪は…』と白楽天の詩を思い出し、簾ならぬレースのカーテンを開け放してみるのであるが当然のこと、石岡の龍神山にも筑波山にも雪なぞ降り積もっているわけはない。暑さから逃れたいと思う気持ちが、こんな詩を思い出させるのであろう。
本当ならば、歴史の里と自称する石岡に居るのであるから、『いざ宵の月にうたれる筑波嶺を恋瀬の岸に褒めに行こう』と詠うべきなのであろうが、この歴史の里にはそれを詠わせる風が吹いてこない。
一説に「古里」とは十世にわたって人の口に伝えられるもののある里のことを言うのだとある。人の口に伝えられるものとは物語のことを言うのだと私は思っている。だから私は、「ふるさと」を「物語の降る里」と勝手に当て字して定義している。ところが、歴史の里と自称する地でありながら、『いざ宵の月にうたれる筑波嶺を…』と詠わせないで、『香炉峰の雪は…』と思わせてしまうのは、物語の「降る里」ではなく物語を「振る里」だからではないだろうか。
古里の嘆き・悪口というのは、その古里に住む者の口から言うのが良いのではないかと、ちょっとだけ風に呟いてみたが、今夜は無風状態に近い。
(ヒロ爺)
今夜は、ギター文化館裏庭で、ことば座・風の会主催の暑気払い豚鍋会が行われた。虫の声を聞きながら、てんでバラバラの会話を楽しんでいると、東の山の稜線が一か所山火事が発生したかのように、オレンジ色に染まった。オレンジの明かりはみるみるうちに、その色と範囲を広げて来た。月の出である。
満月から数日が過ぎて右側がぼんやりと欠けて来た月であったが、美しい光景であった。夕日や日の出の撮影にえらく苦労したことがあったが、今夜の月の出は、邪魔する雲もなく見事に稜線を上がってきた。すっかりと顔を見せた月は黄金の山吹色に染まっていた。
こんなに贅沢な風景を大切に思い、国の誇りにしなかったら何を誇りにすればいいのだろうかと、現実に首をかしげてしまうのは、この老いたる痩せ男だけではないだろうと思うが、果たしてどうなのであろうか。
『満月 妹の笑顔映している』(ヒロ爺)
今日は久しぶりに石岡市柴間のギター文化館に顔を出して来た。
温度計の目盛りは相変わらず猛暑を指しているが、里山に立つと、もう風の景がはっきりと季節の境目を見せている。日暮れの時間も日に日に早くなってきている。
明日は、夏バテ回復の豚味噌鍋パーティーをギター文化館の裏庭で開くことになっている。今年の夏は例年になくあわただしく走ってきて、猛暑に汗疹しながら怠惰な昼寝で過ごすことがなかったように思う。そのくせ、これをやったぞという充実感のない夏であった。しかし、秋になり冬になると今手探りしている道の先がはっきり見えてきそうな気がしている。
(ヒロ爺)
今日は美浦村の陸平貝塚遺跡にある文化財センターへ出かけて来た。
来年の二月六日に、『陸平をヨイショする会』の主催する「縄文の森コンサート」にことば座が招かれ、そこで朗読舞の公演をさせていただけることになり、その第一回目の打ち合わせである。
美浦に行ったのは二度目であるが、今回は公演の打ち合わせということもあって、ゆっくりと風景を眺めながら行ってきた。ゆっくりと眺められたのは、俳優の小林幸枝の運転する車の助手席にいたからであった。
昨年春に、行方・鹿島側の霞ヶ浦沿岸を見て回り、里山に圧倒するブナ科の樹木を見て、縄文人の豊かな暮らしぶりが昨日のように思われ感動した。そして今日、陸平の圧倒する貝の量を見せられ、本当にここは常世の国だったのだと再認識させられた。
二年前、「霞ヶ浦賛歌・風の姿」という朗読舞劇を演じ、そこに縄文人の豊かな自然に対する感謝を舞いに表現したのであったが、陸平の貝塚を見て、これをさらにスケールアップして、貝に埋め尽くされたこの里山に舞いをささげたいと思わされた。
この公演では、美浦在住のモダンダンスの小峰さんと劇中にコラボレーションンしましょうという話が進み、新しい常世の舞が創造できたらと思っている。
(ヒロ爺)
『コオロギの声きいて君の笑顔月にきく』
コオロギの鳴き声を聞きながら、こんな一行を呟いてみたが、実際に今日の月はどんなだろうか、と庭に出てみたら満月に近いまるい月が雲ひとつない天空に輝いていた。コオロギの声にはそぐわない暑苦しい風が吹いているが、何かちょっと得をしたような気分になった。
「ダ~イジョーブ!」
監督をやっている時の私の口癖の言葉だ。映画の現場というのはトラブルの連続で成り立っているといったところがある。製作や助監督達がもうカリカリ喧嘩腰に怒鳴りあっている中、私一人が脳天気に「ダ~イジョーブ!」と言う。出来上がりの一切の責任を負わされる立場に立たされると、目先の右往左往には開き直って対応するしかない。終わり良ければそれで良いのだ。だから仕事の最中は、内心は戦々恐々なのであるが「ダ~イジョーブ!」と強がるのではなく脳天気に開き直るのが一番なのである。
ことば座の演出においてもそうである。カリカリ来出したら歯止めが利かなくなるので、ダ~イジョーブまだ明日があるから、と動じない顔を繕っている。
しかし、不思議なものでダ~イジョーブと言っていると、本当に大丈夫になるのだから、物事は必ず帳尻が合うようになっているようである。
(ヒロ爺)
石岡市に越して来たころに詠んだ一行文である。
自由自在という言葉が好きで、何事にも型にはめない、型にはまらない事をモットーに自分自身の生活を、人生を過ごそうと思ってやってきた。
自由で自在であるために、脚本家という仕事を選択し、30%程度の達成度・満足度でやってきた。その程度の達成・満足度なので、60歳の半ばを過ぎてもまだ続けていられる。燃焼をしつくすということがないから、まだ日々の中に発見することがたくさんある。勿論、恋だってまだまだ枯れていない。好みの美人に出会えば直ぐに恋をする。思いが30%達成できたらそれで満足できるのだから、毎日恋をしていてもやつれる事はない。
そのうちゆっくり書いてみようと思っているのだが、私は、30点の満点論者である。30点取れたら満点なんだから必死に頑張ることをしない。疲れたら、野の花に言われなくても、直ぐにその辺に腰をおろし一休みする。
このブログを初めて今日でまる一週間になる。あんな風に、こんな風にと考えるていた事があったのだが、先ずは一週間続いたのだから達成感も満足度も30%。そうです、満点の滑り出しでした。
(ヒロ爺)
古河市で38度を記録したのだそうだ。
石岡市の我が家も今年一番ではないのか、と思えるほどの暑さだった。夕方近く、テレビに千葉県で雷雨注意報のテロップが流れた。我が家の頭上にもおこぼれの雨が降ってくれないだろうかと願ったが、まったくの気配も見せず陽が落ちた。
我が家のお猫様・耳ちゃんがクーラー嫌いなので昼間はパソコンでの作業は中止して、行水ばかりしている。
ご存じだろうか、暑さ対策の行水は、冷水でやってはいけないことを。ちょっと温めのお湯に入るほうが行水後長く涼しく居られるのだ。冷水で行水をすると震えるほどの体温になっても、水から出ると直ぐに体温が上がり汗が噴き出してくるのだ。
冷たい食事ばかりをしていると体の調子を崩してしまうが、夏バテ防止には暑い鍋料理を食べる方が効果的なのとよく似ている。
今年一番の暑さでなかったかと思われる日中であったが、陽が落ちると秋風は感じられないのだが、コオロギ達が一斉に鳴き始める。汗を流しながら、コオロギの喧しい鳴き声を聞いていると、「熱暑も明日は死暮れていくのか」とちょっと感傷的な気分になってくる。でも、コオロギの声が一瞬でも途切れると現実に引き戻され、「夏よ早く死ね!」と怒鳴りそうになる。
猛暑、熱帯夜が元気を増して戻ってきた。
窓の外ではすず虫が喧しく高音を張っている。何と暑苦しいことかと腹を立てた途端気付かされた。
「お前の名は涼虫ではなく鈴虫だった」と。
秋の声だと思っていたのもだから、涼虫と頭に描いてしまったのだったが、鈴虫なのだ。
ことば座11月公演の「難台山城 落城哀歌」の台本が完成し、ホッとしたいところであるが、戻ってきた猛暑がホッとさせてくれない。
台本の中の舞歌にこんな詩を書いた。
あなたは今日も微笑んでいる
あなたは昨日も微笑んでいた
あなたは微笑むだけ
常世の国に風が流れて
春が来て
花が咲いて
鳥が歌って
私のあなたを見つめる瞳が
どんなに
さみしさを表し
涙を流しても
あなたはただ微笑むだけ
今読み返しながら、この年老いた痩せ男には、無縁の微笑みだと熱帯夜の中、苦笑している。
以前はよく近くの雑木林を散歩したのであったが、最近はほとんど出かけなくなった。その理由は…
我が家の家族が、猫に変わったからである。以前は、「葉津」という名のメスのパグ犬が家族であった。孫娘のように可愛がり、毎日散歩に出かけていたのであった。一緒に散歩といっても、半分以上が抱っこしての散歩だったので、私にとっては良い運動になっていた。
心臓に障害を持っていた子だったので、三年という短い生涯であった。
その孫娘が亡くなって、一月後に、今の猫家族、「耳ちゃん」が我が家に迷い込んできたのである。本来は、あまり猫好きではないのだが、何故か直ぐに私になつき、住み着いてしまったのである。仕方なく家族と認め、「耳」と名付けて住まわしてやると、この「耳ちゃん」、見ていたわけではないのに「葉津ちゃん」と同じ行動をとるようになってしまったのである。
脚本家という商売がら、一日の大半をパソコンの前で過ごしているのであるが、パグ犬の葉津ちゃんは、パソコンを起動させると、何処にいても飛んできて、私の膝に乗り一緒に仕事をするかのような行動をするのである。
もっとも一緒に仕事とは言っても、モニター画面がせわしなく動いている時だけ一緒に見ているのだが、文章だけの画面になると、膝に抱っこされたままグーグー大鼾をかいて寝ているのである。そしてこちらがひと段落して、パソコンを消すと、起きだし、膝から降りると「やー疲れた」とばかりに大きく伸びをするのである。
これと同じ行動を「耳ちゃん」も一週間を過ぎたころからやるようになったのである。耳ちゃんの方が軽くて小さいので、その行動自体はかまわないのであるが、この耳ちゃん、クーラーが大嫌いなのである。
今年の猛暑には大弱りした。耳ちゃんは、クーラーをかけようものなら、消せ! 消せ! とばかりに部屋中を駆け回るのである。しかも、クーラーを消すまで続けるのだから、考え事なんてできようはずもない。だからこの夏は、「褌も外したいぞなこの暑さ」と何度も呟く羽目になったのであった。
この二日間、猛暑がしずまり、我が家も少し過ごし易くなった。その所為か、久しぶりに散歩に出かけてみたくなり、夕方雑木林まで行ってみた。そうしたらわが身を映すように、老いた犬がとぼとぼ歩いているのに出会ってしまった。
一昨夜あたりから、風が秋の景を帯びてきたと思ったら、今夜は虫の声が突然に高く鳴き秋が来たことを知らされた。虫たちの実に季節に対する反応の早ことかと感心させられる。
ことば座の11月公演のための脚本(検討稿)の見直しを行い、今週中に決定稿にしなければならないのだが、なかなか進まない。ことば座では、座長である朗読舞女優小林幸枝の希望で、この常世の国(常陸国)の歴史、伝説や風景等をモチーフとした恋物語の百に挑戦しており、現在は26話目を執筆中である。
今回の話は、常陸国における南北朝争乱の最後となった難台山城の攻防をとりあげ、恋物語を創作している。
難台山は、ことば座が発信基地としている石岡市のギター文化館の斜め向かいにある山である。ギター文化館からの見た目では、大して険しい山ではないのであるが、実際に登ってみると何とも険しい山である。難台山城の戦記等をみると、山頂に築いた城から、岩を転がし攻め手を追い落としたという。だから見た目以上に登ってみると険しい山なのである。
岩間の愛宕山からの縦走コースで難台山へ行けば、歩き易いのであるが、脚本ハンティングのときは、首洗いの滝を探しながら、獣道のようなところを登ったので、大変におうじょうした。おまけに梅雨明けの猛暑の真っただ中に登ったので、とうとう頂上まで行かず、断念して下山した。おかげで、すぐに落ちると思われた難台山城が一年もの立てこもりができた理由の一端を体感することができた。
昨日、友人の指導で何とか、このブログを開設できたのはいいが、本日、新しく記事を書こうかと作業に取り掛かった途端、エンスト。右往左往しながら、またまた友人の手を煩わせ、何とか記事を書ける状態になったは良いのだが、書こうと思っていた記事の内容が消えてなくなってしまった。
歳をとると頭の柔軟性が失われ、新しいことを始めるのに苦労させられる。
一昨日、ことば座の11月公演の脚本を書きあげ、休む間もなくこのブログの開設に挑戦。できたできたと一人で喜び、さあ今日からと勇んだが、そこまでで精いっぱいだった。脚本は、まだ決定稿にはなっていないが、今日から脚本についての話をしていきたいなと思っていたが、今日はここまでである。
本当に前途多難である。
はじめまして。常世の風に生まれた新しい表現「朗読舞(ろうどくまい)」の俳優ユッキーと脚本のヒロ爺が初めてブログに挑戦します。
常世の国の風に吹かれながら、日々に舞いの言葉を紡いでいけたら良いな、と思っています。
今夜も熱帯夜。でも庭にはもう秋の虫がメスを求めて呼び始めています。そんな声につられて夜の散歩に…。
『へふへふと歩いて 月の笑うてござる 虫の歌うてござる』